※協会活動との兼ね合いから2012シーズンにGMを退任しましたが、
2013シーズンから復帰しました。
GM復帰のお知らせとご挨拶
最近の記事
2012年08月02日
三連覇に向けて
今年度の選手、スタッフの協会への登録が終了しました。
いよいよ秋シーズンに向かって、三連覇に向かってスタートです。
今年の春は、ドイツ遠征を敢行し、パールボウルの決勝にも進出、そして勝利と、
チームにとっても良い経験を積むことができました。
特に、日本代表でも長らく活躍してくれた#75OL・宮本士選手が抜けたあとを
“ヤング・ツイスターズ”が埋めるべく奮起したり、
#7WR池井選手、#34DB丸山選手、#33DB島津選手、#54DL冨田選手などの
新人選手たちも秋に向けて期待が持てるプレイをしてくれました。
とはいえ、戦力の補強、強化は他のチームでも優先課題として取り組んでいらっしゃいます。
ましてや強豪ぞろいのXリーグの各チームは
”STOP THE OBIC”を掲げて、より一層、周到な準備で、厳しい戦いを挑んでくることは必至です。
自分に対してどこまで挑戦しきれるか。挑戦することにハングリーでいられるか。
大橋ヘッドコーチが常に言うところの”足掻き(あがき)”が、今年も私たちの行先を決めることでしょう。
ファンの皆様には、そこのところを期待していただき、同時に厳しく叱咤激励を頂戴したいと思います。
さて、私事になりますが、この7月末日、つまり、2011年度登録を持ちまして、
チームGMを辞任させていただくことになりました。
今まで、サイドラインで声をかけていただいたり、
時には、Tシャツやバッグに私までがサインをさせていただいたり、
選手同様ご贔屓にしていただき、誠にありがとうございました。
そして何よりも、
パナソニックに負け続けたつらい時代から、何とか勝つことが出来て日本一をとれた一昨年、
そして震災の後からシーズンが始まった昨年、今年のドイツ遠征など、
このオービックでしか味わえない経験、ファンの皆さんや選手とともに戦えた時間、
GMとしては本当に幸せでございました。
ファンの皆さま、支えてくださっている皆さま、そして熱い心を持つ選手、スタッフ、コーチの皆さんに、
改めて御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
今後は、昨年度より再開させていただきました、社会人協会での活動に注力し、
Xリーグ、社会人フットボールの振興、普及、発展に微力ながら、尽くしていきたいと思います。
特に東日本は、現在、川崎球場が改装中になったりしておりまして、
ハード、ソフト両面において、
ファンの皆さま、関係者の皆さまの「満足向上」=Xリーグの価値向上が大きな課題です。
2015年のワールドカップを控えての強化もしっかりとやらなければなりません。
そしてその先にある、日本のアメリカンフットボールの将来構想をしっかりと立てて、
それを見据えた活動を、地道かつ効果的に積み上げていくことで持続的発展を実現しなければいけません。
想いは膨らみますが、現実は厳しいでしょう。
オリンピック競技でもない、プロでもない。
時には、勝てば勝つほど自分の職場に迷惑をかけなければいけない、アマチュアの宿命。
そんな中、熱くフットボールに打ち込んでくれている選手の皆さんや、それを支える多くのスタッフの皆さん、
さらにそのチームを心底支えてくださっているファンの皆さん、支援者の皆さんにとって、
「アメリカンフットボールで良かった…」
と少しでも思ってもらえる競技、リーグを目指して、頑張る所存です。
最後になりましたが、今後とも、オービックシーガルズをなにとぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
2012年02月01日
変わらないために 変わる
一昨日、千葉青年会議所の新年例会に出席させていただいた。
青年会議所は、入会資格が20歳~40歳なので、
オービックシーガルズは、 正会員ではなく賛助会員という形式で、
一昨年から入会させていただき、 地域での活動でお世話になっている。
千葉ロッテマリーンズ、JEFユナイテッド千葉、
読売新聞千葉支局、東京新聞千葉支局、日本経済新聞千葉支局
千葉テレビから参加された先輩の皆さんと同じ席で
JCの皆さんや熊谷千葉市長の年頭のご挨拶を拝聴した。
今年のJCの基本理念は、
「変わらないために 変わる」。
これは、イノベーションの本質を突いていると思う。
アメリカンフットボールでも、
勝ち続けるという 「変わらない価値」を保つためには、
戦略を含めて 常にチームを進化、変化させていかなくてはならない。
これが、難しい。
成功体験が邪魔をする。
“お家芸”まで高めたプレイや 技術がある場合、
それを捨てるのには勇気がいる。
選手間にも温度差がある。
変わらなくて良い選手もいるし、変わらなければならない選手もいる。
どこまで変わるのかという 共通認識を創るのもまた難しい。
アメフトに限らずどのスポーツでも「常勝」が難しいのはそこのところだ。
一方で、 勝てなかったチームは、
勝ったチームを徹底的にベンチマークする。
追いかけるチームは、まだ見ぬ世界のために
どんどん変わる。
そのような中、私たちは、
三度(みたび)チャレンジャーとなって、
日本一に挑む。
VISION、そしてV3。
2012年シーズンは、Vを四つ重ねるぐらいの
語気で挑まなくてはいけない。
今週から、千葉ロッテも、JEFもキャンプインだと聞いた。
私たちも、2月4日から、自主トレーニングをスタート。
V4への道の始まりだ。
2012年01月25日
アメフトハイシーズン
いよいよ本場NFLも大詰め。
毎年この時期は、
試合結果を聞かせないでくれ…。という言葉が飛び交う。
アメフト好きにはドキドキワクワクな月曜日だ。
一方で、
私たちが出場したライスボウルは、まだ1ヵ月も経っていないのに、
もうずっと前のことのように思える。
彼の国での盛り上がりはもちろん、
ビジネス規模、関係者の処遇など全て、
日本一と世界一がこれほどまでに距離がある競技もまた珍しい。
仰ぎ見ることもできない頂のように、今は見える。
一方で、アメリカのメジャーリーグ(MLB)と日本のプロ野球。
実は20年前は、どちらも同じ市場規模で、1000億円程度であった。
それがこの20年間の間に、
MLBは6000億を超える市場を創造してしまった。
日本のプロ野球は、ほぼ同じ規模、横ばいである。
野茂選手が日本のプロ野球からアメリカにわたって活躍した頃は、
「トルネード!」「SAMURAI」など、
ファンからの言葉は、ストレートな表現が多かったが、
今回のダルビッシュの移籍では、
「彼は、もう少し契約金が多くて良かったのでは」
「投資効果としては十分期待できる。楽しみだ」というGMのような発言が
ファンから飛び出してくる。
20年間で、MLBはビジネス、産業として成長し、
同時にファン(ステイクホルダー)も育ったのだ。
2012年の日本、そしてアメフト。
これからの10年、20年をどう創っていけるか。
今は、仰ぎみても見えない頂に少しでも近づけるか。
私たちが問われている。
2012年01月08日
厳粛にうけとめ、精進したい
1月3日のライスボウル。
前半は重苦しい展開であったが、後半に逆転し何とか勝つことができた。
JXBの富士通もかなり強かったが、関西学院大学も良く鍛えられていて、
思い切りの良さもあり、学生の怖さを改めて実感した。
ゲームが進むにつれて、オービック側の負傷者が増え、
そのためのインジュアリータイムアウト(負傷者のためのタイムアウト)
の時間が長く試合のテンポが悪くなってしまったこと、
終盤におきた2件のアンスポーツマンライクコンタクト
(スポーツマンらしくない行動、発言)によるパーソナルファウルについては、
多くの方々から、厳しいご指摘、ご意見を頂戴した。
7日にライスボウル後、初めてのチームミーティングを茜浜のグラウンドで行ったが、
その場で私はそのことに触れた。
自分がアメリカンフットボールを始めようと思った時、
偉大な選手の凄いプレイに憧れた時、学生時代の初心、を思い出してほしい。
その初心や初志に戻ってみて、恥ずかしくないプレイをやってほしい。
ということを述べた。
また、インジュアリータイムについては、
自分たちチーム、選手の普段の心がけはもとより、
審判や、協会などの運営側の方々も巻き込んで、
視聴者やファンからの視点も含めた「改善」に取り組んできたいとも述べた。
せっかくの大舞台、日本一を決める試合のクオリティ。
主役はもちろん選手であるが、
ファンの皆さまはもちろん、
日本中のアメリカンフットボール関係者が大切に育ててきたステージ。
これからまた新しい1年、シーズンが始まるが、
いろいろな意味で、成長していくチームとして、 1つ1つ積み上げていきたいと思う。
余談ではあるが、ライスボウルの表彰式後、
優勝カップ、トロフィーを持って、
観客席最前線に降りてきてくれた子どもたちに触れてもらった。
「おぉー」とか「重い~」とか言いながら笑顔で触れてくれた。
「次は、君たちがライスボウルに出て、これを獲るんだよ」と私は言い続けた。
スポーツは未来のためにある。
2011年12月31日
ライスボウルに向けて
今年1年は、本当に慌しく過ぎてしまいました。
想えば昨年の今頃も、グラウンドに居て、ライルボウル優勝を
目指して皆で練習をしていました。
ライスボウルで5年ぶりの優勝を遂げたあとは、
つかの間のオフシーズン、そして震災によるグラウンドの液状化、
日本全体が甚大な被害を受け、電力不足の中での
春季交流戦。そこまでまとまな練習もできず、
グラウンドを貸してくださった、神田外語大学、
千葉大学、早稲田大学、日本大学、そして習志野市企業局の皆さまの
厚意がなければ、今年のオービックシーガルズは、スタートできませんでした。
また、春先の波崎の合宿、習志野・千葉での募金活動や、
土砂撤去などの活動でも多くの方々と出会い、
私たちは、大きなパワーをいただきました。
その流れの中で、春季交流戦の場に立てたことは大きな感慨を
覚えました。
その後、第4回のワールドカップがあり、日本は惜しくも3位。
オービックシーガルズからは、13名という大量の選手を
選んでいただきましたが、皆それぞれ、欧州の高まり、カナダ、アメリカの
背中の遠さを実感して帰国してきました。
7月のワールドカップ後、
震災で液状化したグラウンドが復旧し、
夏合宿からようやく、文字通り地に足をつけた
チーム練習を始めることができました。
施工していただいた日本道路様、マルソル様にも
本当に感謝しております。ありがとうございました。
9月からのリーグ戦は、本当にあっという間で、
チームは、選手を主役になんとかここまで勝ち上がってきました。
初戦のノジマ戦を凌ぎ切ったこと、
休日昼間に開催できたQVCマリンフィールドでのIBM戦、
長居陸上でのアサヒ飲料戦、
準決勝の鹿島戦、決勝の富士通戦、社会人の強豪相手に、
スタンドに参戦していただいたファンの皆様の力は、
本当に素晴らしかったです。特に決勝の富士通戦の
両チームのスタンドの「声」「音」が加わった闘いは、
「これぞアメリカンフットボール!」という気がしました。
一緒に戦った各チームの仲間たちのフットボールへの想い、
勝利への執念、ファンの皆さまの期待を背負って、
年末に茜浜のグラウンドで練習できる喜びを勝利に。
私たちは、あと4日間足掻き続けます。
2011年09月09日
嗚呼、開幕戦。
開幕戦の3日前、習志野のグラウンドで
チーム関係者でキックオフを行った。
今年は、ワールドカップへの参加など
何かと変則的なスケジュールなこともあって
平日の夜に都内に集まるよりも、
日曜の練習後、習志野のグラウンドで
ブースタークラブや応援団の方々を招いて、
みんなで日本一に向けて発進&発信しようという
試みであった。
結果的には、残念ながら台風12号の影響で
公開キックオフとまではいかなかったが。
キックオフの最初は、
野田オーナーからのメッセージビデオ。
「信汗不乱。汗を一杯流して、流した汗を信じれば
心は乱れない。その心で是非二連覇に向けて
精進してほしい」という言葉。
7日の試合は「信汗不乱」とは、
ほど遠いものであった。
オンワードの撤退からチーム一丸で見事Xに復帰してきた
ノジマ相模原ライズのしっかりしたチームづくりに対して、
当方は、あまりにも綻びが多く目立つ試合展開となった。
汗を流して来なかったわけではないが、
流した量や流し方が足りなかったと言わざるを得ない。
チームの方は、
辛勝できたことを大きな機会と捉えて、
次の試合、いや、次の練習に臨みたい。
そして実は、
綻びはフィールド上だけではなかった。
ここしばらくの期間、
裏方、スタッフサイドでも小さなミスが相次いだ。
いや決して「小さな」ことではない。
試合当日のイベントでも、大きな手違いがあった。
チーム全体の責任者として、
ここ2日間は、非常に反省した次第である。
ミス、トラブル…。いわゆるヒューマンエラーでは、
1つの重大なミスのカゲに、
30のヒヤリ!とするような瞬間、
そしてそのカゲには、300のハッ!とする瞬間が
あると言う。
いわゆるヒヤリハットの法則である。
1つのミスをなくすためには、日常から300のハッとする
瞬間をきちんと反省し、なくしていくことが唯一の手段。
チームも、スタッフもしばらくは一丸となって、
300の「ハッと!」をなくしていかなくてはいけない。
野田オーナーがおっしゃった「汗」には、
冷や汗もあったという事である。
ただし冷や汗の場合は、
流すだけではなく、
無くしていかないといけないということは大きく違うが。
2011年07月10日
ヨーロッパの本気度の高まり
昨夜は、第2Q途中からだったが、
日本代表チームとオーストリアの試合をライブストリーミングで
途切れ途切れに追いかけた。
同時に、日本のアメフト復興会議のオンライン観戦を開いて
なんとか戦況を捕まえながらであったが、
藤本選手のインターセプト、
古谷選手のしぶとい真ん中のラン
(末吉選手も丸田選手も日本のランニングバックは健闘していた)、
木下選手のロングパスキャッチなど、
ところどころ良いプレイがあったが、
なかなかオーストリアディフェンスは重厚で、
ここ数年のヨーロッパ勢の進化というか、“本気度”が見て取れた。
メキシコも第4Qでドイツに逆転勝ちだったという。
今回の世界選手権のフォーマットは、
2週間の間に、8ヶ国が、リーグ戦と順位決定戦を行うという、
非常にタイトなスケジュール。
この条件は各国ともに平等…ではあるが、
体格に劣る日本にとっては、若さで行くか、
4年かけてチームを作ってきたチームワークでいくか、
悩みが多かったのではないかと思う。
とはいえ、大会は始まった。
重厚なオーストリアに24-6で勝利した次は、フランス。
そして自国のプロリーグ経験者を多くそろえたカナダ、
と日本代表の戦いは続く。
「あと2勝して、決勝でアメリカと」。
日本代表チームは、必死に戦いぬくだろう。
選手やコーチの必死の現場とは違う視点で、
ヨーロッパの進化=本気度の高まりを、
この2週間を通じて日本協会がどのように受け止めてくるかも、
大きなテーマである。
2011年05月08日
ここからの始まり
5月7日、川崎球場においてようやく今年の緒戦を迎えることができた。
3月11日に地震の揺れがおさまった時に最初に思ったのは、
“やぐらは倒れなかっただろうか””クラブハウスの中で損壊はなかったか”だった。
すぐに冨樫マネジャーに電話したが、実態は、予想だにしなかった
グラウンドの液状化による損壊であった。
後に調べたところによると、地震による液状化が大きな問題になったのは、
1964年の新潟地震だったようだ。
50年近く前から、問題は顕在化していたのだ。
今さらながら、活動拠点を海から100メートルにも満たない埋め立て地に
選んだ浅慮と不勉強を悔やむ。
そのことで、オービックシーガルズの選手たちは言うに及ばず、
JEFの皆さんやジュニアシーガルズの皆さんに迷惑をかけてしまった。
この場を借りて、改めてすみませんでした。
8月には、何とか復旧すべく全力を挙げております。
もうしばらくの不便をなにとぞご容赦ください。
また、それ以上に、千葉大学や早稲田大学、川崎球場、アサヒビールシルバースター、
習志野市の皆さんには、練習場所の提供や手配で大きな協力をいただいた。
GULLS FOR TOHOKUと名乗って義捐活動しながら、同時に助けていただいた。
そのおかげで迎えられた緒戦である。
改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
仲間の温かさをチーム全員が感じた次第です。
さて、「2011年の決意」にも書かせていただいたが、今年は、志そのものが問われる年。
大震災後という節目の年には、尋常ではない「想像力」と「創造力」、「構想力」が問われる。
いまこの「地」で何が起きているか。
これからどのようなことが起きるか。
想い、イマジネーションすること。
今までの旧弊、常識を捨て、自ら「傷=創」を追う覚悟で新しいものを創りだすこと。
可能な限り多くの方々と一緒に、大きな構えで未来を構想すること。
そしてこれらを毎日、毎時間、毎秒、倦むことなく続ける。
それが、+0.01。
ココロと行動が問われる年の始まりである。
試合を見ていただいた限り、オフェンスは、まだ始まっていない。
ディフェンスも、縫い目に綻びがある。
キッキングもミスがあったし、ボールをきちんと蹴ることも叶わない。
フィールドで起きることは全てチーム全員の責任である。
昨日のフィールドに、責任を感じて動けた人間が果たしてどれだけいただろうか。
春の試合は、得点よりも一つひとつの行動やプレイの基盤が大事。
ココロを行動に移すためには、ココロもカラダも技術も鍛錬がまだまだ足りない。
コーチ陣にもイマジネーションが不足している。
果たして選手自身、ワクワクして試合に臨んでくれただろうか。
大きな問いが残った。
この状態からどう巻き返していくか。
幸い、私たちにやれることはたくさんある。時間もある。仲間もいる。
大きな挑戦である。
2011年03月22日
袖ヶ浦4丁目にシャベルチームで訪問。
20日、習志野市の袖ヶ浦4丁目の土砂撤去のボランティアに参加した。
国道より陸側に100Mぐらい入ったこの地域は、
一見した感じでは、異常ないように見えるが、
住宅に近づくと、地震&液状化の影響で、塀が壊れ、側溝が
壊れ、土砂が噴き出している。
習志野市と、住民の皆さんだけで復旧しなければいけないだけに、
なかなか大変なことだと改めて感じた。
4丁目に向かったのは、オービックシーガルズの10名と
一般の方々合わせて約20名。
合計3時間半ぐらい、
一輪車、リアカーを引きながら、シャベルを持って、
活動させていただいた。
運んでも運んでも土砂は尽きない。ラインメンは大活躍した次第だが、
側溝が壊れたままの場所、埋もれてしまった場所が
まだ残っていたが、残念ながら活動時間が終わり、
心残りながらボランティア活動終了。
関係者の皆さん、大変お世話になりました。
普段、休日はアメリカンフットボールをやっている私たちには、
貴重な体験であったとしみじっみ思った。
今後、今なお臨戦状態の遠くの被災地に向けては、
1.01の想いでそれぞれの職場、企業で、経済を元気に回し、
チームとしては、義捐金集め、生活物資集めで協力し、
地元の復旧には、
可能な限り、選手、スタッフが駆けつける
という方針でいこうと思う。
今回活動した袖ヶ浦4丁目はもちろんのこと、
郊外の住宅地は、高齢化している。
災害の時に“自宅難民”になる可能性も高い。
オービックシーガルズが
地域活動を進めていく中で、そういう根本的なことを
学んでいかなくてはと、改めて思った。
さらに、自分は今年50歳であるが、まだまだ若い部類でなければ
ならないと、痛感した次第である。
2011年03月16日
青葉の国を想う
東北出身の市川選手を始めとした選手諸君の強い気持ち
それに応えたい大橋ヘッドコーチの大きい気持ちがカタチとなり、
遅まきながら、オービックシーガルズの義援金口座を開設しました。
この口座がより生きたものになるよう、チーム一同、
頑張っていきたいと思います。
東北道を下って、濃い緑の中を福島や仙台に
家族で車で出かけたことがありました。
オートキャンプ地から地元の祭りに出かけたりして、
皆さんの優しさに触れたことを思い出します。
テレビをつけたら
その優しい人たちがそのままの顔で、
泣いている。悲しさに耐えている。
日本人の故郷、東北。
青葉の国。
この国に再び人々の優しい笑顔が戻り、
健やかな営みが戻ることを
心より祈り、願い、
私たちの小さな力、想いを届けたいと思います。
都内も、放射能などで騒然としており、
たった今も東京電力をはじめ多くの方々が
復旧に命を削っておられます。
私たちにできることは、ほんの少ししかありませんが、
自分にできること=1
それに加えて、1%。
つまり、1.01をみんな積み上げていきたいと思います。
青葉の国を想う力で。
2011年03月12日
東北地方太平洋沖地震
おはようございます。
昨日から、東日本・東北地方で地震が群発し、
ある意味未曾有の状況が起こっています。
被災地の皆様のご無事を心よりお祈りいたします。
オービックシーガルズは、
現在部員の安否を確認しております。
2011年度シーズンインとしておりました、
今週末の練習は休止といたしました。
引き続き皆様のご無事をお祈りします。
また、災害後の様々な復旧でも、しばらくは大変なことにになるかと
思いますが、助け合って乗り切っていきましょう。
Xリーグ全体でも、東京ガスや東京電力のインフラ関係、
鹿島やパナソニック電工などの建築関係の皆さんの中には、
選手やスタッフの 方が現場に張り付いたり、本部で待機したりと
しばらくは大変だと思います。
助け合って乗り切っていきましょう。
2011年01月12日
QUEST
ライスボウルに出場すると、
グラウンドでフットボールという幸せな年末年始を過ごすこととなる。
3日の試合が終わって初めて「あけましておめでとう」という、
晴れがましい気持ちになる。勝てた場合は尚更である。
今年の正月は、2006年にV3を遂げて以来の、
5年間分の”明けましておめでとう”という感じであった。
これまでの時間を長さを改めて実感する。
先週末のグラウンドでの2010年度最終全体ミーティングで
「私がこのチームに来たのが1993年。その3年後の1996年に
1回目の優勝、2年後の1998年に2回目、4年後の2002年に
優勝を逃したもののライスボウル出場、次は2005年。
今回はその2005年から5年かかるという一番長い時間だった」
と吉永ヘッドトレーナーが振り返っていた。
5年かかったのか、5年かけざるを得なかったのか。
特に、ここ3年間は、2007年のワールドカップ、
その後のノートルダムジャパンボウルなど
本場アメリカの力を目の当たりにして日本の強化を強く思った。
(とはいえ決して頂点のチームではないが)
チームとしても、
日本から世界へと続くプロ意識を持った選手を育てること、
フランチャイズを千葉・習志野に定めて、
地域、コミュニティの様々な方々に試合に来て応援して
いただくことを大きなテーマとしてやってきた。
クラブチームという環境の中で、
そのことに挑んだわけだが、今年は一里塚を超えたように思う。
開幕戦の千葉マリンスタジアムに集まっていただいた2,700人のお客様、
そこから始まったリーグ戦。
今までのファンの皆様に加えて、
千葉から、習志野から
子どもたちが選手の名前を書いたボードを掲げて、
オービックの大阪本社や東京本社の会議室の
ルール説明会にも毎回大勢の社員の方々が駆けつけ、
スタンドでの声援の核になっていただいた。
特に2NDステージ以降のスタンドの応援はすさまじく、
3RDダウンに聞こえてくる大声援は、
本当に選手の背中を押していただき、優勝への
階段を登るチカラとなった。
まさしく12人目の選手が参戦し、皆で勝ち取った日本一。
ライスボウル終了後の勝利者インタビューで、
「皆さんおめでとうございます」と大橋ヘッドコーチが
開口一番の挨拶をしたのは、
正直なところ、チーム全員の気持ちである。
選手たちも、
プロ意識を持って一つの階段を上ってくれたように思う。
「毎回の練習で、チャンピオンシッププレイヤーを選びます。
チャンピオンシッププレイヤーとは、明日ライスボウルだったら、
絶対に試合に出場してもらいたい選手のことです」と大橋ヘッドコーチが
夏の練習から始めた新しい試み。
これも選手たちとのミーティングで生まれた。
ちなみに、
ライスボウル当日のチャンピオンシッププレイヤーは31人までになった。
以前、雑誌『ナンバー』で特集されたスポーツの箴言集の中に、
どこかのプロ野球チームの監督さんの言葉があった。
「アマチュアは、チームがまとまったら勝つ。
プロは、勝ったらチームがまとまる」
この“勝つ”を一人ひとりの勝負に置き換えれば、
一人ひとりが、自分の勝負に勝っていけばチームは勝ち、
そしてチームはまとまる。と言い換えることができる。
多様性。
様々な環境の中で普段は全然違う生活や課題を背負っている選手たちが、
アメリカンフットボールで日本一になるというただ一点の共通点のために
週末にグラウウンドに集まってくる。
平日はメールを発信し、ジムに通い、
あるいは誘い合って習志野グラウンドに集まったり、
皇居の片隅に集まったりして、
一人ひとりの勝ちから積み上げていく。
「今年のディフェンスは、自分が考えるディフェンスを押し付けるのではなく、
一人ひとりがどうやったらのびのび活躍できるかを考えたディフェンスを
創り上げた」とデイフェンスコーディネイターを兼ねた大橋ヘッドコーチ。
選手が主役でワクワクするフットボール。
傍目では「ハラハラ」も多かったが。
確かに、選手が輝いた一年。輝かせた人たちが選手たちと一緒に光った一年。
とはいえ、
登録メンバー全員がチャンピオンシッププレイヤーになったわけではない。
ちょうど半分だ。
ライスボウルに出場して活躍した選手でさえ、まだまだ不十分なので
2011年度も頑張りますと、追求を続ける。
まさにQUEST(追求)だ。
2010年度は、終わろう。
ただ決して粗末にするのではなく、これまでの歩みを大切にして
次に進む。
さらに追求する、QUESTの旅。
「その先」にまだまだワクワクがある。
2011年01月03日
勇気×元気
ライスボウル当日の朝を迎えた。
お正月は、サッカー天皇杯、高校サッカー&ラグビーに加えて
大学ラグビーと日本選手権が続く。
フットボールの頂点の季節でもある。
アメリカでも、元旦から様々なボウルゲームが開催され、
朝から夜まで全米がアメリカンフットボールの中継に
釘づけとなる。
寒い冬から体作り、チーム作りをはじめ、
春の試行錯誤、土台固め、
夏の鍛錬、秋から始まる戦いを潜り抜け
凌いできたチームが1年間の総決算として、
日本選手権、ボウルゲームに出場する。
アメリカでは、それを祝祭としてとらえて、
ボウルゲームには、その地方の特産物・名産物の冠が
つけられ、その地方全体を巻き込んだフェスティバルとなる。
ローズボウル、オレンジボウル、コットンボウル、シュガーボウル、
などなど。
日本では、ライスボウルとなり、今年で64回を迎える。
もともとは、東西学生のオールスターゲームであったが、
奇しくもオービックシーガルズが活動を始めた
1984年から学生の日本一と社会人の日本一が争う日本選手権となった。
過去27回で社会人が15勝とかろうじて勝ち越しているが、
学生がリードしてきた日本のアメリカンフットボール界では、
まだまだ学生の地力が強い。
私たちも一生懸命準備をしたが、挑戦者として最初から最後まで
集中しないと今日は勝利できないであろう。
学生日本一となった立命館大学は、
関西学生リーグで昨年の覇者関西大に敗れながらも、粘り強くプレーオフに
持ち込み、二度目には関西大を下して駒を進めてきた、成長曲線の高いチーム。
今日の戦いは、
総合力としての強豪立命館大学&スタッフに加えた
学生選手の元気、スピードに対して、
オービックは、倍以上の元気、スピード、そして、
学生チームに対してそれをやりきる勇気が必要だと思う。
しかも、立命館大学を上回るためには、
元気、スピードにも質の違いが必須であろう。
いずれにしても、ボウルゲーム。
日本のアメリカンフットボールの最終戦として、
ファンの皆様や関係者、何よりも両チームにとって、
一番大きな実りを実感する試合としたい。
2010年10月31日
あすなろの想い
10月最後の日曜日の今日、
台風が去ったあともまだ曇天の習志野グラウンドで、
吹田戦に向けた本格的な練習を行った。
つい1週間前には、富士通との激闘をしていたことが
遠い過去のように思える。
今さらながら、富士通に勝つことが出来て良かったと思う。
もっというと、春から頑張ってきた選手たちに勝たせてやることが出来て
本当に良かった。
コーチ、スタッフ、そして雨の中ものすごいパワーを頂戴した
スタンドの応援団の皆さんに改めて感謝を申し上げたい。
また、何よりも、前半の劣勢を跳ね返した選手諸君に
称賛を贈りたい。
実は今年、シーズンインの9月頭に、
大橋ヘッドコーチ、古庄主将、そして副将のKJと4人で
鹿島神宮にお参りに行った。
いつもやらないことをやってみようと思ったのと、
知人の勧めでもあった祈祷であったが、
モノの本を読むと、
神様には、単なる「願い」は、通じないという。
私は、これこれこれだけのことをして、
かくかくしかじかに、臨みます。
かくなるうえは、その私に最大限のチカラをお授けください。
というのが“筋”らしい。
鹿島神宮での祈祷の際にも、
どのようなリーグのいつの試合で、どう勝つのか、
具体的に書いてください、と宮司さんがおっしゃっていた。
つまりは、お願いでも、お参りでもなく、
神様の前で、私たち4人は、誓ってきたのである。
西洋の神様も神は自ら助くるものを助く。と言う。
東西違ってもそこは、同じであった。
話は少し違うが、
あすなろの木というのがある。
漢字で「翌檜」と書き、檜(ひのき)に似た木であるが、
檜のように大きくはなれず、いつも「明日は檜になろう」と思っているという。
井上靖氏が書かれた『あすなろ物語』の題材にもなった。
明日は必ず檜になろうと、頑張る。そのまっすぐな心、本気な心が
あすなろの想いである。物語の話は置いといて、
チームを率いて27年になるが、私たちのチームには、
あすなろの想いが常にあるように思う。
1996年度の初優勝の時も50人そこそこで戦ったし、
その中には、多数の二部校出身者が居た。
2005年度のシンデレラQBは、練習生から頭角を現した
#15龍村選手であった。
絶対ヒノキになってやる!という想いで頑張る
あすなろの木がヒノキになるチームでありたい。
切ない想いかもしれないが、そこは大切にしてきた
チームでもある。
このリーグ戦の5試合でも、印象に残っているのは、
そういう切ない思いで、ひたすら練習に取り組み、
結果を出してきた選手たち。
例えば、通称ガンバ、WR#28須賀将。160㎝の小柄な体で
入部5年間努力を続けてきた。彼は、先般の日本ユニシス戦で
入部して初めてタッチダウンパスを捕った。
彼は、プライベートでも苦労をした。
名前の通りガンバルマンだ。
2ndステージ以降は、1試合1試合どころか、
1プレイでチームの命運が決まる。
スペシャルプレイもあれば、ちょっとした勝負の綾が
勘所になる。
1試合目の吹田には、過去に大勝しているが、
アメフトの場合、年が変わるとチームは全然変わる。
むしろ吹田のほうが「あすなろの想い」が強いチーム。
パナソニック、アサヒ飲料の二強豪と接戦を演じた地力は、
本物であろう。
IBMも、今年から新体制になり、捲土重来を期している。
このチームも今年こそと「あすなろの想い」が強い。
油断どころか、挑戦者でひたむきに対峙しなければ、
足元をすくわれる。
どーんと構えた鹿島、パナソニック、富士通、アサヒビールが居る
ブロックとは違う、あすなろブロック。
私たち一人ひとりの切なる想いがどれだけのものか、
そして、それをどれだけ成就させられるか、
どれだけ全員が、そのことに集中し、最後まで頑張りきれるかが、
勝敗を分ける。
今はまず、この2チームに勝つことだけを考えたい。
2010年09月22日
内面を磨くとき
ここにコップがあり、水が半分入っている。
もう半分なくなってしまったと捉えるか、
まだあと半分もあると考えるか。
何事もポジティブシンキングで捉えた方が、
良い結果になるという、有名なたとえ話である。
春から、たくさんの研鑽の日々を重ねて、
リーグ戦に突入し、2試合を終わったところで、
ライスボウルまであと、102日。
そのための最大の関門である、
富士通戦までは、あと31日。
全体練習でいうと試合も含めてあと、10回。
10回しかないと思うか10回も残されていると
考えるか。31日をすべて使って654時間と
して使うか。
これはまさにフットボール。
試合開始から、未来に対して残された時間を
どう使うか、という“使い方の戦略”が問われる。
もちろん、過去に学ぶということも必要であるが、
過去にとらわれすぎたり、ひきずられたりしては
相手の思うつぼなのである。
21日の試合では、
明治安田パイレーツが、
どんな状況でも第4ダウンでパントを蹴らず
捨て身で戦ってきた。
最初の第4ダウンを迎えたときに、
彼らは自陣深いところからであったにもかかわらず、
フェイクプレイでランを強行し成功させた。
その時からそれは始まったのである。
通常ではない、戦い方をしてくる相手。
難敵である。
相撲で言えば、がっぷり四つになれないカタチか。
それを何とか封じ込めて、前半を17-0で折り返した。
私はそこにチームの成長を感じる。
思い切りの良い走りをした#35ランニングバック山﨑選手、
マンツーマン守備を振り切って
タッチダウンまで持っていった#83清水選手、
しぶとい相手の走りに激しく対応した
#11KJ選手や、#92紀平選手、激しいタックルを見せた
#9塚田選手、#3滝澤選手…。
後半に入っても、明治安田の戦法は変わらず、
ついに、パスディフェンスのわずかな綻びを射抜かれて
タッチダウンパスを許す。
その後、第4Qに入って1つタッチダウンを積み上げて、
24-7で試合は終了。
「ピリッとしなかったね」
「もっと、点を取らなきゃ」
と感じた人も内外に多かったであろう。
選手自身も「この、2試合、なんか爆発できてない」
と思っている節もあるかもしれない。
私自身も、あれ、こんなはずでは……?
という思いが横切らなかったといっては嘘になる。
パナソニックや鹿島や富士通は、開幕から50点くらいの
大量得点で勝ち進んでいるから、なのか。
あるいは、自分たちは日本一を目指しているのだから
もっと強いはずだ……、なのか。
しかし、
この局面では、敢えて、結果にだけ目を向けるのは、
やめたいと思う。私たちは決して強くもない。
また、24点がダメで50点が良いという結果主義に
陥るのも良くない。
要は、一人ひとりの選手、一つひとつのプレイが
どのようなプロセスであったか、どのような挑戦をできたのか
というところに目を向けたい。
もっと言うと、どのような意図で一人ひとりの選手が
一つひとつのプレイをしたのか、していなかったのか。
内面に目を向けるべき時である。
例えば、
最初の#85萩山選手のパス補球後のランニングでの落球。
それがどのような意図を持ったプレイで、なぜ落球に至ったのか
そのプロセスと内面を掘り下げて、もう一度磨きなおすこと。
神は細部に宿る。
と有名な建築家の言葉にあるが。
その細部にこだわって、その細部から自分のプレイを
構築し、チームとしてのプレイに仕上げる。
1プレイ1プレイが居合抜きのような
「技」として完成してこそ、凄みが出てくる。
サイゼリアは、1つの定番メニューを最低1,000回は、
吟味しなおすと、以前テレビで特集されていた。
低価格でおいしいあの“いつもの味”は、
1,000回の鍛錬で磨かれていたのだ。
あと10回もある練習で、
内面を掘り下げ、凄みのある自分の定番技として磨く。
今がその時である。
ちなみに、オービックシーガルズが
最初に日本一をとった1996年度のリーグ戦の戦績は、
すかいらーく 19-9 〇
鹿島 20-26 ●
レナウン 29-22 〇
NEC 53-21 〇
オンワード 28-21 〇
と、大勝は、NEC戦のみ。
その時のチームの5つの言葉は、
FINISH IT
EXECUTION
DESIRE
EFFORT
ATTITUDE
の5つ。5つとも内面に起因する言葉であった。
2010年09月08日
二年目の絆
昨年に続き千葉マリンスタジアムでの開幕戦。
2週間にわたって海浜幕張駅前やベイタウン祭りで声を張り上げ
ちらしを手渡ししてくれた順天堂大学サッカー部の皆さん、
地元千葉大学と神田外語大学のアメフト部の皆さんは、
初めて観戦する方のためのルール解説役“がるなび”を
かって出てくれた。
その他にも、25日から始まる千葉国体のマスコットちーばくんを
始めとするスポーツ振興協会の方々、
JEFのジェフィくんとユニティくんとJEFの皆さん、
そしてご当地千葉マリンスタジアム、ロッテのかもめのまーくんと
チアリーダーのMスプラッシュの皆さん、
開幕戦に千葉まで遠征してきてくれたハリケーンズの皆さん、
何よりも、千葉から、東京から、駆けつけてくれた観客の皆さん、
実に多くの方々が集い、一つの空間を創っていただいた。
昨年は、1,500人であったが、今年は倍の約3,000人。
他のプロスポーツと比べると小さな積み上げであるが、
大きな二歩目である。
キックオフの時間が近づくにつれて
続々とスタンドに入ってこられる皆さんをお迎えして、
胸が詰まり、
試合後の選手たちのお見送りの挨拶で、子どもたちに
ずっと囲まれている選手を見たときに、絆を感じた。
一方で、
野球スタジアムの外野での観戦。
試合の状況や残り時間を示す電光掲示板がない、
入口が一つで、入退場に時間がかかる、
開店していただいた売店も少なかった。
バックスクリーンのゾーンを挟んで、
オービック側とハリケーンズ側になってしまうので、
オービック側に座れなかった方々は、
やむなくハリケーンズ側に行っていただくしか誘導できなかった…。
初めてアメフトを観戦する方は言うまでもなく、
「不」が多かったことも事実。
GMとして大いに反省し、今後への課題であると
認識している。
スポーツはエンターテインメント産業であるからだ。
順天堂大学の皆さんとは、
5,000人の動員を目標にしていたので、
仮に5,000人がいらっしゃったら
もっと大変なことになっていたであろう。
試合後、時間の許す限り子どもたちと交流してくれた
選手の中には、今日の始発で関西や名古屋に戻り、
朝から働いている選手がいる、
もちろん他の選手たちも、普通に勤務している。
昨日の空間を創っていただいた全ての方々の
「不」を解決していくことが、プロを目指す私たちの大きな責任である。
2010年07月03日
7月1日に刻むこと。
7月1日パールボウル。13-15で富士通に逆転負け。
オービック野田会長の
“私の履歴書”(日経新聞で6月1日~6月30日に連載)でも触れていただいたこと、
専門誌『タッチダウン』の7月発売号でも
オービックシーガルズのクラブチーム運営が記事になったこと、
何よりも、
シーズンインから「春の優勝」を意識して、ここまでチームの流れを作ってきただけに、
さすがにこたえた。
13-9で試合終了まであと数分というところまで粘ったので、
そこから逆転されたことはもちろん、
最後に1分12秒の時間と、3回のタイムアウトを残しての攻撃で、3点のFGを取れなかったことも
本当に悔しい。
同時にチームとしては大きな反省点が残る。
もっというと、13-9で勝てば良かったのか、というとそうでもない。
前半に相手のロングスナップのミスでゴール前で攻撃権を得た時や、
後半に紀平選手が相手のパスをカットして
そのままインターセプトした後に得点できなかったことを考えると、
20-9あるいは、23-9で勝たないといけない試合であったように痛切に想う。
この春から、選手たちに、よりプロフェッショナルな取り組みをしてもらおうと、
自覚とモチベーションアップの施策をいくつか行ってきた。
“選手が主役でワクワクするフットボールで勝ちきる”
という基本方針もその象徴であり、コーチ陣容も新しくした。
明日がもし、ライスボウルだったら、この選手達で戦うという“チャンピオンシップメンバー”
を毎週選んで貼りだしたり、
ちょっとしたご褒美(アイスクリームやサプリメント)がもらえるような冷蔵庫を設置するなど、
競争意識を醸成したりもした。
そして7月1日を迎えたわけであるが、選手たちは本当によくやってくれた。
この試合に集まってくれた1万4,000人のお客様も、
オービック、富士通双方の選手がどれほど頑張ったかは、
良くご理解していただいたのではないかと思う。
また、富士通スタンドから聞こえてくる扇子の音と、
オービックスタンドから聞こえてくる「オービック!」
という声の応援合戦には、正直震えた。
両軍のお客様たちも凄かったのだ。
となると、一番反省すべきは、私たちスタッフ、そしてコーチではないだろうか?
選手に「プロ意識を持て!」と言う以上、
私たち自身が「プロ」でなければならない。
選手の1秒はコーチの1時間という言葉もあるが、
私たちスタッフ、コーチは、どれだけの「プロ」だったのか?
勝負としては、最後の1秒までどちらが勝つかわからないスリリングな展開で、
そういう意味では面白い試合だったといえるかもしれないが、
あの7月1日のパールボウルは、「これぞ、日本のアメフトの頂点」と
言える試合だったのであろうか?
両軍合わせて一体何本のタッチダウンが見られたのか?
ワクワクするようなプレイが随所にちりばめられていただろうか?
私は「否」と自戒を込めて答えたい。
選手の努力や駆けつけてくださった観客の皆さんに対して、
「プロ」として責任を果たせなかったことを痛切に反省している。
今、うちのコーチ陣は、秋に向けて準備を開始しているが、
まずは、この事実を真摯に受け止めること。
「自分たちは、何屋なのか? 何のプロなのか?」
という自覚を持つことから
あと184日後に迫ったライスボウルまでの階段、
それ以降に続いていく階段を上っていきたい。
2010年06月25日
岡田JAPAN決勝トーナメント進出!
「思っていた以上に喜べなかった」
サッカーW杯デンマーク戦で
野球などでいう「ダメ押し」の3点目を取った本田選手の弁。
カメルーン戦の後
「試合終了のホイッスルが次の試合の開始のホイッスル」
とおっしゃった岡田監督。
1993年にJリーグを発足させ、
17年かかって辿りついたアウエイでの決勝トーナメント進出は、
日本サッカーに関わったすべての人たちの大きな一歩であることは間違いない。
そしてそれは、今、日本中でサッカーをやっている
どれだけ多くの少年少女に夢を与えたことだろうか。
「日本(人)初!」というシーンのたびに
“We choosed go to the moon”
という有名なケネディ大統領の演説の一節を思い出す。
当時、確証もなかった「月面着陸」という人類の夢を目標に据えて、
何万人の人が努力を重ねて、その代表として宇宙飛行士が月面に立った。
個人の想いと組織の情熱。
私が昔在籍していたリクルートという会社は、
そのシーンを“情報が人間を熱くする”という言葉でCMに切り取り
19888年に放映した。
昨日から関西にきて、関西のフットボールの諸先輩にお会いしているが、
日本のフットボールの「夢」「目標」についてしみじみ思う。
話は遠く40年前にさかのぼるが、1970年代は、
本場米国への挑戦の黎明期でもあった。
NCAA(アメリカの大学)の強豪チームが来日し、
日本のチームと試合を行っていたし、
アサヒビールシルバースターの阿部監督に聞いたところ、
クラブチームもハワイやグアムの米軍基地に遠征し、アメリカと試合をしていたという。
スポーツをやる以上、世界と勝負をしてみたい。
いや、世界と勝負してこそ、競技スポーツであるということを
当時のアメフト界の方々はピュアに思っておられたのではないだろうか。
そういう“若さ”は、スポーツの持つ大きな魅力であり、存在意義である。
日本フットボールの「夢」「目標」をどのように創っていくのか?
来年はオーストリアで、
4回目のアメリカンフットボールのワールドカップ
(イタリア→ドイツ→日本→オーストリア)が開催される。
今回は8カ国での対抗。ドイツ、アメリカ、カナダ、メキシコなど
プロチームからの参加はまだないにせよ、前回よりも間違いなくハードルは高い。
15年目を迎えたXリーグ、
日本選手権となって27回目を迎えるライスボウル、
第4回のワールドカップの先に
どのような目標を描くのか。
それはチームやリーグを運営する私達の大きな仕事である。
2010年05月17日
歴代主将会を5月15日に開催!感動した!
その人たちは確かに居た。フィールドで燃えていた。
初代…稲葉泰成(慶應大出身)
二代目…中谷秀直(東大出身)
三代目…並河研(筑波大出身)
四代目…鈴木聡(早稲田大出身)
五代目…鈴木仁(近畿大出身)
六代目…池之上貴裕(関西学院大出身)
七代目…遠藤紀彦(一橋大出身)
八代目…仲益史(甲南大出身)
九代目…木下雅英(明治学院大出身)
十代目…遠藤紀彦(二回目)(一橋大出身)
十一代目…庄子達郎(中央大出身)
十二代目…古庄直樹(現役)(立命館大出身)
これは、オービックシーガルズの歴代主将の名前である。
■稲葉さん
「とにかくチームを創ろう。いろんなことやってみて、
あかんかったらまた、新しいことやれば良い」
草創期から現在までフィールドだけではなく“男稲葉”として
現フロント陣を始めスタッフ、代々の選手幹部を支えてくれた…。
■中谷さん
「弔い合戦だ!絶対にリーグ戦で優勝しよう」
二代目主将として草創期の同好会チームを引っ張った。
日航機事故で亡くなったチームメイトの寺西君の為にも
優勝しようとチームを鼓舞してくれた…。
■鈴木(聡)さん
「何やってんだよ!練習の準備しなきゃ!」
一部に入った頃のチームを何とか仕立て直そうとしてくれた。
当時のグラウンドは土のグラウンド。
練習前に鈴木さん自らが率先して線を引き、グラウンドを整備していた。
雨の日に「練習どうしよう…」と会議室でぐずぐつ言ってた幹部に向かって、
グラウンドからずぶぬれになって戻ってきて、叱りつけてくれた。
シルバースターに残り1秒で追いついた時にタッチダウンパスを捕った彼の姿は
永遠に忘れない。
■鈴木(仁さん)
「やいやいゆうな!やったらえええねんやろ!」
チームが不振を続け幹部もコーチも入れ替わった時期に主将を引き受けた。
男気そのものの人。怪我に悩まされながらも常に試合に出場、やってみせる姿
でチームを奮い立たせた。
そもそも関学を倒すために近大に入った闘将。
熱いプレイはDBのシンボルだった。
■池之上さん
「ええか、みんな!必死のぱっちやで」
関学時代に3年で主将になり、チャックミルズ杯にも輝いた豪傑。
人一倍練習し、初めてシルバースターに勝った時の試合では、
ノーズタックルとして、相手のオフェンスラインごと
ランニングバックを押し返していた。鬼神。
必死のぱっちでやろうという彼は、
日本人初のプロプレイヤーとしてドイツにも渡った。
■遠藤さん
「おもしろくないなぁ…」
超人的な体力、運動能力、精神力。
彼にとってはどんな激しい、厳しい練習も楽しいものだった。
激しくて、厳しくて、緊張感あってドキドキするそれが面白い!
そうでないことはおもしろくない…という、
彼がおもしろくない、と言い出すと周りは緊張した。
ディフェンスエンド、ラインバッカーとしてフィールドを面白く激しく暴れまわり、
相手QBを追いかけまわした姿は忘れられない。
■仲さん
「もう、けつ割れましたわぁー」
ディフェンスバックの熱さを引き継ぐ。
練習後も近くの海岸まで走り込みに行って、
それこそお尻が割れるような感覚まで自分を追い込む。
オービックシーガルズには、
類まれなるセンスを持つ選手も大勢いたが、
決してそうではなく、経験もない選手も大勢いて、
皆、ひっしのぱっちで、けつ割れるくらい練習し、思いっきり、フットボール
を楽しんでいた。
そんな象徴が仲さんだった。
■木下さん
「デイビッドのテクニック使えますよ!」
明治学院出身で、温厚で理知的なディフェンスエンド。
しかしプレイは鋭く、必ずPOA(ポイントオブアタック)に詰めより、
遠藤や海本、庄子選手たちとディフェンスエンドとして活躍。
テクニックの吸収力も抜群で、デイビッドヘッドコーチの申し子の
ような存在でチームを引っ張ってくれた。
■庄子さん
「本気?」
中央大学時代はラインバッカー。
しかし彼のスピードと身のこなしに天性のものを見出した
デイビッドヘッドコーチは彼をディフェンスラインにコンバート。
Xリーグ屈指のスピードDLとして活躍、
オービックシーガルズのスタッドディフェンスの看板になった。
そんな彼は、常々「本気」ということを大事にしていて、
チームDNAを創ったときには、そのコンセプトを
チームDNAの「本気」という言葉に結晶化させてくれた。
“東京ドームで闘う主将のブログ”
も記憶に新しい。
前置きが物凄く長くなってしまったが、
この歴代主将が、15日に習志野グラウンドに集ってくれた。
テーマは「OB会をオービックシーガルズらしくやるには、どうするか?」
という漠としたものであったが、
事務局サイドが出したある種無難な提案に対して、
次から次へと、「おもしろ」くて「本気」で「必死のぱっち」にやれるような「けつの割れる」
提案が相次ぎ、たった2時間の間に、原案がどんどんブラッシュアップされていった。
原案は、「年に1回くらいOB(250人くらい居る)で集まって、活躍しているOBの話を聞く」
それが…「活躍しているといっても、何かテーマがあった方が良い、
例えばリーダーシップとかイノベーションとか」
そして…「とはいっても何か目標があった方が、ただの勉強会だとせっかく集まる理由にならない」
となり…「OBだから、何か過去の話というよりも未来につながることをやりたい」
例えば…「チームが困っていることをOBが助けていく、その報告会とかはどうなのか?」
だったら…「クラブチームなので、雇用が一番テーマかなぁ…」
いやいや…「それは、ちょっとレイヤーが下ですね。何の為に選手を雇用していくのかが大事」
だとしたら…「チームのビジョンや構想を新たにしてそれに向かうというのはどうか?」
なるほど!…「具体的にするなら、チームからNFL選手を輩出するというのはどうかな」
面白い…「チームとしてアメリカに勝つ!という目標を決めよう」
で、全員が納得。
アメリカに勝つビジョンをまず来年の1月に発表し、
それにOBも含めた皆さんの力を借りたい。お願いし、
その後、様々なプロジェクトを起こしてその経過報告を
毎年1回やろう!ということになった。
このほかにもいろいろ「クリエイティブ」な話が飛び交った。
これからに乞うご期待である。
まるで、みんなで一試合をしたような2時間。
歴代主将会は、興奮気味に第一部を終わり、
その後懇親会へとなだれこんだわけである。
(懇親会では、もっと話がエスカレートしたのであるが)
私個人は、自宅に帰ってそのことを思い出して
涙がとまらなかった。
感動した。
その人たちは、
今も、これからも居るのだ!
選手が主役でワクワクするプレイで勝ちきるチーム。
これが"2010年の私たちのスローガンでもあるが、
OBOGまで含めて、日本のフットボールをワクワクさせる
そのことをやりきるための第一歩が踏み出せた日であった。
2010年05月13日
いよいよ3日後に2010年スタート!
2010年の初戦、ハリケーンズ戦まであと3日。
いよいよかというワクワク感と、
もう、シーズン始まってしまうよぉ!という焦燥感を感じる。
パナソニック3連続敗戦による昨年のシーズンオフから
早6ヶ月。
コーチング体制も変わり、トライアウトも終わり、
日々新たに今シーズンを創ってきたが、
どこまでベースを高めることができたか。
試合は、勝負ごとなのでその見極めが難しいことも承知で、
もう、明日試験なのか!という学生のような気分が残る。
特に私の仕事はGMなので、ヘッドコーチや選手に対して
環境という器を創るのが一番大きな仕事、
つまり、シーズンが始まってしまうと
仕事の半分以上は終わっているのである。
一方でチームは生き物なので、
シーズンが始まって“今年の顔ぶれ”を見ながら
創っていかざるを得ない部分も多く残る。
加えて日常的に同じ釜の飯を食えないクラブチームは
正直、毎週末の「顔」を見ながら創っていかざるを得ない。
そういう意味でも、
「ワクワクするフットボールをやりきって、
選手主役で勝っていくのが、オービックシーガルズ」
や「本気がDNA」という風に、
言葉として結晶化していくのは重要なことだ。
そんな意味で、
学びたいチームをまた見つけた。
草野球日本一を標榜し、実際に、2,000チーム登録されている
チームの大会で連覇を果たしている“東京バンバータ”。
このチームには、何とスポンサーもついているし、
チーム名、チームカラー、グッズなど、オリジナルにこだわって
選手の「士気」を高めている。
5月7日の日経産業でも一面で紹介されている。
リンク栃木や、東京バンバータ。
他にも学ぶべきチームはまだまだあると思う。
彼らの偉業には、及ばないとしても、
少なくとも「志」のあるチームとして初戦を迎えたい。