並河 研GMブログ“日本から世界へ”

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2009年05月

2009年05月31日

“チームウエア”への取り組み


昨日5月30日、パールボウルトーナメントの準決勝で
富士通フロンティアーズと対戦し、ディフェンスの粘り勝ちで20-17と辛勝。

6月19日のパールボウル進出を果たすことができた。

 

昨年は、同じ準決勝で富士通に逆転負けを喫したが、

今年とは違う、春を鍛練期と位置づけていた。

したがって、準決勝でもほぼ全ての選手をローテーションで出場させ、

試合経験を積ませて秋への備えとすることを主眼においていた。

 

オープン戦…というほどリラックスした試合では決してないが、
比較的自由度を高くして試合に臨んだ。


昨年の富士通戦は、オービックが先制し、

その後も選手たちも伸び伸び戦っていたが、
後半になって徐々に富士通が地力を発揮、富士通の若手レシーバーが
続々とパスをキャッチしては、オービックの若手DBをやすやすと振り切って
ゲインを重ねて、ついに逆転負け。


これを目の当たりにした選手たちから、試合後に…
チーム運営についての疑問の声が上がる。

 

“春、経験を積むことが大事なのであれば、富士通に何としても勝って、

 春の決勝という大舞台でより強い鹿島と試合をすることが

 一番の経験になるのではないか?”と。

 

打ち手というものは、常に意志、意図があるが、はずれることもある。

 

昨年、多くのベテランメンバーを抱えていたオービックのコーチ陣は、
春に若手を鍛えることが、秋の決勝トーナメントを戦い抜く資源になると

考えて「全ての若手に試合経験を積ませる」ことを主眼に、
春~夏のチーム強化計画を組んでいた。

 

しかし、2008年シーズンを終わってみれば…結果として…
春の決勝で戦いたかった鹿島ディアーズに、リーグ戦決勝で惜敗。
決勝トーナメントのファイナル6の1回戦では、
パナソニック電工に先制するも、後半に逆転されて敗戦。
ベスト6止まりの戦績に終わってしまったのである。

 

“鍛えること”とは、いったい何なのだろう?

 

フィジカル(身体能力)
スキル(技術)
スキルを支えるナレッジ(知識)


という見えやすいものだけではなく、

 

思考やメンタル(精神)といったマインドウエア。

あるいは、個人だけではなく、
チームまで見渡して鍛えて行かなければならないのではないか。

 

ハードウエア(身体)
ソフトウエア(スキル&ナレッジ)
マインドウエア(思考、精神)
パーソナルウエア(個人)
チームウエア(組織全体)

鍛える部分はもっと大きく深いのではないだろうか? 

 

ハード、ソフトは直接選手たちに触れるコーチやトレーナーの担当領域であるが、
それを支えるマインド、全体を機能させるチームの領域は、
コーチ、トレーナーだけではなくオペレーションスタッフ、フロントスタッフ、
そして何よりも選手たち自身がその「創造」に主体的にかかわらなければ
ならない。

 

さらに、チームや個人を支える「環境」までも視野に入れていかないと、
総合戦では勝てない。はたして環境というものが鍛えられるかどうかは

別にして…。(整える…ぐらいか)

 

今年の新人選手研修で、2年目の選手がゲストスピーカーとして参加し、
「去年のシーズンは、結局最後まで“新人気分”が抜けませんでした」
というコメントを異口同音に語り、私は少なからずショックを受けた。

 

「チャンスは平等に準備するから、
 秋の後半の試合までに、一人前になれるよう頑張れ…。」

 

チームからこのようなメッセージを受けた新人選手や若手選手たちは、
それなりに頑張れば、オープン戦やシーズン前半の楽な試合には出場できた。

 

しかし、決勝進出を掛けた最終戦で一体何人の新人選手が出場し、活躍したのか?
と問われると、残念ながら満足な結果を得られていない。

ここぞ、という試合に新人を出せてこそ“鍛えがい”があり、育てた人が褒められるのではないか?

“楽な試合ではチャンスは平等”では結局人が育たなかったのである。

そして楽な試合は、おそらく楽な練習を生み出していたのだろう。

それはつきつめれば、楽なフットボールライフにつながっていたのではないか? 


おそらく、最終戦のパナソニック電工に負けて悔し泣きをした新人選手は、

一人もいなかったであろう。多くの選手が「新人気分」だったからである。

試合に出られなかった多くの中堅選手も同様であったに違いない。


練習は、常に試合と同じ。

毎週の練習=試合で自分を鍛え磨き上げる。
1プレイのミスの重さは練習でも試合でも同じ。
個人もチームも全体でそのことに取り組む。

 

そしてどんな試合であっても、オービックらしく勝てるメンバーで挑み、
チーム全体で「チャンピオンシップ」を常に意識した試合を行う。

新人も中堅もベテランも可能な限りの努力を行い自分を磨く。


練習のスクリメージでさえも出られなかったら悔しく思い、
自分を叱咤激励する。

練習よりも試合が楽だった…。そう思えるまで集中する。

そう思えるまで自分ができることに挑み続ける。

 

そうなれば「新人気分でした…」という言い訳はなくなる。

 

こういうチームワークを創り上げること。
コーチやトレーナー任せにせず、選手が主人公となること。
フロントも事務局もそれぞれに精一杯考え、戦い続けること。

 

これが私が春の始めに掲げた“強化システム自体の強化”の基本構想である。

 

移籍組の活躍もあり、辛勝した昨日。
久々のチャンピオンシップゲームへの切符を手にすることができた。

 

試合そのものは、
ここ一番で集中力をみせたディフェンス陣に比べて、
前半から3Qまでミスを連発し試合の主導権を握れなかったオフェンス陣など

反省点も大きいが、決勝進出の意味は大きい。

 

ここ2週間の選手たちのメーリングリストでの発信や、
平日の練習の参加度などのコミットメントを考えると、
明らかに去年の春とは違う、チームウエアづくりが始まったと確信するからである。

 

2009年05月17日

2試合を終了して

 

本日、川崎球場においてパールボウル予選の第二戦である
明治安田生命パイレーツ戦が行われ、
第一戦の日本ユニシスブルズに続いてお蔭様で勝つことができた。

ここ3年で過半数が入れ替わった、新しい、若いチームにとっては、
貴重な試合であり、特に今年は攻守のコーディネーターも交代したので、
2試合である程度の結果が出たことには、ほっとしている。

 

アメリカンフットボールチームは、毎年毎年の対戦相手を分析し、

チームを創っていくスポーツであるので、ある意味「相手次第」でもある。

おそらく、毎年強いチームには2種類あって、

・どんな相手が来ても自分たちの力(パワー、プレー、戦略)で
 相手を圧倒できるチーム。

・それ相応の地力があって、その上に相手チームの分析と

 それを打ち破る戦略性で相手を凌げるチーム。


前者は、全盛時を誇った日本大学フェニックスや、
今年のライスボウルでもパナソニック電工を破った学生界の雄・立命館大学パンサーズ、
そしてXリーグではパナソニック電工などがそうであろう。

後者は、学生では関西学院大学、法政大学が筆頭格、

そして社会人のベスト4クラスのチーム(富士通、鹿島、アサヒビール)などがそうであろう。

オービックシーガルズは、昨年から突き抜けたチームを目指して、
おそらく前者を目指してやってきてはいるが、道のりはまだまだ、
まだまだ遠い。

 

それは多分にアメリカンフットボールの競技特性にも起因する。
近年のアメリカンフットボールでは、まず対戦相手を分析し、
それを上回るチーム戦略を作り上げ、それに基づいた練習、

ひいてはトレーニング(体づくり)を行うからである。

極論すると、1点差でも勝てば「勝ち」のチームづくりを目指すので、
対戦相手次第のチームづくりになる。強いチームが来れば強いなりに、
弱いチームが来れば弱いなりのチームづくりになってしまう可能性がある。

 

全盛時の日大フェニックスは、故篠竹監督の理想とするチームを目指し、
あくまでもフェニックスらしい勝ち方にこだわった。
格下のチームと試合をしても、フェニックスらしい勝ち方ができなければ、
試合後であっても練習を敢行した。すさまじい執念である。

また、篠竹監督は同時に「サムライになれ」ということを選手育成の核においた。

これまたすさまじい。

 

今、私たちは、形だけ、言葉だけ、表面だけ「サムライ」を使ってはいないだろうか?
他の競技でも「サムライ…」と命名された代表チームがよく結成されるが、
残念ながら代表選手全員に「サムライ」の面影を見ることはできない。

 

日大とは違う、別の強豪のフットボール部での話。
強い相手との対戦を前にして…「次の試合、勝てるのか?」と監督が聞いたら、
昔の選手たちは、歯を食いしばってうつむいたという。
「今は、『はい、絶対勝ちます!』って明るく言うんだよ…」と
その監督がおっしゃっていた、と知人に聞いたことがある。

 

今一度、「勝つこと」の深い意味を考えてみたい。
試合結果、スコア、そういうものも確かに「勝つこと」の結果である。
しかし、関わった選手、スタッフ全員が「勝利したのかどうか?」
もっと言うと、本当に最後まで「戦えたのかどうか?」問いかけてみたい。

 

先制点を取られて取り返す。

これが、敵を倒すための戦略であればうなずけるが、

不用意な立ち上がりでの凡ミスであるとしたら、
戦うどころではなかったのではないだろうか。