並河 研GMブログ“日本から世界へ”

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2008年04月

2008年04月14日

OBC和田社長の講演会に参加して…

「過去の経験の中に起業のヒントがある!」
 
先週は、4月8日のオービック40周年に続いて、
4月10日には、オービックビジネスコンサルタント
(OBC)の和田社長の講演を聞かせていただくことなり、
ちょっとしたオービックウイークとなった。

 

和田社長が講演されたのは、

私自身が在籍していた(株)リクルートのOB・OGで組織する

元リクルート会(通称“MR会”)の経営者分科会の4月例会。

 

1時間以上にわたって、和田社長が語られたことは、


どのような経緯、志で現在の会社を立ち上げられたか、
そして、いくつかの危機をどのように乗り越えられたか、


また、再来年で30周年を迎える会社OBCをどのように
成長させてきたか、、、

という多岐にわたる内容。


自らの経営哲学についても触れられ、

時 間があっという間に過ぎていった。

 

私自身、

今のアメフト経営会社(株)OFCを立ち上げて、今年で6年目になるが、

チームを存続させよう!という徒手空拳の思いのみで

会社を興してしまっただけに、
和田社長の辿られた道や、経営判断、戦略に対しては、
学ぶことばかりであった。

 

和田社長は、

学校を卒業した後、

学生時代からの延長線もあって、


・会計監査の仕事
・情報システムのコンサルタント
・会計の仕事を教える仕事


の3つの仕事をされていたというが、


結果的に会計のコンピュータソフトを創る仕事を選ばれた。

25歳での起業であった。

 

その後、今や誰もが知っている会計ソフト『勘定奉行』の
プロトタイプとなるソフトを創りあげ、

資金繰りに大変苦労しながらも、
ご夫人とともに売上をたて、何とか創業の端緒につかれた。

 

その後、25年で40万社のクライアントを獲得するまでに
成長されるのであるが、

「起業する気持ちはどういうところで生まれたのですか?」

という私たち参加者の質問に対して、

 

「どうせ起業するなら、好きな仕事、やりたい仕事をやるのが
 良いと思うのです。そしてそのビジネスの芽というのは、
 自分がそれまで一生懸命生きてきた過去の経験中に
 その“商材”があるものなんです」と応えられた。

 

また、『勘定奉行』というソフトの名前の由来に対しても、

 

「本来、ソフトウエアというものには、一番その国の
 文化、カルチャーが出てくるもんなんです。日本の
 中小企業に使っていただく日本のソフトウエアとして
 奉行という言葉や、CMのイメージでもある“歌舞伎”を
 起用したのは、そういう日本の伝統文化をこの商品の
 目指すべきところとしたい、という思いをこめたのです」

と説明してくださった。

 

これ以外にもっと紹介したいが、勉強になることばかりであった。


何よりも、和田社長が丹精こめて育てられたOBCの人たちや
その組織、商品、和田社長自身の誠実さに対して
しみじみと感じ入った爽やかな時間であった。

 

オービックシーガルズは、私自身の努力など小さなもので、
本当に素晴らしい人たちが集まってくれており

意識的に育てたということは微塵もないが、
おそらく人材面では日本のスポーツ競技の中でも
トップクラスであろうと思う、がしかし、もっともっと
丹精こめて人も、フットボールも育てていかなくては、と、
痛感した時間でもあった。

 

2008年04月09日

オービック創立40周年おめでとうございます

志をはたして、いつの日にか帰らん


4月8日、
メインスポンサーのオービックが創立40周年を迎えられた。


2003年にオービックシーガルズとなって以来、
早くも5年が経ち、何か自分の会社のことのようにも思える
今日この頃である。


昨日の4月8日は、都内のホテルで大勢のお客様、企業の経営者を
ご招待しての40周年記念パーティーが開催され、
私は、スタッフとして出席させていただいた。

 

印象深かったのは、
冒頭の40周年の年表ビデオのあとに、
招待されたお客様も、オービックの社員の皆さんも
その場に居た全員で「ふるさと」を合唱したことである。

 

頭にちらほら白いものが混じった、経営幹部や経営者の方々が、

スクリーンに映った歌詞を見つめながら

「ふるさと」を大合唱する場面には、何故かジーンと来るものがあった。

 

事前に「ふるさとをみんなで歌う」と

オービックシーガルズのオーナーでもある

野田オービック会長からは聞かされていたものの、
さすがに、全員が歌ってくださるとは想像していなかったので

まず、そのことに少なからず驚いた。

 

「ふるさと」

 

兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)

 

如何(いか)に在(い)ます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷

 

志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷

 

高野辰之作詞・岡野貞一作曲/文部省唱歌(六年)


「3番の、志をはたして、いつの日にか帰らん。というところが良いのだ」

と会長がおっしゃっていたが、、、

パーティーに来場された経営者の皆さんも、

少なからず、野田会長と同じような思いで、
自分が起業した頃や、会社が小さく苦労された頃の場面が

蘇ったのではないだろうか。

 

1ヶ月ほど前に家族で観た映画『明日への遺言』の中でも、
岡田資(たすく)元中将とその元部下が、
拘置所のお風呂の中で「ふるさと」を大合唱をする場面があった。

 

いつの日にか志をはたして帰る場所、
ふるさと。


オービックシーガルズの面々にとっての
ふるさとは、チームメイトの待つサイドラインか
最後まで声を振り絞って応援していただいたファンが待つ
観客席か、、、母校か。

 

私にとっては、1996年の初優勝の場面を見ることなく
逝去した父の墓前である。

 

25周年を迎えるオービックシーガルズ、
必ずや志を果たすと改めて誓った一日であった。