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QUEST
2011年01月12日
ライスボウルに出場すると、
グラウンドでフットボールという幸せな年末年始を過ごすこととなる。
3日の試合が終わって初めて「あけましておめでとう」という、
晴れがましい気持ちになる。勝てた場合は尚更である。
今年の正月は、2006年にV3を遂げて以来の、
5年間分の”明けましておめでとう”という感じであった。
これまでの時間を長さを改めて実感する。
先週末のグラウンドでの2010年度最終全体ミーティングで
「私がこのチームに来たのが1993年。その3年後の1996年に
1回目の優勝、2年後の1998年に2回目、4年後の2002年に
優勝を逃したもののライスボウル出場、次は2005年。
今回はその2005年から5年かかるという一番長い時間だった」
と吉永ヘッドトレーナーが振り返っていた。
5年かかったのか、5年かけざるを得なかったのか。
特に、ここ3年間は、2007年のワールドカップ、
その後のノートルダムジャパンボウルなど
本場アメリカの力を目の当たりにして日本の強化を強く思った。
(とはいえ決して頂点のチームではないが)
チームとしても、
日本から世界へと続くプロ意識を持った選手を育てること、
フランチャイズを千葉・習志野に定めて、
地域、コミュニティの様々な方々に試合に来て応援して
いただくことを大きなテーマとしてやってきた。
クラブチームという環境の中で、
そのことに挑んだわけだが、今年は一里塚を超えたように思う。
開幕戦の千葉マリンスタジアムに集まっていただいた2,700人のお客様、
そこから始まったリーグ戦。
今までのファンの皆様に加えて、
千葉から、習志野から
子どもたちが選手の名前を書いたボードを掲げて、
オービックの大阪本社や東京本社の会議室の
ルール説明会にも毎回大勢の社員の方々が駆けつけ、
スタンドでの声援の核になっていただいた。
特に2NDステージ以降のスタンドの応援はすさまじく、
3RDダウンに聞こえてくる大声援は、
本当に選手の背中を押していただき、優勝への
階段を登るチカラとなった。
まさしく12人目の選手が参戦し、皆で勝ち取った日本一。
ライスボウル終了後の勝利者インタビューで、
「皆さんおめでとうございます」と大橋ヘッドコーチが
開口一番の挨拶をしたのは、
正直なところ、チーム全員の気持ちである。
選手たちも、
プロ意識を持って一つの階段を上ってくれたように思う。
「毎回の練習で、チャンピオンシッププレイヤーを選びます。
チャンピオンシッププレイヤーとは、明日ライスボウルだったら、
絶対に試合に出場してもらいたい選手のことです」と大橋ヘッドコーチが
夏の練習から始めた新しい試み。
これも選手たちとのミーティングで生まれた。
ちなみに、
ライスボウル当日のチャンピオンシッププレイヤーは31人までになった。
以前、雑誌『ナンバー』で特集されたスポーツの箴言集の中に、
どこかのプロ野球チームの監督さんの言葉があった。
「アマチュアは、チームがまとまったら勝つ。
プロは、勝ったらチームがまとまる」
この“勝つ”を一人ひとりの勝負に置き換えれば、
一人ひとりが、自分の勝負に勝っていけばチームは勝ち、
そしてチームはまとまる。と言い換えることができる。
多様性。
様々な環境の中で普段は全然違う生活や課題を背負っている選手たちが、
アメリカンフットボールで日本一になるというただ一点の共通点のために
週末にグラウウンドに集まってくる。
平日はメールを発信し、ジムに通い、
あるいは誘い合って習志野グラウンドに集まったり、
皇居の片隅に集まったりして、
一人ひとりの勝ちから積み上げていく。
「今年のディフェンスは、自分が考えるディフェンスを押し付けるのではなく、
一人ひとりがどうやったらのびのび活躍できるかを考えたディフェンスを
創り上げた」とデイフェンスコーディネイターを兼ねた大橋ヘッドコーチ。
選手が主役でワクワクするフットボール。
傍目では「ハラハラ」も多かったが。
確かに、選手が輝いた一年。輝かせた人たちが選手たちと一緒に光った一年。
とはいえ、
登録メンバー全員がチャンピオンシッププレイヤーになったわけではない。
ちょうど半分だ。
ライスボウルに出場して活躍した選手でさえ、まだまだ不十分なので
2011年度も頑張りますと、追求を続ける。
まさにQUEST(追求)だ。
2010年度は、終わろう。
ただ決して粗末にするのではなく、これまでの歩みを大切にして
次に進む。
さらに追求する、QUESTの旅。
「その先」にまだまだワクワクがある。