« 2010年11月 | メイン | 2011年01月 »
2010年12月
2010年12月27日
おもしろい映像
2010年12月24日
Unfinished Business
オービックシーガルズに関わるすべての皆様、「日本一、おめでとうございます」
本当にうれしい、自分が選手やコーチをやっていた時よりもうれしい瞬間だったかもしれません。こちらでは真夜中の試合だったため、朝一に自分のデスクで大きく深呼吸をしてから、オービックシーガルズのホームページへジャンプ、結果を見て、机をたたいて喜びました。あまりにそのリアクションが大きかったので、周りの人が「大丈夫か?」とか「戦争でも始まったか?」と聞いてきました(笑)。それほどうれしかったんです!!
私事で恐縮ですが……ここ数年、VISAの手続等で自分の歴史を振り返ったり、書類におこしたりする機会が多くあります。その中で主な入賞歴を書く際に、
【選手として】
・社会人選手権 (JAPAN X BOWL) 優勝3回
・日本選手権 (RICE BOWL) 優勝2回
【コーチとして】
・社会人選手権 (JAPAN X BOWL) 優勝1回
・日本選手権 (RICE BOWL) 優勝1回
と微妙な表記をすることが、面倒であるし、なんとも言えない苦い思い出を思い出す機会となっています。簡単に「選手として3回、コーチとして1回、日本一になっています」と書ければいいのですが、日本選手権を真の日本一と呼ぶならば、勝ったのは「選手として2回、コーチとして1回」となります。そうなんです……。2002年のシーズン、私たちはJAPAN X BOWLで富士通フロンティアーズに勝利して社会人日本一になったものの、日本選手権で学生日本一に大敗したのでした。私はあまり後悔をしない性分でありますが、(選手生活の中で)数少ない後悔がこの試合であります。
そして、その相手は今シーズン、オービックシーガルズが次に迎え撃つ立命館大学でした。当時、観戦に来ていた上司が敗戦の次の日にこう言いました。
「あっち(立命館)の方が元気に見えた。だってみんなソックス下げてて若い感じに見えた。
シーガルズのおっさんたちはみんなソックス上がってたし……」
ソックスの件は抜きにして……、学生の方が元気に見えたという話には少しショックを受けました。自分たちは(勝手にですが……)「大人げのない社会人チーム」を謳っていたのに、それが最後の最高の舞台で発揮できなかったなんて……。
「Unfinished Business」
未完の仕事。2002年のその時のことを思い出して掲題しました。そんなものが記憶にも、そして記録にも残らないように、残り少ない期間を大切に過ごしていきましょう。そして、みんなで「真の日本一」になろうではありませんか。私も(遠くからですが……)その輪に参加させてもらいます。
ではまた。
TK
2010年12月15日
NFL -信じられない話3
STEPHEN NEALという選手がいます。NEW ENGLAND PATRIOTS のオフェンスラインの先発メンバーの一角を担っています。
実は彼も大学時代にフットボールの経験がありません。高校でフットボールを経験した後、大学時代はレスリングをしていました。レスリングでは全米チャンピオンと全米最優秀選手を獲得。高校時代にレスリングをしていた友人に聞いてみると、全米中にその名を轟すほどの有名選手であったそうです。
バスケットボール選手がタイトエンドになら、NFLという世界であってもまだ説明がつくような気がします。でも、大学時代にフットボールコーチングを受けてないオフェンスラインの選手が、NFLで、しかもスーパーボウルチャンピオンにまで……。フットボールを経験したことがある、特にラインの経験がある方には、その信じられない度合いが身に染みてわかっていただけると思います。
可能性、そしてそれにチャレンジすること、失敗することを恐れないこと。そしてそういった(無謀ともいえる)チャレンジでも積極的に応援する環境が、信じられない奇跡を呼ぶのだと思います。私もそんなチャレンジをしている一人ですが、そんな人がいたら応援してあげたいと思っています。
ではまた。
TK
2010年12月14日
NFL -信じられない話2
前回の続きです。
ANTONIO GATES-言わずと知れたSAN DIEGO CHARGERSのALL PRO TIGHT ENDです。
ミシガンに生まれ、高校時代はバスケットとフットボールのスター選手でした。彼は地元のMICHIGAN STATEを進学先に選びました。もちろん、フットボールとバスケットボールの両方をプレイすることを彼は望みましたが、当時ヘッドコーチであったニック・セイバンに「フットボールに専念しろ!」と言われたため、転校を決意。その後、3つのカレッジや短大でバスケットボールをプレイした後、KENT STATEという大学に落ち着くことになります。このKENT STATEという学校はバスケットボールでは名門ですが、フットボールではいわゆるDIVISION-1(1部)のではありません。そういう事情もあったのか、両方をプレイしたいと転校したものの、バスケットに専念することになったようです。
彼の活躍で、KENT STATEは全米の大学選手権(FINAL TOURNAMENT) にも出場しました。しかしその後、彼はNBA入りを希望しましたが叶わず、NFLにチャレンジすることを決意します。エージェントを通じて、複数の球団のスカウトを前にパフォーマンスを見せ、ドラフト外で2003年にCHARGERSに入団。ルーキーイヤーから素晴らしい活躍を見せ、今日に至っています。
大学時代にフットボール経験のない、なんのコーチングも受けてない選手が、あのTOP OF TOPであるNFLで活躍して、リーグを代表する選手になるなんて……。これも、アメリカのスポーツ対する考え方、取り組み方が生んだ奇跡なのかもしれません。
TK
2010年12月13日
NFL-信じられない話1
アメリカのカレッジフットボールの世界に身を置く私にとって、NFLは「雲の上」であり、「夢のまた夢」なのであります。NFLでプレイしたいとかいうことではなく、「こんないい選手でもロースターに入れないのか?」「こんないい選手でもドラフトされないのか?」という観点での話です。
以前にもお話ししましたが、アメリカでは子どものときから複数のスポーツをプレイすることが一般的です。NBAのスターであるLEBRON JAMESも高校ではフットボールもしていて、それはそれは有名な選手だったそうです。
現在、STEELERSの控えQBであり、OREGON大学時代はスタープレイヤーであったDENNIS DICKSONは、3年生のシーズンが終わった後、メジャーリーグのアトランタブレーブスからドラフト指名を受けました。高校時代に野球とフットボールの両方で有名だった彼が進学したOREGON大学には(当時は)野球部がありませんでした。指名を機に、彼はフットボールのオフシーズン中はマイナーリーグで野球をすることを決意します。ルーキーリーグで活躍した後、2007年のフットボールシーズンに戻ってくると、フットボールでも大活躍。NFLドラフトでSTEELERSから5巡目で指名を受け、現在も貴重な控えQBとして活躍しています。
彼が両方のスポーツで活躍できている大きな要因は2つあると思います。
1. 彼の能力
2. それぞれのスポーツをプレイする、そしてスキルを伸ばすチャンスがあった
残念ながら今の日本には2.がないように見受けられます。トップレベルの選手が他のスポーツもやっているという話は聞いたことがありません。日本では、子どものときになんらかの要因でその競技を選んだがために、他の競技に対する適性を試すチャンスを失っているケースが多いと言えるでしょう。例として適当かは疑問ですが、日本のプロ野球ではなかなか1軍にあがれないような選手の中にも、中学や高校時代にサッカーやラグビー、アメリカンフットボールと出合い、それぞれを大学生まで続けることができたなら、いずれかの競技で日本代表になるぐらいの選手がいるかもしれません。
私たちはアメリカンフットボールという(他の競技に比べると)リベラルなスポーツに携わっています。お子さんをお持ちで何かスポーツをやらせたいと思っている場合は、一つに絞らず自由に選択させてあげてください。野球とフラッグフットボール!! 筆者の経験上、これがベストマッチです。ただし、根拠はありません。私が経験してきた、そして大好きなスポーツだからです(笑)。
近い将来、NHK高校野球中継のスターティングメンバー発表の際に、「走攻守、三拍子そろった外野手。オフシーズンはアメリカンフットボールの選手としても活躍中です」みたいなアナウンスが聞けたら、うれしいですねー。
TK
2010年12月12日
The 12th Man
今、諸般の事情により日本に滞在中です。もちろん、オービックシーガルズの先週末の鹿島戦にも参戦しました。試合内容はともかく、「勝利」という一番の目的を果たすことができたのは、素晴らしいことです。あのような競り合いをものにできたことは、今後の日本一へのプロセスにおいて、大きなプラスになることでしょう。
さて、掲題の「The 12th Man」ですが、アメリカではよく使われる表現であります。 フットボールでは11人の選手がフィールドでプレイするので、「12番目の選手=ファン」という表現を使い、「一緒に戦おう!」という気持ちを表現したものです。バスケットでは「The 6th Man」と言われています。
これは私見ですが、鹿島戦で最も活躍した選手は、KJでもなくシミケンでもなく菅原でもなく、名前のない、名前を特定することのできない、「The 12th Man」でした。この選手、これまでもずっと頑張り続けてくれていたのですが、今年の活躍とその成長ぶりは目を見張るものがあります。具体的には、相手のオフェンスが3rd downや4th downになった時のノイズの大きさが今までとは比べものにならないぐらい大きく、また「団結」を感じるものとなっていたのです。観客数やスタジアムの大きさ等の違いはありますが、私がアメリカで日々感じているものに近い「魂」を感じるノイズでした。
さぁ、次は東京ドームですね。この東京ドームという会場では、「フィールドへの距離(が遠い)」という、The 12th Manが活躍するのを妨害する負の要因が存在します。今までと同じでは11番目までの選手に声が届きません。どうしましょう?
立ち上がろう!
その時が来たら立ち上がって、大きな声を届けましょう。アメリカでは、2nd DOWNの攻撃が終わるや否や、観客は立ち上がってノイズを作り出します。(日本ではそういう文化が浸透していないので)座って見ている方への配慮は必要ですが、できる限り立ち上がって、選手に声を届けましょう。そして、その声には「The 12th Manとして一緒に戦っている気持ちやプライド」を乗せてください。チームメイトは必ずそれに応えてくれるでしょう。
X- LEAGUEの運営をされている役員の方々、今年は「ALL X- LEAGUE」に12番目の新しいポジションを加えてみてはどうでしょう? 誰が見ても明らかですね、その栄冠に輝くのは、オービックシーガルズ所属の「The 12th Man」であることは。 もう一点付け加えると、そのThe 12th Manを育て、コーディネイトした(The 12th Manのコーチというべき)チアやスタッフたちには、COACH OF THE YEARの称号を与えてあげたいですね。
ではまた。
TK
2010年12月11日
NFLの危機
NFLもカレッジフットボールも日本のX-LEAGUEもシーズン終盤または大詰めに入ってきました。この時期になると、コーチやスタッフ、選手も含めた「来年度に向けての動き」が活発化してきます。特にNFLは毎年の一大イベントである「ドラフト会議」への動きが活発化してきます。
その中で、気になるニュースが……。NFLチームの(ドラフト中心とした)来年に向けての動きが鈍化しているそうです。簡単に言うと、「来年はNFLの開催が危ぶまれている」ようです。私の同僚でNFLでのコーチ経験がある人が、「今までもそういう危機はあったけど、今回は本当にやばい」と言っていました。
その要因は「労使交渉」にあるようです。選手会 vs オーナー+NFL(リーグ)という構図のようですが、年俸の高騰を阻止しようとするオーナー側とより良い条件求める選手会の対立が年々激化してその交渉がまとまらず、来年は選手側のストライキが起きてもおかしくないぐらいのレベルにあるようです。
詳細はもう少し勉強してリポートしますが、開催が危ぶまれているのは紛れもない事実だそうです。来年、NFLの試合観戦を予定していたり、チアでのチャレンジをしようとしている方がいらっしゃったら、頭に入れておいたほうがよさそうです。
また情報をアップデイトします。
TK
2010年12月10日
ORANGE BOWL
前回、STANFORD大学の試合結果をレポートしてから約1ヵ月経過しました。ARIZONA大戦の後も順調に勝利を重ね、終わってみれば11勝1敗という素晴らしい成績でレギュラーシーズンを終えることができました。STANFORD史上初の好成績ですし、BCSランキング(最終の順位を決めるランキング)も4位と誰もが予想し得なかった結果となりました(→ランキング)。
そして、その好成績のご褒美ともいえるBOWL GAMEの招待では、大方の予想を覆し、年明け1月3日に行われる「ORAGE BOWL」への招待が決定しました。地図上では対角線のフロリダ州マイアミでの開催なので、観客動員という点では微妙ですが、楽しんできたいと思っています。詳細はまたレポートさせていただきます。
TK
2010年12月01日
NFL 夢のある話
MINNESOTA VIKINGSのヘッドコーチ・チルドレス氏が成績不振を理由にクビになってしまいました。私の目の前に座っているコーチが昨年までVIKINGSのアシスタントをしていたので、氏の話はよく聞いていました。
「彼は本当にいいコーチだけど、少し変わっているんだよ。だから球団内でもよく思ってない人が多かったりする。つまり結果がでているうちはいいけど、成績が悪くなり始めたら危ないと思う」
数日前に、その言葉が現実になってしまったわけです。
余談はさておき、そのVIKINGSにGREG CAMARILLOという選手がいます。彼はSTANFORD大学から車で5分の高校を卒業して、STANFORDに入学してきました。父親はSTANFORD大学で教授をしています。高校での成績がトップクラスだった彼は、地元であり父親の職場でもあるSTANFORD大学を進学先に選びました。そしてフットボール部の門を叩きました。……「門を叩いた」と表現したのには理由があります。そう、彼は奨学金のオファーを受けて入部してきた多くの選手とは違い、自ら入部してきた「WALK ON」の選手だったのです。WALK ONで入部してきた選手がレギュラーとして試合に出られる確率はかなり低い。ましてや、その選手がNFL入りして活躍する確率なんて、天文学的数字と言えるでしょう。
彼と一緒にプレイしていた私の同僚に尋ねたところ、
「He was a walk on punter with good hands and speed.」
という答えがかえってきました。要は大した選手ではなかったようです。大学の3年生からやっとレシーバーとして出場できるようになりました。卒業後、NFLへの夢を捨てきれず、NFLのスカウト達が他の選手を目当てに来たトライアウトに参加し、スピードとクイックネスがあることだけは認められました。その後、運よくSAN DIEGO CHARGERSのスプリングキャンプに参加することになり、そこでレシーバーコーチをしていたJAMES LOFTON(元NFLの名WR。STANFORD卒)の目に留まりました。JAMES LOFTON自身も、大学3年生ぐらいまではただ足の速いだけのレシーバーだったそうで、実際、陸上の幅跳びで全米チャンピオンになったそうです。そしてGREGは4年生の時にBILL WALSHに出会ってレシーバーとしての才能を開花させ、ドラフト1位でNFLへ。JAMES LOFTONは、(特に期待もされず)春のキャンプに来たGREGを見て、
「大学時代の自分を見るようだった」
と言ったそうです。同じ大学出身というのもあったのでしょうか、GREGを熱心に指導したそうです。するとメキメキと腕を上げ、PRACTICE SQUAD(練習のようなもの)としてチームに生き残りました。その後、契約や解雇を繰り返して2007年にMIAMI DOLPHINSと正式契約にこぎつけました。そして、彼のキャリア初のNFLの試合、しかもオーバータイム(延長戦)に64ydのタッチダウンパスをキャッチして衝撃的なデビューを果たしたのです。その後2年間DOLPHINSで不動のエースとして活躍し、2008年11月23日には3年6億円で契約を延長。が……その3日後、試合で前十字靭帯を断絶、2009年のシーズンを棒に振りました。そして、今シーズン序盤にVIKINGSへトレードされたわけですが、それなりの年俸をキープしつつ、それなりの活躍をしています。
さて、WALK ONプレイヤーがNFLプレイヤーとして活躍するというこのサクセストーリーには、それを裏付ける面白い話があります。なんとこのGREG CAMARILLO選手は大学時代に一度もTDを記録していません。NFLにいるほとんどの選手が大学時代から大活躍しているスター選手です。当然、彼らは記憶ばかりでなく多くの記録も残しています。そんな中で、彼が2007年にDOLPHINSでのデビュー戦で記録したタッチダウンは、高校以来のタッチダウンだったことになります。
こんな話を聞くと、「夢をあきらめること」はばかばかしくなりますね。
ではまた。
TK