並河 研GMブログ“日本から世界へ”

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「絆」考。

2008年08月15日

 

オービックシーガルズOBの岩田光晴氏は、慶應義塾出身。


現役時代はキッカーとして、得点力が十分ではなかった当時、
キックオフやFGでチームの窮地を幾度となく救ってくれた。

 

岩田氏は、もともと私の出身高校(奈良高校)の1年後輩で、
高校、大学とサッカー部に所属。

チームには、1988年に、社内公募に応じて、初心者として合流してくれた。

 

現在は、慶應義塾創立150年記念事業室のまとめ役、

プロデューサー的な存在で、

150周年を迎える今年は、大忙しの毎日である。

 

この春から縁あって、映像の撮影・編集の仕事で、
その150年記念事業のお手伝いをさせていただいている。

 

慶應義塾の150年記念事業は、
何年も前から周到な準備と、多くの関係者を巻き込んで実施されている
大規模でかつ本格的なものを巨大なプロジェクト。

 

私がお手伝いさせていただいているのは「絆」というテーマで
周年事業などを通じた塾生同士のつながり、結びつきを記録していく
仕事である。

 

今までに撮影したものは、たとえば、

 

創立者の福澤諭吉先生の生家から、
三田の本部までの道のりを代々の自転車部のメンバーが走破したり、


ワンダーフォーゲル部が各地の三田会(慶應義塾のOB会)を訪問しながら、
歩きとおしたりといったものや、


前々回のブログでもご紹介した元塾長の小泉信三氏の回顧展を開いたり、
かつての名講義を再現した講義など。


このほかにも、撮影はしていないが、

全国各地で「学問のすすめ21」と題した記念講演が、

いろいろなテーマで開催されており、
慶應義塾創立150年ブックレットにまとめられ刊行されている。

 

今手元にあるのがVol3「家庭教育を考える」という小冊子。
(1冊300円)http://keio150.jp/shop/index.html

 

今日はその中の
「家庭の文化を創る」(渡辺秀樹慶應義塾大学教授の講演抄録)
「福澤諭吉の家庭教育」(岩崎幼稚舎教諭の講演抄録)
について引用させていただく。

 

「家庭の文化を創る」の中では、

 

元慶應義塾塾長の小泉信三氏が、
太平洋戦争で戦士した息子小泉信吉氏との思い出を記した
『海軍主計大尉小泉信吉』が紹介されている。

 

その本の中でも最も有名な箇所は、


息子の信吉がいよいよ出征をするというときに、
父小泉信三が息子に与えた手紙である。

 

以下、紹介すると…

 

君の出征に臨んで言って置く。
吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの
誇りとしている。僕は若し、生れ替って妻を択べといわれたら、
幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しもわが子を択ぶということ
が出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親に
こう言わせるより以上の孝行はない。君はなお父母に孝養を尽くしたい
と思っているかも知れないが、吾々夫婦は、今日までの二十四年の間
に、凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた…(後略)

 

時代も状況も違うが、親子でオリンピックに挑んだ選手の父と息子(娘)
も同じような心境なのかなぁとも思う。

 

また、オリンピックでなくても
日々自分の息子や娘が戦っている相手、そして戦っている本人を
きちんと見据えられれば、
親子の絆も、もう少しは深まるのではないかとも思う。


親は、子どもの戦友でありたい。

日常はオリンピックどころではないからだ。


もうひとつ、

「福澤諭吉の家庭教育」では、

 

福澤諭吉先生が、満八歳と六歳の息子にあてて教えた
「ひびのをしへ」が紹介されている。

 

「ひびのをしへ」は、明治四年に書かれたもので、
毎日一つずつの教えが書かれており、その最初に「おさだめ」がある。
こういうことをしたらいけませんという家庭教育のルールである。

 

以下、紹介すると…

 

おさだめ

一、うそをつくべからず。
一、ものをひらふべからず。
一、父母にきかずしてものをもらふべからず。
一、ごうじやうをはるべからず。
一、兄弟けんくわかたくむよふ。
一、人のうわさはかたく無用。
一、ひとのものをうらやむべからず。


絆。

 

親と子の絆は、このような、ルールを通じて、
コミュニケーションを重ねながら、
育まれていくように思う。

 

そして、それは、
社会と自分の絆の第一歩でもあり、

それがやがては、
組織や社会と社会の絆の基になるのではないだろうか?

 

今日は終戦記念日。

終戦記念日は、昭和という親と平成という子供の

「絆」の1つでもある。