並河 研GMブログ“日本から世界へ”

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最初の試合は明治大学ロードランナーズに大敗

2007年09月06日

ウォーミングアップをやっただけで、オービックシーガルズの記念すべき(?)
最初の練習が終わって、1ヵ月半後。

 

気持ちよい5月の風の中、リクルートシーガルズ(当時の名称)の面々は、
つま恋リゾートの中にあるグラウンドで、初めての試合を行っていた。

 

対戦相手は、明治大学の同好会ロードランナーズ


リクルートの全社行事である“スポーツフェスティバル”の一つの種目として
アメフトの試合を開催することに成功した私達は、明治大学の皆さんを
お招きして、初の試合をやれることになったのである。

 

 

とはいえ、例の最初の練習から、結局この日が2回目の全員集合。
試合前に隊形やフォーメーションをちょこちょこっと決めて、
即席チームで挑んだ結果は、当然の大敗。確かスコアは、0-35。
であったように記憶している。

 

初めての試合だから負けてガッカリか…というと
みんなそうでもない、むしろこれからチームがスタートするんだという
何かワクワク感で、試合後のハドルを終えたことも覚えている。

 

明治大学ロードランナーズの皆さん、お世話になりました。

 

ちなみに、のちに、このロードランナーズから

篠岡選手(現役時#58でラインバッカー、日本代表にも選ばれた)

吉沢選手(現役時#87でディフェンスライン)がリクルートシーガルズに入部してくれた。

 

さて、この年は、さすがにこれで終わりか、というとそうでもなく、
僕達は、パレスサイドリーグという社会人アメリカンフットボールの
同好会リーグに属することになった。


パレスサイドというだけあって、皇居周辺の企業で構成されていたこのリーグは、

1970年代ごろにスタートした老舗的な同好会リーグで、

今もXリーグや、X2リーグ、X3リーグなどで活躍していらっしゃるチームが、

既に堂々とチーム活動を行っており、僕達はその胸を借りるような格好で、

1試合1試合勉強させてもらっていた。


オリコミ広告
近藤忠商事
近鉄航空商事…今のクラブダイノス近鉄
トッパンムーア
富士銀行
ソニー
三菱電機…今のオール三菱ライオンズ
電通

など。

 

企業の顔ぶれはそうそうたるもので、
僕達が加盟する前には、三和銀行やIBMなども参加していたと聞いた。

試合もそれなりに熾烈な感じで楽しかったが、

何よりも、試合が終わってから、いろいろなチーム、社会人フットボーラーの
皆さんとの交流がもっと楽しかったし、為になった。

 

特に印象に残っているチームは、
電通キャタピラーズ。


当時パレスサイドリーグの中でもダントツに強く、
その上、みなさんの取り組み方も、
「まずは、仕事。そしてフットボール。プライドを持ってやり抜こう」

という気概が感じられた。

 

その後数年間、リクルートシーガルズは、この電通キャタピラーズを
打倒することを目標に執念を燃やし続けた。

 

このカップは、僕が主将になって、ようやく電通に手が届きそうになった
が結局敗れて準優勝に終わったときのものである。

 

history070906.jpg

 

ろくに練習もしない、同好会の自分達ではあったが、
目標となるチームに負けることは本当に悔しい。

次は、来年は絶対勝ってやる!そういう想いで
このカップを受け取ったことを覚えている。

 

 

ちなみに、1984年は、日本のフットボール界にとっても大きな出来事があった。

 

今でこそ、日本選手権と呼ばれているライスボウルであるが、
1983年度までは、東西の大学選抜のオールスター戦であったのを、
大学代表と社会人(実業団)代表が戦う日本選手権・ライスボウルへと
変革された年であった。


記念すべき試合は、京都大学がレナウンローバーズを29-28で破るという
劇的なものであったが、当時の僕達は、そこからずーっと遠いところにいた。