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シーガルズは会議室で生まれた…
2007年09月06日
昨日、2007年度のXリーグが開幕した。
開幕戦を飾ったのは、鹿島ディアーズ。52-3と東京ガスクリエイターズに圧勝。
試合内容は、チームの地力の差はあるものの、東京ガスが善戦していたように思う。
堂々たる鹿島ディアーズであるが、このチームは、1989年、鹿島建設の
創業150周年事業の一環として 創部されたチーム。歴史はまだ20年に満たない。
オービックシーガルズはというと、1983年に創部。来年25周年を迎える。
世の中の尺度で言えばこちらも若いほうであろう。
ただし、このチームの始まりから関わってきた一人の人間としてみれば、
25年もやってしまったのか、 という感も否めない。
ちなみに、今年25周年を迎える皆さんは、、、
カシオのG‐SHOCK、
CD、
スペースシャトル打ち上げ、
ソニー・ウォークマン…。
という感じではあるが…。
(芸能人では、小泉今日子、コロッケ…)
さて、話を“始まり”に戻すと…
1983年、リクルートのアメフト同好会としてスタートした“シーガルズ”は、
チームの現顧問である稲葉泰成さんが中心人物であった。
私は、そのときは、筑波大学の4年生。
リクルートの内定者で、社内報を作るアルバイトをやっていた。
私とシーガルズの出会いは、その取材活動中に、ある会議室に呼ばれたら、
そこがリクルートシーガルズの決起集会であったという、 “たまたま”であった。
自己紹介をしてくれた稲葉さん、どこかで見た顔だなぁと思っていたら、
前年に、筑波大学と試合をした社会人のクラブチームで、
僕の対面(といめん)のポジションの人で、ガツンガツン当たりあった相手であった。
オフェンスガード対ラインバッカー。 なんという奇遇…。縁だなぁ…と思っているうちに、
いつのまにか、入部希望名簿にサインをしていたのである。
その年のリクルートシーガルズの活動は、なんとその決起集会だけで終わった。
いや、正確に言うと、みんなでウインドブレーカーを創った。
学生だった僕も1万円を払って買わせていただいた(買わされた)。
青いウインドブレーカーで背中にチーム名が書いてある。
“SEAGALS”だ。???。“SEAGALSって、、、海のギャル?=海女?
「リクルートの社章って鴎だから、シーガルズだよね」
…って皆さんがおっしゃっていたのは覚えていたし、
先輩には、英語が理解できるはずの慶應大学や東京大学の出身の方々がいたのに…。
大学4年の僕は、海女ウインドブレーカーをそれでも嬉しそうに着ていた1983年の晩秋であった。
明けて1984年。
桜が咲いて、シーギャルズ(?!)も本格的に活動をスタート。
よし初練習だっ!ということで代々木の織田フィールドに集合したのは、8人。
(シーガルズ発進の地…織田フィールド)
結局、ウォーミングアップの1つで“アジリティ”という練習をやっただけで、その日は終わった。
入部名簿に名前を連ねていたあとの20人は、どうしたんだ!?と、少し憤慨する僕とは裏腹に、
やけに楽しそうな先輩たちの顔を見て逆に不安…。
それが、シーガルズ発進の日であった。