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元祖?“グレートカムバック” は1996年
2007年10月20日
いつまでも、どこまでも…。
25年の歴史をつれづれなるままに語ろうというブログであるが、
今日は少し飛んで、1996年頃の話をしたい。
デイビッド・スタントがヘッドコーチとなって、
本格的な、アメリカナイズドされたチームビルディングが進み、
加えて有望な新人の補強に成功し始めた1994年。
オービックシーガルズ(当時リクルートシーガルズ)は、
リーグ戦の最終戦で、鹿島ディアーズに1タッチダウン差で敗れて
リーグ初優勝を逃す。
戦いの後、当時の川崎球場(改装前)のマウンドの近くに座り込み、
泣き崩れていた選手たちの姿が今でも目に焼きついている。
「来年は絶対優勝する!」 涙ながらに誓い合った鷗軍団は、
翌1995年のリーグ戦で宿敵鹿島ディアーズを31-29で破り、
その後の東日本選手権(当時、まだXリーグではなかった)でも
アサヒビールシルバースターを33-27で破り、
社会人選手権出場を果たす。
しかし、その社会人選手権では、当時国内最強と言われた松下電工
(1994年に日本一となっている)に20-54の大差で敗れる。
勝って次のステージに上がったら、
もっと強いとんでもない敵が待っていた…。
少年ジャンプで連載されていたボクシング漫画“リングに賭けろ!”の
世界を彷彿とさせるような別次元のフットボールに敗れた私たちは、
悔しい…を通り越して、どうしたら良いかわからない…状態であった。
帰りの車の中で 「こんなに大敗したのだから、明日から何をやったら
良いかわからない。ライスボウルなんで夢や…」 とつぶやいた私に、
「あぁそう、そしたらまずは家の掃除をやってちょうだい」
と切り返した妻の言葉に、妙に慰められた私であった。
次の日、家の掃除を済ませた私は、ヘッドコーチのデイビッドに会い、
「どうしたら勝てるのか?」と聞いたら、
「フィジカルね!」 とまたも即答。
翌年のシーズンはチームを上げてフィジカルアップに取り組む。
オービックシーガルズ(当時リクルートシーガルズ)のオフの走りこみや
トレーニングが “名物” といわれるほどきつくなったのは、
おそらくこの頃からである。
でも、選手たちは 「家の掃除をしたくない」 から頑張っていた(笑)。
1996年。
1995年に負傷した怪我人だらけの春シーズンを終えて、リーグ戦が始まった。
当時、フィジカルレベルでは、東日本でトップクラスであったオンワードオークス
との夏の合同練習で少し手ごたえをつかんでの開幕であった。
がしかし、リーグ序盤で、20-26で鹿島ディアーズに敗れる。
試合後のチームハドルで、主将の遠藤紀彦選手が、
「俺達は、本当に勝ちが欲しい。なんとしても勝たなくてはいけない。
グレートカムバックだ!」と選手一人ひとりの顔を見ながら訴えかける。
試合後の最初の練習日、千葉グラウンドのミーティングルームには、
「GREAT COMEBACK」ボードが掲示されていた。
それ以降、練習のハドルでの合言葉に使われたり、
試合前に「GREAT COMEBACK」ボードをタッチして
フィールドに駆け出していくことになった。
鹿島戦の次は、強敵レナウン・ローバーズ。
勝たねばという気持ちが空回りして、どうにも得点につながらない。
得点は、相手に先行され、苦しい展開となる。
「このまま負けてしまうかも…」という言葉が脳裏をよぎる。
1996年は、新生Xリーグがスタートした年。
新生Xリーグは、3つのブロックでそれぞれ2位までが、
決勝トーナメント(FINAL6)に進むことができるという、
当時としては画期的なリーグ改革であった。
それまでは、優勝しないと社会人選手権に出られず、
東日本では12チームがたった1つの席を目指して、
しのぎを削っていたのである。
「レナウンに勝って、最後にオンワードに勝てば、
2位になる可能性がある。
そうなれば、決勝トーナメントに出場できる」
その思いが通じたのか、QB新生剛士選手(現コーチ)の
巧みなクォーターバッキングで、試合は29-22と逆転勝ちに終わり、
オービックシーガルズ(当時リクルートシーガルズ)は、
最終戦で、オンワードとの闘いに全てを賭ける。
試合会場は、横浜スタジアム。
「GREAT COMEBACK」ボードを叩く個々の選手の手に力が入る。
「絶対勝つ。しかも6点差以上で勝つ」という強い思いのもと、
チームは見事、28-21で勝利。
鹿島ディアーズ、オンワード、リクルートが3つ巴になり、
3チーム間の得失点差で、わずか1点の差で、
鹿島が3位、オンワードが2位、リクルートが1位となる。
ファイナル6。
初戦は、三和銀行を27-0で破り、
準決勝は前年に大敗した松下電工と対戦。
最強松下電工に対して、どこまでやれるか。
1年間のフィジカル向上はどこまで通用するか…。
不安な気持ちを吹き飛ばしたのは、、、
ディフェンスバック山本 崇選手のハードヒット。
ワイドレシーバー河本 晃選手の豪快なランアフターキャッチ、
その年に入部した堀江信貴選手のスピードであった。
終わってみれば試合は、22-13で見事な勝利。
チームの勢いはとどまるところを知らず、
決勝でも再びオンワードを30-10の大差で破り、
初年度Xリーグ王者に輝いた。
そして、明けた1月3日。
チームは日本選手権ライスボウルに出場、京都大学と対戦する。
京都大学は、1984年に日本一に輝いてから黄金時代が続いており、
その年も京都大学有利という下馬評であったが、
オービックシーガルズ(当時はリクルートシーガルズ)は、売り物になった
スピーディなディフェンスと、QB松本義幸選手、
ワイドレシーバー河本、堀江選手のコンビネーションと、
ランニングバック中野康隆選手、根崎元行選手の粘り強いランニング、
新人であったラインバッカー石山昌洋選手の闘志溢れるプレイがチームを支え、
19-16で見事勝利を収める。
満員の東京ドームで“グレートカムバック”が完結した。
この話には後日談がある。
“グレートカムバック”を掲げて戦いきったという遠藤主将の記事に、
交通事故で片脚を失った陸上選手が感銘を受け、
障害者陸上競技に再び参加、見事好成績を収めたので、
「ありがとうございました」という丁寧な礼状が本人から届いたのである。
雨が降るまで祈れば、雨を降らせる祈禱師と呼ばれる。
ということを聞いたことがあるが、勝負の世界も同じである。
勝つまで止めなければ「勝って」終われるのである。
勝てなかった悔しい気持ち、そこを乗り越えて立ち上がる強い気持ち、
そして、へこたれずに励ましあい、やり続けることのできる仲間。
人間は、負けて学ぶのではない。
勝つまでやって初めて、“負けて学んだ”と言えるのではないだろうか。
また、その「勝ち」をどのレベルまで高められるか。高め続けられるか。
それは、リーダーシップの大きな仕事ではないだろうか。
GREAT COMEBACK 2。
私たちは、富士通戦の負けから何を学んだのか。
アサヒビールシルバースターというチームは、
ここぞ、という試合では決して負けないチーム。
かなり困難な試合になることは間違いない。
ヘッドコーチ、主将以下、どこまで学べているか…。
11月4日。我ながら楽しみにしている。