2008年11月01日
鹿島戦まであと1日◆HIGHLIGHTS Vol.7-2007年○
+++鹿島ディアーズとの10年間の軌跡+++
次節はディビジョン優勝を賭けた鹿島ディアーズ戦。
この10年間の対戦を当時の中心選手のコメントとともに振り返ります。
最終回は2007年。 (写真は2007年鹿島戦)
◆2007年◆ オービックシーガルズ○ 19 - 13●鹿島ディアーズ
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リーグ戦は3チームの得失点差勝負にもつれ込んだ。オービックは最終戦で強豪アサヒ
ビールに11点差以上で勝つしかないという状況の中、歴史的な大勝(55-6)を飾り、
まさに“グレートカムバックⅡ”の第一歩となった。続くFinal6初戦・鹿島にも試合終了
間際に追いつき、タイブレークを制する。続く準決勝・松下電工戦。第4Q 7-23の劣勢
から反撃、2つのタッチダウンのうえ連続して2点コンバージョンを成功させ、23-23の
同点に追いつく。しかし、タイブレークで力尽き、最後はインターセプトされて2007年
シーズンは終了した。
⇒試合解説(Xリーグ公式サイト) チーム年表 2007年全スコア
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「完全な勝利」を目指して | #83WR 清水 謙 |
2007年、Final6の鹿島戦。第4Q残り1分47秒で同点に追いついたキックオフリターン
タッチダウンが最も印象に残っています。勝敗を左右する緊張感のある場面でしたが、
リターンチームの全員が個々の役割を確実に遂行した結果生まれた、会心のリターンだと
思います。
リターンに入るとき、どういう心境であったかは極度の緊張状態だったため覚えていませんが、
「今日一番のスピードを振り絞る」ことだけを強く意識していました。15分クォーターの試合の
終盤で90ヤードをフルスピードで走り抜けることができたことは、自分自身誇りに思っています。
その後タイブレークに突入し、逆転勝利を納めることができましたが、オフェンスは前半完封
されるなど、鹿島の堅守に対して、決して勝てたとは言えない内容でした。
去年のようないわゆる「劇的な勝利」も悪くはないですが、今年は序盤からオフェンス、キッキング
それぞれで圧倒し(当然ディフェンスも)、「完全な勝利」を果たしたいと思います。
そして、一気に日本一まで駆け上がります! 応援よろしくお願いいたします!
2002年~/抜群のスピードとクイックネスを武器に、WRだけでなくリターナーとして秀逸。昨年の鹿島戦のリターンタッチダウンは記憶に新しい。 |
⇒11/2(日)ディビジョン優勝決定戦vs鹿島の見どころ・ご案内
2008年10月31日
鹿島戦まであと2日◆HIGHLIGHTS Vol.6-2004年○
+++鹿島ディアーズとの10年間の軌跡+++
次節はディビジョン優勝を賭けた鹿島ディアーズ戦。
この10年間の対戦を当時の中心選手のコメントとともに振り返ります。
第六回は2004年。 [写真は2004年鹿島戦 #47DB寺田隆将選手/手前と
#76DL(当時)池之上貴裕選手/奥]
◆2004◆ オービックシーガルズ○ 10 - 3 ●鹿島ディアーズ
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リーグ最終戦でオンワードスカイラークスに逆転負けを喫してディビジョン2位。Final6
準々決勝の相手が鹿島ディアーズ。苦手意識もあったが、守備陣の活躍で10-3と辛勝
した。準決勝の長居球技場で待ち構えていたのは、強力守備を誇る松下電工インパルス。
ここでも守備陣が大奮闘するが、オフェンスが押さえ込まれ、7-10とJAPAN X BOWL
(JXB)まであと一歩でシーズンが終了した。
⇒試合解説(Xリーグ公式サイト) チーム年表 2004年全スコア
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コミットメント | #52DL 庄子達郎 |
鹿島といえば、1996年の新人時代から4年連続で勝てず、鹿島に勝つことばかり考えて
いたな~ということ自体が思い出ですが、今回はナイスな思い出となった試合をお話したいと
思います。
2004年、僕が主将になった年のFinal6初戦のことです。僕たちはリーグ最終戦でオンワード
スカイラークスにファンブルロスト3回、インターセプト4回というありえないくらい大量のターン
オーバーを奪われ完敗しました。それまで良い流れを積み重ねてきた感触があっただけに、
簡単にボールを奪われてしまったオフェンスにチーム全体が苛立ちを持った状態となり、
次のチームミーティングは必然的に全員でそのことを話し合うことになりました。
最初はミスを指摘する発言も出ましたが、最終的にはディフェンスメンバー一人ひとりの意識が
自分自身に向きました。自分は勝つために何ができるのか?という問いから、「自分がボールを
奪う!」というコミットメントへとカタチを変えました。自分がすべてを出さないと鹿島には勝てない
という気持ちがそうさせたのかもしれません。
気持ちをひとつにした僕らディフェンス陣は、全員で執拗なボールアタックを繰り返し、3度の
ファンブルフォースを含め、鹿島オフェンスにプレッシャーを与え続けることができたと思います。
結果は10-3。接戦を制することができました。
元々ボールが大事なことは全員知ってはいました。しかし、知っていることと本気で行動する
ことは違ったんだと思います。鹿島という強敵を目の前にして、本当の意味で「本気」の
スイッチが入り、全員が死にもの狂いで行動し続けた試合だったと思っています。鹿島に勝った
うれしさはもちろんありましたが、今までの自分たちに勝った!といううれしさが強かったのを
思い出します。全員でひとつのことをやり遂げたという自信に繋がる、勝利以上に大事なものを
得ることができた試合でした。
今年もメイクドラマでいきます! ゲット・ザ・ボール!
1996年~/スタートの鋭さは絶品。35歳の今季も好調をキープしている。2005年パーフェクトシーズンの主将。 |
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やり続けること | #47DB 寺田隆将 |
基本的にストイック(?)な僕たちにとっては、勝った試合よりも負けた試合、特に自分が勝負に
負けた試合を強烈に覚えていることのほうが多いのですが……(逆にこの雑草魂こそが、
ここまで成長してきた糧!)、あえて、勝利した試合で印象的な試合というと-
2004年のFINAL6鹿島戦。みんながボールにものすごく執着した試合。僕自身も1ファンブル
フォース(反則のため非公式)&1インターセプト&1QBサック(人生初!)でディフェンスMVPを
いただいた試合でした。
なんとなく鹿島には負けたくないという、特別な思いもあるものの、それ以上にこの試合は、
前の試合(リーグ最終戦・オンスカイ戦)、オフェンスが7ターンオーバーを浴びるという屈辱的な
敗戦が僕たちに火をつけていました。「こんな状態ではいくらなんでも勝てない!」と。
敗戦の後、チームでミーティングをもち、この状況をどうしたらいいのか、喧々諤々話し合い
ました。オフェンスのボールセキュリティー(確保)も確かに問題ではあるものの、逆に
ディフェンスもボールを奪えていない。ディフェンスでは話し合いの結果、「オンスカイが
7ターンオーバーできて俺らにできないことはない!」ということになり、みんなでボールアタック
に対して研究しました。そんな折、NFLのゲームがちょうどTVで放映されていて、強烈な
ファンブルシーンをいくつか発見したので、ビデオにとってみんなで共有しました。
そしてその後の練習。確か平日の夜に日大のグラウンドを借りて練習したときだったと思います。
ハーフスタイルでの練習でしたが、ボールアタックを軽くやってみようと先日ビデオでイメージ
したことをやってみると……、出るわ出るわボールが大量放出! みんな面白がってやって
ましたね。
それから、「ボールアタック」がみんなの合言葉になって、そのまま鹿島戦に突入。前半戦から
タックル行くときにはみんながボールアタックしてました。結果、鹿島のRBの手からボールが
何度もこぼれるシーンがあったと思います。そういった毎プレーのプレシャーがオフェンスに
脅威を与えたんだと思います。彼らの萎縮したプレーは、確実に彼らのペースを乱してましたね。
一度乗ってしまったシーガルズはやっぱ強い。もう止まらない。ファンブルフォース、ターン
オーバー、QBサック……。
ただ、本当に僕たちがやるべきことは勢いに乗ることじゃない。試合に勢いがあろうがなかろうが、
常に自分たちのベストプレーをやり続けること。それができてこそ、本当の意味で真の王者に
なれるんだと思う。一人ひとりの本気の1プレー1プレーが「勢い」をつくるんですよね。
だから次の試合も、リーグ優勝決定戦、宿敵・鹿島戦など、いろんな思い入れはありますが、
毎プレーマイベストを出し続けて戦い続けます! 皆さん、横浜スタジアムでお待ちしてます!!
We make a wonderful game! Don't miss it!!
1998年~/クレバーかつアグレッシブなFS(フリーセーフティ)。34歳の今期も好調。現在2インターセプト。 |
⇒11/2(日)ディビジョン優勝決定戦vs鹿島の見どころ・ご案内
2008年10月30日
鹿島戦まであと3日◆HIGHLIGHTS Vol.5-2003年●
+++鹿島ディアーズとの10年間の軌跡+++
次節はディビジョン優勝を賭けた鹿島ディアーズ戦。
この10年間の対戦を当時の中心選手のコメントとともに振り返ります。
第五回は2003年。 (写真は2003年鹿島戦 #37DL木下雅英選手/中央と
#52DL庄子達郎選手)
◆2003年◆ オービックシーガルズ● 3 - 10 ○鹿島ディアーズ
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秋のリーグ戦は、鹿島ディアーズに敗れ4勝1敗でディビジョン2位。6年連続7回目の
Final6出場を果たすも、初戦のアサヒ飲料チャレンジャーズに9-16で敗退。
⇒試合解説(Xリーグ公式サイト) チーム年表 2003年全スコア
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忘れられない一投 | QBアシスタントコーチ 井上浩樹 |
2003年レギュラーシーズンの鹿島戦が忘れられません。
少し前から話を始めさせていただきますが、2001年シーズンに右膝膝蓋腱断裂という怪我を
負い、現役引退も考えました。チームドクターの名医 本杉先生の手術と、吉永トレーナー、
アシスタントトレーナーの皆さんの支えがあって、約1年のリハビリの後に現役復帰できました。
あの時の苦しさ、辛さが自分自身を成長させてくれたと今では感謝しております。
この怪我で現役復帰する選手は少ないようで、学会にも報告されたそうですが、今年2月に
ロナウド(ACミラン)が同じ怪我をしました。頑張って復帰してほしいです。
ということで、怪我の影響で2001~2002年はまったく試合出場なし。
そして、ようやく本格復帰した2003年シーズンは、個人的にも気合十分でした。ところが、
シーズンイン直前の練習中に、今度は左足の後十字靭帯を切断。心が折れそうになったときに
定めた目標が、レギュラーシーズン最終節の鹿島戦。ここを復帰の目標に、再度リハビリに
挑みました。
そして、皆さんの支えがあって、東京ドームで行われた鹿島戦にはスタイルしてグラウンドに
立つことができました。「感謝」の気持ちを忘れずに、「恩返し」はグランウドでいいプレーをする
しかない。そう思い試合に臨みました。
0-10とリードされた後半、試合の流れを変えるために、出場機会を得ました。ショートパスや
スクランブルで流れをつかみかけたところで、痛恨のインターセプト。あの1プレーで勝利が
逃げていきました。忘れられない一投、1プレー。試合は3-10で敗戦。最後まで踏ん張って
くれたディフェンスの方々にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
今年はコーチとして鹿島戦を迎えますが、「1プレーの重さ」と、そんな舞台でプレーできる
「感謝」を忘れずに、選手と一緒に最高の準備をして試合に挑みたいと思います。
応援、よろしくお願いします!!
2000~2006年/投げれて、走れる、バランスの取れたQBとして活躍。大きな怪我をするも、それを乗り越えてチームに貢献した強いハートを持つ。現QBアシスタントコーチ。 |
⇒11/2(日)ディビジョン優勝決定戦vs鹿島の見どころ・ご案内
2008年10月29日
鹿島戦まであと4日◆HIGHLIGHTS Vol.4-2000年○
+++鹿島ディアーズとの10年間の軌跡+++
次節はディビジョン優勝を賭けた鹿島ディアーズ戦。
この10年間の対戦を当時の中心選手のコメントとともに振り返ります。
第四回は2000年。(写真は2000年鹿島戦 #20RB古谷拓也選手)
◆2000年◆ リクルートシーガルズ○ 35 - 28 ●鹿島ディアーズ
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パールボウルトーナメント決勝で宿敵・鹿島ディアーズを破り、秋のリーグ戦でも
激しい点の取り合いを制する。リーグ戦を全勝で終え、Final6の第一シードを得るも、
準決勝でアサヒ飲料チャレンジャーズに15-23で負け、シーズンを終了する。
⇒試合解説(Xリーグ公式サイト) チーム年表 2000年全スコア
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怪我の代償 | #20RB 古谷拓也 |
2000年、社会人2年目のリーグ最終戦、鹿島との試合は、よく思い出します。RBとして最も
大切にしている「1歩でも前で進む」激しいプレーができた試合だからです。
2Q残り2分くらい(このシリーズで同点に追いつきます)、3rd-short(ファーストダウン獲得
まで残ヤードわずかのサードダウン)の左スイープ(OPENを走るランプレー)。プレーが
始まって、ボールをもらった瞬間にDLが出て来ましたが、それをくぐり抜けるような形で抜け、
DFに囲まれながらも足をかき続けてファーストダウンを更新し、ゴール前10ヤードくらいまで
進むことができました。
僕はこのプレーで右足首を骨折しました。後半はずっとベンチで、応援もできずただ眺めて
いました。今シーズンはもうプレーできないと思いながら、プレーしている選手をうらやましく
眺めていました。
ケガをして前半のみの出場でしたが、ずっと意識して練習してきた、
「少ないステップで時間をかけずに縦に走ること」「OLのブロックを上手に使うこと」
が強豪鹿島DFを相手にできたことで自信がつきました。
もう一つの成果は、「一歩でも前へ進む」激しいプレーが「チームに勢いを与える」ことを実感
したことです。 RBのあと一歩、1ヤードがオフェンスをつなぎ、その一歩、1ヤードの積み重ねが
他の選手やコーチや伝わり、チーム全体の激しいプレーを生み出すことを実感しました。
自分で思っているだけかもしれませんが……、そう信じてやっています。
続くアサヒ飲料戦は、スタンドから祈るようにして見ていました。終始、シーガルズらしい
オフェンスができず、負けました。その試合を見て、「フィールドでプレーし続ける」ことを誓い
ました。大きなケガをすることは、事故ではなく、体力的または技術的に未熟と考えるように
なりました。あの鹿島戦のケガは、自分がもう少し上手かったら防げたと思います。あの試合を
機に、エースRBはフィールドに居続けないといけない、と強く思うようになりました。ケガしても
試合に出る。痛い顔、不安な顔を見せない。激しいプレーをし続ける使命があると思っています。
あの鹿島戦が、今の自分に大きな影響を与えました。
余談ですが、ケガした直後、「たぶん捻挫なんで、後半いけます」とヘッドトレーナーの
吉永さんとチームドクターの本杉先生に本気で話したことを覚えています。アドレナリンが
出まくっていたのか(?)、あまり痛くなかったんですね。ハーフタイムにどんどん腫れて痛く
なって、諦めました。
11月2日の鹿島戦、とにかく激しく激しくプレーします。3rd-short、タッチダウンはなにが
なんでも獲ります。応援よろしくお願いします。
2000年~/言わずと知れた日本のエースRB。2005年度ライスボウルMVP。記憶にも記録にも残る大選手。前節オール三菱戦で前人未到の通算5,000ヤードランを達成。
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⇒11/2(日)ディビジョン優勝決定戦vs鹿島の見どころ・ご案内
2008年10月28日
鹿島戦まであと5日◆HIGHLIGHTS Vol.3-1999年●
+++鹿島ディアーズとの10年間の軌跡+++
次節はディビジョン優勝を賭けた鹿島ディアーズ戦。
この10年間の対戦を当時の中心選手のコメントとともに振り返ります。
第三回は1999年。 (写真は1999年鹿島戦 RB中野康隆選手)
◆1999年◆ リクルートシーガルズ● 13 - 20 ○鹿島ディアーズ
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この年、初の連覇を狙ったシーガルズだったが、リーグ戦初戦でオンワードオークスに
14-20で敗れる。プレーオフに駒を進め、マイカルベアーズに勝つも波に乗れず、
準決勝で鹿島ディアーズに敗れ、シーズンを終える。
⇒試合解説(Xリーグ公式サイト) チーム年表 1999年全スコア
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もう一秒 | OLアシスタントコーチ 小山朋行 |
1999年の鹿島戦。その年はちょうど第1回ワールドカップがあり、シーガルズと鹿島は
多くのコーチ・選手・トレーナを派遣したので、お互い、個々人の「強み・弱み」もわかった
中でゲームを迎えました。私は左Gで出場。対面はDL谷嶋選手でした。
谷嶋選手は本当に強かった。私の記憶の中でも1番強いDLですね。私のポジションだと、
右サイドのオープンプレーでは早いタイミングで対面のDLとの勝負を終えて、セカンダリー
のLBをブロックしにいくのですが、谷嶋選手はブロックされた後でもRBを追いかけて、
最後には彼がタックルしていました。そのため、ゲームを通して谷嶋選手から離れないように
アサイメントを変更してブロックしていた記憶があります。
試合は、「ミスをしたチームが負ける」典型的なゲームでした。ターンオーバー3回がすべて
スコアされ、負けました。ライン戦が勝敗を分けました。もう一秒パスプロテクションがもって
いれば……。
OLユニットのニックネーム「ツイスターズ」は今季も健在です。勝負はライン戦です。
#75宮本選手は1999年度の新人でしたが、今では彼が伝統を引き継いで、前に強く押し
切るツイスターズの中心選手です。繰り返しますが、勝負はライン戦。ツイスターズで
勝ちにいきます。応援お願いします。
1993~2003年/シーガルズ史上最強OL。2度の日本一に大きく貢献し、現在もOLアシスタントコーチとして後進の育成に励む。
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⇒11/2(日)ディビジョン優勝決定戦vs鹿島の見どころ・ご案内
2008年10月27日
鹿島戦まであと6日◆HIGHLIGHTS Vol.2-1998年●
+++鹿島ディアーズとの10年間の軌跡+++
次節はディビジョン優勝を賭けた鹿島ディアーズ戦。
この10年間の対戦を当時の中心選手のコメントとともに振り返ります。
第二回は1998年。 (写真は1998年鹿島戦 QB松本義幸選手)
◆1998年◆ リクルートシーガルズ● 20 - 28 ○鹿島ディアーズ
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リーグ戦で鹿島ディアーズに敗れるも、プレーオフを勝ち上がり、日産プリンス、アサヒ飲料に
競り勝ち、東京スーパーボウルでアサヒビールシルバースターを45-24で破り、
二度目のXリーグ制覇。ライスボウルで立命館大学を破り、日本一に。
⇒試合解説(Xリーグ公式サイト) チーム年表 1998年全スコア
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忘れられない1プレー | WRアシスタントコーチ 脇田雅史 |
社会人1年目、1998年の鹿島戦が忘れられません。少しずつ試合に出て結果を残していた
1年目の秋でした。リーグ戦の大一番、雨の川崎球場だったと思います。
鹿島にリードを許した2Q、自陣から攻撃がスタート。いい感じで進み、ゴール前35ヤード付近
まで攻めてきたところでした。もう少しでエンドゾーンというところで自分にパスが飛んできました。
大事な試合、大事な場面、大事なシリーズ、そして雨。そういう思いから、少し高い球を胸で
捕りにいき、弾いて、鹿島ディフェンスにインターセプトされてしまいました。
“あのシーン”、そしてビデオに映っていた“オフェンスメンバーの落胆した姿”、それが今でも
忘れられません。
試合の夜は、悔しくて、情けなくて、全然眠れませんでした。翌日、スタッフにお願いし、その
シーンを繰り返しビデオにダビングしてもらいました。しばらくは、毎晩、何十回と同じシーンを
見ました。そして、同じことを絶対繰り返さないと心に誓いました。
その後、弱気になりかけたときは必ずそのビデオを見ました。「そんな弱気でプレーしたら、
また同じ事を繰り返すぞ」と。以降、「先っちょ集中」という言葉を使い、プレーが始まったら
ボールの先だけに集中して、手で捕ることを心がけてプレーしました。
振り返ってみれば、あのシーンがあったから自分が成長できたのだと思います。昨年までの
10年間、プレーヤーとして頑張れたのは、1年目のあの苦い経験があったからです。
今年はコーチとして関わっていますが、鹿島にはシーガルズオフェンス爆発!!で
完勝したいですね。たくさんの応援、よろしくお願いします。
1998~2007年/1998年準決勝のアサヒ 飲料戦でのタッチダウンパスを始め、記録よりも記憶に残るプレーヤー。手で取るハンズキャッチの技術が秀逸。現WRアシスタントコーチ。
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⇒11/2(日)ディビジョン優勝決定戦vs鹿島の見どころ・ご案内
2008年10月26日
鹿島戦まであと7日◆HIGHLIGHTS Vol.1-1997年●
+++鹿島ディアーズとの10年間の軌跡+++
次節はディビジョン優勝を賭けた鹿島ディアーズ戦。
この10年間の対戦を当時の中心選手のコメントとともに振り返ります。
第一回は1997年。 (写真は1997年鹿島戦 QB新生剛士選手)
◆1997年◆ リクルートシーガルズ● 13 - 17 ○鹿島ディアーズ
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前年度初の日本一、この年のパールボウルも制覇。パーフェクトシーズン、2連覇を狙う
秋のリーグ戦初戦で2部から昇格したばかりの日産プリンスに27-28で足下を救われ、
鹿島ディアーズに勝たなければFinal6に進出できない大一番。この試合に負け、
リーグ戦で敗退という屈辱を味わう。
⇒試合解説(Xリーグ公式サイト) チーム年表 1997年全スコア
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あと10センチ | QBコーチ 新生剛士 |
1997年の鹿島戦は忘れられませんね。 私は、先発QB松本選手の負傷退場を受けて
第2Q途中から出場しました。個人的には非常に調子が良く、大一番でのリリーフ登板は
心待ちにしていた場面だったのですが、いざ出場してみると、とにかく フラストレーションが
溜まって、まったく面白くない試合でした。 というのも、この試合のために用意していた
「とっておきのプレー」が、練習をスパイされていたんじゃないかと思うほど、鹿島ディフェンスに
すべて見破られてしまい、たびたびパス失敗に追い込まれたからです。 私がパスを失敗すると、
怪我をした松本選手が東京ドームのビジョンにアップになり、「松本なら決まってたな」と
言われている気がして、イライラしていました。集中できてなかったですね……。
逆転を賭けた最後のシリーズの第4ダウン。3人のディフェンダーに囲まれたエースレシーバー
河本選手に投げ込んだパスは、一度手に入った後、掻き出されてしまい万事休す。
私のパスがあと10センチ、左下にコントロールされていれば、掻き出されることはなかったはず。
その時から、翌シーズンに向けて「10センチのコントロール」にこだわっての練習が始まったのでした。
この年のオフは、私も河本選手も年末年始も休みなしでトレーニング、練習に励みました。
河本選手は、鹿島ディアーズのホームページにアップされたこの最後のパス失敗の瞬間の
写真をプリントアウトして、翌年日本一になるまでの間、ずっと会社の机に貼っていました。
個人的には鹿島戦は悔しい思い出のほうが多いですが、今思えば、あの頃のシーガルズは、
鹿島に負けるたびに課題・宿題を与えられ、それをクリアしていくプロセスで大きく成長していった
ような気がしています。
選手の顔ぶれは両チームともすっかり変わってしまいましたが、鹿島の現ディフェンス
コーディネーターは、当時、勝負どころでいつも「イヤなところ」にいた元名ラインバッカー
有澤コーチ。「お前、なんでそこにおるねん!!」と何度も心の中で叫ばされたことか……。
去年も試合には勝ったものの、作戦的には「やられた」感強し。今年こそ泣かしたるねん。
1991~1999年/1997年パールボウルMVP。走って良し、投げて良し、バランスのとれたミスターQB。現QBコーチ。 |
⇒11/2(日)ディビジョン優勝決定戦vs鹿島の見どころ・ご案内