2008年10月29日
+++鹿島ディアーズとの10年間の軌跡+++
次節はディビジョン優勝を賭けた鹿島ディアーズ戦。
この10年間の対戦を当時の中心選手のコメントとともに振り返ります。
第四回は2000年。(写真は2000年鹿島戦 #20RB古谷拓也選手)
◆2000年◆ リクルートシーガルズ○ 35 - 28 ●鹿島ディアーズ
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パールボウルトーナメント決勝で宿敵・鹿島ディアーズを破り、秋のリーグ戦でも
激しい点の取り合いを制する。リーグ戦を全勝で終え、Final6の第一シードを得るも、
準決勝でアサヒ飲料チャレンジャーズに15-23で負け、シーズンを終了する。
⇒試合解説(Xリーグ公式サイト) チーム年表 2000年全スコア
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怪我の代償 | #20RB 古谷拓也 |
2000年、社会人2年目のリーグ最終戦、鹿島との試合は、よく思い出します。RBとして最も
大切にしている「1歩でも前で進む」激しいプレーができた試合だからです。
2Q残り2分くらい(このシリーズで同点に追いつきます)、3rd-short(ファーストダウン獲得
まで残ヤードわずかのサードダウン)の左スイープ(OPENを走るランプレー)。プレーが
始まって、ボールをもらった瞬間にDLが出て来ましたが、それをくぐり抜けるような形で抜け、
DFに囲まれながらも足をかき続けてファーストダウンを更新し、ゴール前10ヤードくらいまで
進むことができました。
僕はこのプレーで右足首を骨折しました。後半はずっとベンチで、応援もできずただ眺めて
いました。今シーズンはもうプレーできないと思いながら、プレーしている選手をうらやましく
眺めていました。
ケガをして前半のみの出場でしたが、ずっと意識して練習してきた、
「少ないステップで時間をかけずに縦に走ること」「OLのブロックを上手に使うこと」
が強豪鹿島DFを相手にできたことで自信がつきました。
もう一つの成果は、「一歩でも前へ進む」激しいプレーが「チームに勢いを与える」ことを実感
したことです。 RBのあと一歩、1ヤードがオフェンスをつなぎ、その一歩、1ヤードの積み重ねが
他の選手やコーチや伝わり、チーム全体の激しいプレーを生み出すことを実感しました。
自分で思っているだけかもしれませんが……、そう信じてやっています。
続くアサヒ飲料戦は、スタンドから祈るようにして見ていました。終始、シーガルズらしい
オフェンスができず、負けました。その試合を見て、「フィールドでプレーし続ける」ことを誓い
ました。大きなケガをすることは、事故ではなく、体力的または技術的に未熟と考えるように
なりました。あの鹿島戦のケガは、自分がもう少し上手かったら防げたと思います。あの試合を
機に、エースRBはフィールドに居続けないといけない、と強く思うようになりました。ケガしても
試合に出る。痛い顔、不安な顔を見せない。激しいプレーをし続ける使命があると思っています。
あの鹿島戦が、今の自分に大きな影響を与えました。
余談ですが、ケガした直後、「たぶん捻挫なんで、後半いけます」とヘッドトレーナーの
吉永さんとチームドクターの本杉先生に本気で話したことを覚えています。アドレナリンが
出まくっていたのか(?)、あまり痛くなかったんですね。ハーフタイムにどんどん腫れて痛く
なって、諦めました。
11月2日の鹿島戦、とにかく激しく激しくプレーします。3rd-short、タッチダウンはなにが
なんでも獲ります。応援よろしくお願いします。
2000年~/言わずと知れた日本のエースRB。2005年度ライスボウルMVP。記憶にも記録にも残る大選手。前節オール三菱戦で前人未到の通算5,000ヤードランを達成。
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⇒11/2(日)ディビジョン優勝決定戦vs鹿島の見どころ・ご案内