2008年10月26日
+++鹿島ディアーズとの10年間の軌跡+++
次節はディビジョン優勝を賭けた鹿島ディアーズ戦。
この10年間の対戦を当時の中心選手のコメントとともに振り返ります。
第一回は1997年。 (写真は1997年鹿島戦 QB新生剛士選手)
◆1997年◆ リクルートシーガルズ● 13 - 17 ○鹿島ディアーズ
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前年度初の日本一、この年のパールボウルも制覇。パーフェクトシーズン、2連覇を狙う
秋のリーグ戦初戦で2部から昇格したばかりの日産プリンスに27-28で足下を救われ、
鹿島ディアーズに勝たなければFinal6に進出できない大一番。この試合に負け、
リーグ戦で敗退という屈辱を味わう。
⇒試合解説(Xリーグ公式サイト) チーム年表 1997年全スコア
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あと10センチ | QBコーチ 新生剛士 |
1997年の鹿島戦は忘れられませんね。 私は、先発QB松本選手の負傷退場を受けて
第2Q途中から出場しました。個人的には非常に調子が良く、大一番でのリリーフ登板は
心待ちにしていた場面だったのですが、いざ出場してみると、とにかく フラストレーションが
溜まって、まったく面白くない試合でした。 というのも、この試合のために用意していた
「とっておきのプレー」が、練習をスパイされていたんじゃないかと思うほど、鹿島ディフェンスに
すべて見破られてしまい、たびたびパス失敗に追い込まれたからです。 私がパスを失敗すると、
怪我をした松本選手が東京ドームのビジョンにアップになり、「松本なら決まってたな」と
言われている気がして、イライラしていました。集中できてなかったですね……。
逆転を賭けた最後のシリーズの第4ダウン。3人のディフェンダーに囲まれたエースレシーバー
河本選手に投げ込んだパスは、一度手に入った後、掻き出されてしまい万事休す。
私のパスがあと10センチ、左下にコントロールされていれば、掻き出されることはなかったはず。
その時から、翌シーズンに向けて「10センチのコントロール」にこだわっての練習が始まったのでした。
この年のオフは、私も河本選手も年末年始も休みなしでトレーニング、練習に励みました。
河本選手は、鹿島ディアーズのホームページにアップされたこの最後のパス失敗の瞬間の
写真をプリントアウトして、翌年日本一になるまでの間、ずっと会社の机に貼っていました。
個人的には鹿島戦は悔しい思い出のほうが多いですが、今思えば、あの頃のシーガルズは、
鹿島に負けるたびに課題・宿題を与えられ、それをクリアしていくプロセスで大きく成長していった
ような気がしています。
選手の顔ぶれは両チームともすっかり変わってしまいましたが、鹿島の現ディフェンス
コーディネーターは、当時、勝負どころでいつも「イヤなところ」にいた元名ラインバッカー
有澤コーチ。「お前、なんでそこにおるねん!!」と何度も心の中で叫ばされたことか……。
去年も試合には勝ったものの、作戦的には「やられた」感強し。今年こそ泣かしたるねん。
1991~1999年/1997年パールボウルMVP。走って良し、投げて良し、バランスのとれたミスターQB。現QBコーチ。 |
⇒11/2(日)ディビジョン優勝決定戦vs鹿島の見どころ・ご案内