2008年10月30日
+++鹿島ディアーズとの10年間の軌跡+++
次節はディビジョン優勝を賭けた鹿島ディアーズ戦。
この10年間の対戦を当時の中心選手のコメントとともに振り返ります。
第五回は2003年。 (写真は2003年鹿島戦 #37DL木下雅英選手/中央と
#52DL庄子達郎選手)
◆2003年◆ オービックシーガルズ● 3 - 10 ○鹿島ディアーズ
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秋のリーグ戦は、鹿島ディアーズに敗れ4勝1敗でディビジョン2位。6年連続7回目の
Final6出場を果たすも、初戦のアサヒ飲料チャレンジャーズに9-16で敗退。
⇒試合解説(Xリーグ公式サイト) チーム年表 2003年全スコア
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忘れられない一投 | QBアシスタントコーチ 井上浩樹 |
2003年レギュラーシーズンの鹿島戦が忘れられません。
少し前から話を始めさせていただきますが、2001年シーズンに右膝膝蓋腱断裂という怪我を
負い、現役引退も考えました。チームドクターの名医 本杉先生の手術と、吉永トレーナー、
アシスタントトレーナーの皆さんの支えがあって、約1年のリハビリの後に現役復帰できました。
あの時の苦しさ、辛さが自分自身を成長させてくれたと今では感謝しております。
この怪我で現役復帰する選手は少ないようで、学会にも報告されたそうですが、今年2月に
ロナウド(ACミラン)が同じ怪我をしました。頑張って復帰してほしいです。
ということで、怪我の影響で2001~2002年はまったく試合出場なし。
そして、ようやく本格復帰した2003年シーズンは、個人的にも気合十分でした。ところが、
シーズンイン直前の練習中に、今度は左足の後十字靭帯を切断。心が折れそうになったときに
定めた目標が、レギュラーシーズン最終節の鹿島戦。ここを復帰の目標に、再度リハビリに
挑みました。
そして、皆さんの支えがあって、東京ドームで行われた鹿島戦にはスタイルしてグラウンドに
立つことができました。「感謝」の気持ちを忘れずに、「恩返し」はグランウドでいいプレーをする
しかない。そう思い試合に臨みました。
0-10とリードされた後半、試合の流れを変えるために、出場機会を得ました。ショートパスや
スクランブルで流れをつかみかけたところで、痛恨のインターセプト。あの1プレーで勝利が
逃げていきました。忘れられない一投、1プレー。試合は3-10で敗戦。最後まで踏ん張って
くれたディフェンスの方々にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
今年はコーチとして鹿島戦を迎えますが、「1プレーの重さ」と、そんな舞台でプレーできる
「感謝」を忘れずに、選手と一緒に最高の準備をして試合に挑みたいと思います。
応援、よろしくお願いします!!
2000~2006年/投げれて、走れる、バランスの取れたQBとして活躍。大きな怪我をするも、それを乗り越えてチームに貢献した強いハートを持つ。現QBアシスタントコーチ。 |
⇒11/2(日)ディビジョン優勝決定戦vs鹿島の見どころ・ご案内