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2009年11月20日
PRIDE 塚田昌克
LB#9塚田昌克(まさよし)。2007年の入部以来、ディフェンスの主力メンバーとして
活躍するものの、チームは2年連続でパナソニック電工に負けてシーズンを終えている。
先日、塚田はチーム全員の前で「パナソニック電工にだけは負けたくない」と言い切った。
その背景に何があるのかを聞いてみた。
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■選択
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卒業後の進路を決めるとき、パナソニック電工に勤める先輩からも声をかけてもらっていたという。
「パナソニック電工は実家から近いし、大企業だし、アメリカンフットボールもできる。同じ立命館の先輩もたくさんいて、やりやすい環境が整っている。断る理由がなかった」
しかし、選んだチームはオービックシーガルズで、就職先はオービックだった。
「正直、とても迷った。アメリカンフットボールのことだけを考えたとき、オービックシーガルズは立命館に近い空気でやっているように見えて、ひと言でいうと『楽しんでいる』ように見えた。
プロのコーチもいて選手育成の面でも力を入れているように見え、選手として成長できる
可能性を感じた。LBコーチに時本さんがいて、成長できる環境があると思った。
この点がオービックシーガルズの魅力だった。就職活動を通して出会うことのできた『人』の
魅力も重なり、オービックへ入社してアメリカンフットボールを続けることを望むようになった。
その後、実際に入ってみると戸惑いもなく、すんなり入っていけた」
人生の大きな岐路で塚田が選択したのは、自分らしく、そして成長できるかということだった。
そして、この選択をしたからには、パナソニック電工に負けることは、自身の選択が誤っていた
ことになるのではないか、そう自問自答するようになる。
■3度目の正直
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「過去の2戦、圧倒されているわけではない。紙一重の勝負で負けていることが悔しい。2007年は500ヤード獲られたが、2008年獲られたのは200ヤードちょっとで、獲得ヤードではウチのオフェンスが上回った。差は埋まってきている」
過去の2戦と比べて、今のチームの状態をどう見ているのか。
「ディフェンス的には、シルバースター戦も抑えていたし、悲観視することはない。IBM戦もディフェンスはやはり抑えているし、安定していると思う。去年の今頃と比べると、パナソニック電工に対する各選手の意識も高く、集中できていると思う。逆に、もしこれで負けたら、
どうしたら良いのか分からない。そこまでやり尽くしてきた」
個人的にも、ビデオを見る回数やチームに対する働きかけが去年より増えていると話す。
「『勝ちたい』という気持ちだけだと一生勝てない。『勝つ』と決めて、試合に向けて準備してきた」
■地元
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「オービックの大阪の社員のみなさんも応援に来てくれる。副社長も観戦に来られると聞いている。地元大阪で今まで勝った試合をお見せできていない。今回は何としてでもオービックシーガルズが勝つところを見せたい。この試合に勝つことが、ご支援いただいている会社への恩返しになる」
オービックの社員であり、かつ、オービックシーガルズの選手であるという責任感もあるのだろう。自分の決断が正しかったことを証明するために、そして支えてくれる会社のためにも、次戦は勝つこと以外には考えられない。塚田の執念にご注目いただきたい。
パナソニック電工戦での勝利に対する、異常とも言える執念は塚田だけではない。チームに関わる誰もが、長居で電工に勝つことを信じている。そしてファンの皆様に期待していただいていることも知っている。リーグ最終戦でシルバースターに負けてから今日までの4週間、今までにないくらい、勝つための準備、行動を全員がしてきた。ぜひ、その集大成を、オービックシーガルズの執念をご覧ください。 |
2009年11月17日
自分のオフェンス 松本喬行
3年目にして副将、オフェンスリーダー。さらに今シーズンは、OL(オフェンスライン)だけでなく、
TE(タイトエンド)としても活躍を見せるOL#50松本喬行(たかゆき)(TEでは#87)。
今シーズンの様々な変化を彼はどう受け入れているのか。そしてオフェンスリーダーとして
セカンド・ステージにどう臨むのかを聞いてみた。
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■環境の変化
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「オフェンスリーダーの話をいただいたとき、正直自信がなかった」
まだ3年目。錚々たるメンバーが揃うオフェンスを、リーダーとして牽引するのは恐れ多いと感じたという。しかし、その話を受けてからの行動に迷いはなかった。
「この2年間はおとなしくチームに関わっていた。チームに自分をどう合わせたらいいのか模索しながら、所属している感じだった。本当の自分を出していないというか……。だから、この機会を前向きに受け入れて、回りを気にせず自分の信じたことを行動に移すことにした」
今ではその言動から「将軍」というあだ名がつくようになった。「将軍」と呼ばれる背景には
どんなことがあったのだろうか。
■若手をリーダーに
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松本がまず取り組んだことは、コミュニケーションの活性化だった。
「コーチ主体にならず、選手とコーチのコミュニケーションを増やすことを心がけた。コーチと選手がお互いの意見を出し合ってオフェンスを創っていくこと、そういうオフェンスにしたいとオフェンス全員に話した」
シーズンが始まる前、新生オフェンスコーディネーターと「どうやってオフェンスを変えていこうか」とことん話をし、若手が主体的に関われる環境を整備した。この2年間、松本自身が「受け身」だったからこそ、若手が自分を出せる場を創ったのではないだろうか。
「実際にやったことは、若手を中心にポジションリーダーを指名したこと。しんさん(OL#68河村)を
リーダーにしたら、すごくオフェンスがポジティブになった。しんさんも自覚してくれてたと思う。
しみけんさん(WR#83清水)も自分と同じ認識でチームを牽引してくれて、阿南(WR#26)、
やまちゃん(RB#35山﨑)もリーダーシップを発揮してくれた。拓也さん(RB#20古谷)や
白木さん(RB#36)は何も言わなくても主体的に関わってくれる。春は月に数回、リーダー
ミーティングをして、各ポジションの現状やオフェンスをどうしていこうかを一緒に考えた」
OLの中心人物でもある工藤(OL#74)も、今シーズンのオフェンスは「雰囲気がいい」と言う。
3年目の松本が発信し行動することで、「自分も言っていいんだ」と思えた若手が増えたのでは
ないだろうか。自分の考えや思っていることを発信しやすい場を創ったからこそ、工藤のような
言葉が出るのだろう。
もうひとつ、松本が意識をして取り組んだことがある。「ツイスターズ(OLの愛称)がオフェンスを
引っ張る」と常に言い続けたことだ。
「自分はOLだから、特にツイスターズを中心にオフェンスを創りたくて、言いたくないことも
ツイスターズには言ってきた。ディフェンスに比べてオフェンスは受け身に見られがちなことも
嫌だった。攻撃的なオフェンスを創りたかった」
練習中、ハドルブレークが弱いとき、松本がツイスターズに罵声を浴びせるシーンが何度かあった。
それは松本の強い思いであり、譲れない部分だったのだろう。ツイスターズにあれだけ厳しく言える
人間は、松本以外にいない。ツイスターズの信頼関係が固いからこそ、なしえることだろう。
「今シーズンのオフェンスは、自分のオフェンスだと思っている。中途半端なことをする選手がいたら、
迷いなく殴れる覚悟はできている」
■セカンド・ステージに向けて
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セカンド・ステージについては「特別なことをしようとは考えていない」、そう切り出す。とはいえ、春に自分たちでオフェンスを創っていくと決めてから、まだ結果が出ていない。
「今シーズンのオフェンスのスローガンは『MAX TENPO』。何があってもそこに立ち返る、ということを春の練習からずっと意識してやってきた。自分たちが春から掲げたものを継続して形にできていると実感できるのはこの3年間で初めてで、そこには自信をもっていい。一方、ファースト・ステージで露呈した準備不足や決定力不足の原因は分かっているので、そこを自信に変えることも、この3週間でできたと思っている」
「自分たちのフットボールを楽しくやろうよ」というKJ(DL#11ジャクソン)の話が印象に残っていると話す。
「そういう感覚でプレーできるのが社会人の醍醐味だと思う。自分たちがやってきたことを信じて、
もっともっとレベルアップさせる。自分たちの一番楽しいフットボールをIBM、パナソニック電工に
ぶつける。自分たちのオフェンスをやりきるだけ。それを楽しみたい」
3年目にして初めて自分のオフェンスで勝負する。率いる若き将軍の真価も問われる。
環境が人を変えるというが、マツもその言葉に当てはまるのかもしれない。しかし、大学時代に主将を務めたポテンシャルは誰もが感じていた。マツがリーダーになったことで、オフェンスに新しい風が吹いている。この取り組みが正しかったことを証明するためにも、セカンド・ステージ2試合は負けられない。オフェンスは、そしてオービックシーガルズは、プライドをかけて勝負に挑む。 |
2009年10月14日
ビッグゲームでスタートを取る 畠山大輝
今年、ノートルダム・ジャパン・ボウルの日本代表候補にも招集された、オービックシーガルズ
ディフェンスの成長株、DL#94畠山大輝。プレーだけでなく、チームへの発信の場も増え、
心技体のレベルがバランスよく向上しているように見える。その背景に何があったのか。
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■3年目の危機感
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「1、2年目は、序盤の試合には出るものの、鹿島戦やパナソニック戦のように負けたら終わりの試合には出られなかった。『今年出られなかったら自分はもう終わりだ』、そう思ってシーズンに入ったところ、くしくも、昨年までNT(ノーズタックル)でスタートだった加藤(佑一)さんが引退した。今年こそ何とかしたいという自分の気持ちとチーム事情が重なり、自分次第でスタートを取れるチャンスが回ってきた。このチャンスを逃すと、もう自分の居場所はないと危機感を持ってシーズンに臨んだ」
これまでもスタートになるという目標を持って常に全力でプレーをしていたし、
トレーニングも続けていた。けれどスタートを取るために何をするのかが、
ぼやけていたという。とにかく一生懸命頑張ろうとしていたと。
そこからの脱却が、スタートを取る最短距離であることに気づいた。
■自問自答
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「昨年まではこじんまりと、黙々と自分のことだけをやるというスタンスだった。それは、自分に自信が持てず、周囲に発信することができなかったから。そこを変えれば、スターターやビッグゲームに出られるチャンスが見えてくるのではないか。今年も遠慮して自分を出さなかったら、昨年と同じ結果になるのではないか。そう自問自答した結果、まだスタートにもなれていないし、自分に自信も持てていなけれども、自ら主体的に行動をすることを心がけるようになった」
今シーズン、ディフェンスリーダーのひとりとしてディフェンスメンバーの前で話をし、常に自分だけ
でなくチームを強くするためにという視点で関わってきた。
その行動や姿勢に刺激を受けたディフェンスメンバーも少なくない。
■攻める気持ちと「LOCK ON」
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「昨年までは失敗を恐れて、ミスをしないようにプレーをしていた。だからプレーもこじんまりしていたし、良い結果もなかなか出せなかった。今年はミスしてもいいから思いっきりやることを心がけた。その結果、春シーズンは過去振り返ってもないくらいの手応えを得られた」
常に攻める気持ちを持ってフィールドに立ったことが、いい方向に動いている。
「攻める気持ちといっても、『やってやろう』とか『かましてやろう』とかいう気持ちだけが先行しているときは良い結果をもたらさない。ミスした時に、攻める気持ちを忘れずに次のプレーに行こうと、
『攻める』という漠然とした言葉だけが頭にあるときはうまくいかない。
春のパールボウルで実感したことだが、具体的に自分がこの試合でやること、試合前に全員に
発信している『LOCK ON』(自分がやること)に立ち返ったときにいいプレーができている。
ここからも攻める気持ちとLOCK ONに立ち返って必ず結果を出して、続くビッグゲームに
スターターで出られるチャンスを自分で掴みたい」
ハタケの葛藤を聞くと、自分の3年目の頃を思い出します。同じ道を辿っているなぁと。最短距離はなく、そこは自分自身で切り拓くしかない。ハタケの向上心があれば、必ず拓ける。期待している選手のひとりです。 |
2009年09月24日
決断 白木周作
RB#36白木周作、8年目。ベテランとしてオフェンスチームを牽引し、その言動から一目置かれる
存在である。今季の彼について、ディフェンスの面々やコーチは「うまくなった」と声をそろえる。
その背景には何があったのだろう。
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■自分の持ち味とは
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「これまでは、いろんなことをやろうとしていた。インサイドもアウトサイドも走らなければならない、スペシャルプレーもやらなければならない、と。でも、今シーズンは杉原(#21)が加わり、不動のエース・たっくん(#20古谷)がいる。その中で、自分の持ち味って何だろうって改めて考えた。単純な速さでは杉原や古川(#23)には敵わない。絶対的な存在感やクイックカットはたっくん。ならば、そこは彼らに任せればいい。自分は、自分にしかできないことだけに絞り、それ以外は捨てると決めてシーズンに入った」
確かに白木には、「器用さ」も「力強さ」も「スピード」も「キャッチ」も、バランスよく持ち合わせた
イメージがある。それゆえに、何にでもうまく対応するものの、「白木といえば×××」という
代名詞が見当たらなかったのかもしれない。
■原点に戻る
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「春の富士通戦で、『1ヤードでも前、1ヤードでも多く走る』という自分の原点を再確認した。そして、そのために必要なことは何だろうと考えた結果、迷いなく思いっきり進むこと-それには体重が必要だと思い至った。70kg台の去年までだと、当たり負けるんじゃないか?という不安が心の隅にあった。だから、スピードはキープしつつ、体重を80kg台に増やして迷いや不安をなくし、フィールドでは思いっきりやるだけという状況をつくった。そうしたら、人と当たったときの感覚が全然違った。当たり負けていない」
もともと、学生時代のポジションはFB(フルバック)で、体重も80kg台だったという。
そのとき大事にしていたことは、当たり負けないこと。社会人8年目にして、
大学時代に大切にしていたことに戻った。
■覚悟
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「クイックカットで1対1の勝負において、自分は10回あったら10回すべては勝てない選手。そこは割り切ることにした。去年まではその局面、局面を考えてしまっていたが、今はこの7年間でファンダメンタルはある程度体に染みついていると信じて、『1ヤードでも前』に立ち返って、迷わず思いっきり当たりにいっている」
RBコーチ兼任でもあり、白木を身近でいちばん見ている#20古谷は、白木をこう評する。
「カットが一歩で切れるようになった。加えて、縦に上がる意識が持てるようになった。それはパート練習でやっていることでもあり、彼は基本に忠実。ファンダメンタルが
しっかりできていることが、フィールドに出ている」
ファンダメンタルが体に染みついているからこそ、迷いなく「1ヤードでも前」に
立ち返れているのだろう。
「『あのとき、ああしとけば良かったな』ということをひとつも残したくない。
今までの自分のアメフトにかける取り組みに関しては、後悔がひとつもない。
だから、もし今、怪我でシーズンを棒に振るようなことがあっても悔いはない。
やることを決めて、思いっきりやる。それだけを続けてきた」
今シーズンに賭ける、彼の覚悟を感じる。プレーにおける力強さだけでなく、
気持ちの強さがそれを後押ししている。迷いはない。
■オフェンスチーム
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「秋はここまで、オフェンスチームはたくさん点が取れて、いい部分が出ていると思うが、試合をフィルムで振り返るときは常に、たとえ1対1で勝っていたとしても、これが電工だったら、鹿島だったら……と思いながら見ている。相手に勝った・負けたより、ちゃんと自分が勝負できているかどうかが大事だ」
彼が入部してからこれまでで、オフェンスはいちばんいいという。
「全体的にフィジカルに強く、いい選手が多い。若いメンバーも活きがいい。このオフェンスで勝てなければ、もう勝てない-そう思っている。今、このメンバーでプレーできていることが楽しい。自分がベテランとか、チームを引っ張るとかは、あまり考えていない。とにかく自分のプレーをするということに集中している。また、コーディネーターが新生さんに代わり、選手とコーチのコミュニケーションで創っていくオフェンスになった。そういうことはしたかったし、自分たちで創るということは、選手にも責任がある。新生さんはコミュニケーションを大切にしてくれるし、ランユニットを見る宮田コーチには、大学でもコーチとして見てもらっていたので信頼できるし、自分の意見をプレーに取り込んでくれる」
「器用」という言葉が、今までの白木には適していたのかもしれない。
しかし、それには彼自身がいちばん違和感を覚えていたようだ。
オービックシーガルズのRB像に合わせていたのかもしれない。
今シーズンは原点に立ち返った結果、迷いがなくなり、彼本来のプレーができている。
そのプレーがチームにも勢いを与える。
白木の「1ヤードでも前」のこだわりに注目してほしい。
勝つためにぶれない「軸」(自分)を持っている、気持ちの強い選手。当たり前のことを当たり前にできる数少ない選手。常に全力で取り組む姿勢は素晴らしく、「白木には負けたくない」と思わせる選手だ。一つひとつの勝負に練習からこだわっているからこそ、試合で結果がついてくる。また練習で彼と勝負できるのが楽しみだ。 |
2009年09月14日
3年目の変化 矢野川 源
この半年、いろいろな選手にインタビューをしてきたが、その際、ディフェンスメンバーからは、
必ず#24DB矢野川 源の名前が出てくる。チームにおける彼の存在感の大きさを象徴している。
3年目の今季、彼にどんな変化があったのか。
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■チャンス
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2009年シーズンが始まったとき、今までとは違う景色が矢野川には見えた。昨年までリーグを代表するFS(フリーセーフティ)だった寺田、里見、金子が引退し、DB(ディフェンスバック)全体が若返る-そんな現実をどう受け止めたのか。
「『チャンスだ』という気持ちが7割、あとは『ヤバイな』という不安な気持ち。自分は試合に出て活躍したいタイプだし、今年この状況で試合に出られないとマズイなと。怪我も治って調子も良かったし、いけるやろという自信もあった」
昨年は怪我の影響もあり、実質、控えに回ることが多かったので、この状況をチャンスと捉えた。
「システムの変化も、大学時代にやっていたものと近く、そんなに大きな変化とは捉えていない。
むしろ、新しいことにチャレンジできることを楽しんでいた。また、古庄さん(#2)が同じDBと
なったので、スタートを取られるという危機感がいい刺激になった」
実際、春シーズンはFSの両翼の一枚として常にフィールドに立ち、
古庄とのコンビネーションはシーガルズディフェンスの新しい武器として脅威を与え続けた。
古庄とのコンビをどう思っていたのか。
「システムの変化はだいぶ形になってきた。古庄さんはFSとしてもガンガン攻めるタイプで、
自分はどちらかというと引くタイプ。このバランスが、チームにとっても自分にとってもいいと
感じている。古庄さんとはとてもやりやすい」
大きな変化に柔軟に対応し、自分の居場所を確立した春シーズン。
フィールド以外での変化も見逃せない。
■リーダーの意識
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今シーズンからディフェンスミーティングを中心に、DL(ディフェンスライン)、LB(ラインバッカー)、DBから各1名がリーダーとなり、ディフェンスメンバーの前で話す機会を設けている。矢野川はDBリーダーとして今までにない立場を与えられた。
「高校も大学もリーダーシップを求められる環境にいたので、元々、シーガルズでもそういうことはやりたいと思っていた。去年までは若干遠慮していて(笑)、フィールドではリーダーシップを出してきたが、メンタルな部分では自分を出し切っていなかった」
プレーでもメンタルの部分でも自分が出せる環境を与えられたことが、プラスに働いた。
その結果、フィールドでもフィールド外でもリーダーとしての信頼を構築することになった。
「大橋さんがよく話す『主体的にチームに関わる』ということが、ディフェンスは特にできている。
ハタケ(DL#94畠山)や橋本(LB#44)などの若い選手がどんどん発信している。
自分を含めた若い3人がチームを引っ張ろうとしていて、それを見た今年入った選手や若手が
流れに乗って、遠慮せずチームに関われている。DBは今、とてもいい雰囲気でプレーできてると思う」
チームはいい状態に見える、と話す。過去3シーズンで最も自分らしさを発揮しているシーズン。
今の心境を聞いてみた。
「チーム内のスタート争いが熾烈。春シーズンは出られなかった選手3人が戻ってきて、
7人で2つのポジションを競っている。前節の試合で自分はプレーに絡めていない中、
堀さん(DB#41)がインターセプトをしたのを見ると、ちょっと焦ったり。
でも、そういう高いレベルでの競い合いが楽しい。まずは信頼を勝ち取って、
常にフィールドにいる選手でありたい。プレーで見せていくしかない」
「春シーズンは自分を出すことで逆に熱くなり過ぎて、失敗したことがいくつかあった。今までは自分のプレー、自分のことだけに集中していたからそんなことはなかったが、チーム、ディフェンスという視点で考えることで余計な力が入ってしまったことも事実。プレーだけでなく、気持ちの部分でも自分を出していくことにまだ慣れていないが、ここがコントロールできたらもっと面白くなると思う」
まだまだ成長過程。気持ちの昂りがプレーに良い影響をもたらし、それを具現化できるようになったとき、また新しい境地に入るだろう。
#24、ディフェンスの最後尾から目が離せない。
3年目の選手とは思えない存在感がすでに確立されている。DBは、シーズンが深まるにつれてチーム内で激しいスタート争いが繰り広げられることになるだろう。そこを乗り越えて試合のフィールドに立ったとき、その自信と責任が、源のプレーをさらに鋭くさせるだろう。決して「引くタイプ」ではない、彼のアグレッシブなプレーが、個人的には楽しみである。 |
2009年09月07日
楽しむ 萩山竜馬
#85WR萩山竜馬は、春シーズンはすべて、カナディアンフットボールなど様々なリーグの
トライアウトに参加してきた。中には、マンツーマンを5回しかやらないトライアウトもあったという。
そんなトライアウトを通じて何を得てきたのか。そして今シーズン、何を思ってプレーするのか。
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■武器
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萩山の武器は、スピード。DBとして今までたくさんのWRと対峙してきたが、彼のスピードは国内トップレベルであることは間違いない。そんな彼が海外のトライアウトで感じたことはどんなことだったのだろうか。
「ショルダーもヘルメットもつけないトライアウトが多い。それなのに、向こうの選手は激しいし、球際も遠慮なく来る。自分と同じくらいのスピードのDBもいて、なかなかスピードで押すことができない。そんなとき、去年からシーガルズで言われてきた『ファンダメンタル』に立ち返り、ここがしっかりできないと勝てないし、DBとのかけ引きをしないと勝てないことが分かってきた。機会も限られていたので、1本1本を大切に、集中力を高められたことも自分にとってプラスになった。そういう部分を意識してできたことがよかった」
スピードだけでは通用しないことを受け入れ、他に何が必要かを考えたとき、
オービックシーガルズで常に言われてきた「ファンダメンタル」に立ち返ったという。
数多くのトライアウトを通じてもがいた結果、自分に足りないものが分かったことが、
萩山にとって意味のあるトライアウトだったのではないだろうか。
■感触と課題
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数多くのトライアウトを受けてきた中で自分と向き合い、試行錯誤を繰り返したに違いない。そのひとつとして、ウエイトトレーニングにも励み、体重を90kg台にしてパワーアップを図っている。90kgという体重で萩山のスピードをキープできるWRは、日本にはなかなかいない。トライアウトでの感触はどうだったのだろう。
「いろいろなレベルの選手70~80人のうち、結果4、5人しか呼ばれないトライアウトもあり、そういうときは飛び抜けていい選手が呼ばれる。自分もそう悪くないと感じているものの、飛び抜けていい部類には入れていない。でかくて速いWRはたくさんいるが、プレーが適当。自分はプレーのタイミングやファンダメンタルにこだわってやっているので、そこは継続しつつ、実践でDBとのかけ引きの幅を増やしていかなければならないと感じている。そういった、意識していることをゲームで自然にできなければ通用しないことは分かっているので、今シーズンはここを課題に取り組んでいる」
ここ数年、萩山の課題でもある「細かいところの徹底」。
この課題の克服と、「かけ引き」=「オリジナリティ」の構築が今シーズンの課題となる。
ファンダメンタルができるとある程度までは通用するが、
さらに高いレベルで自分の色を出すには+αが必要となる。
すでにスピードが萩山の色だとしたら、ファンダメンタルの徹底とかけ引きの多さが、
その色をさらに濃くさせる。
■楽しみたい
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久しぶりにシーガルズに合流した今、何を感じ、何を思ってプレーしているのだろうか。
「久しぶりにショルダーやヘルメットをつけてフットボールするのは面白い。春はシーガルズにいなかったから、どんどん練習中からアピールしていかなければという意識が強い。そうやって自らプレッシャーをかけていくのが、今の自分にはいいと思っている」
「自分が掲げている課題をゲームでクリアできたときに、初めて感情が入ったり、勝負を楽しめるんだと思う。今までは、やらないといけないことを考え過ぎて、ゲームを楽しむという段階まで行けていなかった。今は楽しめている。練習でも、とにかく思い切ってやってみて、それをビデオでチェックして、できているところ、できていないところをしっかり把握して、またやってみる、ということを継続していくしかない」
今、オービックシーガルズで最も危険なWRだ。彼がボールを持つたびに、タッチダウンの可能性を秘めている。彼の成長がオービックオフェンスに及ぼす影響は多大だ。昨年以上に自分から発言することも多く、フットボールを楽しんでいることが見てとれる。一つひとつの課題をクリアにしていく過程がフットボールを楽しむことにつながり、無心でフィールドに立てたとき、本当のハギのすごさが発揮される。ご期待ください。 |
2009年08月20日
不完全燃焼 中井勇介
7月、NDJB(ノートルダム・ジャパン・ボウル)を終えた#5LB中井勇介の第一声は、
「不完全燃焼」だった。しかし、今回の日本代表への招集は、中井がこの先“完全燃焼”
するためのきっかけに過ぎない-。彼は成長過程の真っただ中にいる。
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■日本代表への思い
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オービックシーガルズ恒例、春の走り込み。今年は例年以上に厳しいメニューが待っていた。そんな中、いつになく明らかにキレていたのが中井だった。こういう走り込みのとき、今までも速い部類に入っていたが、この春は誰もが速いと認めるスピードで駆け抜けていた。ディフェンスリーダーの自覚の表れか?と感じさせるほどに。
「もっとうまくなりたい、そして日本代表に選ばれたい-春からそう思ってやっていた。大橋さん(ヘッドコーチ)や時本さん(ディフェンシブコーディネーター)が日本代表のスタッフに入ることも分かっていたので、正直なところ、アピールしなければと
必死に走った。体力的に充実していて、自分でもキレていたと思う」
迎えたパールボウル。オービックシーガルズは決勝に進む。
中井はその鹿島戦で負傷し、最後までフィールドに立つことができなかった。
そしてその傷が癒えないまま、日本代表として招集された。
■日本代表で気付いたこと
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「どういう雰囲気でやっているのか。ピリピリしているのか。みんな楽しくやっているのか。初めてだったので、様子を見ていた」
最初、探らないと自分を出していけない性格だ。IBMから移籍してきた初年度、まさに“探っていた”中井を思い出した。
「候補選手80名から最終的に60名にカットされる-そんな状況に追い込まれたことが今までなかった。そのうえ怪我もあって、なかなか自分らしいプレーをアピールすることができない……。でも、自分のできることだけはやり切ろうと決めてプレーしていた。
選ばれるかどうか、は常に頭にあった」
今までにないプレッシャーの中、しかも自分の100パーセントの力が出せない状況は
不安だったに違いない。初めて掴んだチャンスでもある。
果たして、彼は最終メンバー60名に名を連ねた。
初選出の中井に、代表の他のLBはどのように映っただろう。
「そんなに差を感じなかった。普段シーガルズで指摘されているのと同じことが代表の
ミーティングでも指摘されているし。自分がやってきたこと、できることをしっかり出し切れば、
十分できると思った。ただ、怪我で自分を100パーセント出し切れなかったことに悔いが残る。
特に前も選ばれていた選手たちはプレーの理解度が高く、自分の役割をしっかり理解して
いるから、迷いなく思いっきり動けていた。自分は初めてだったので、理解するのに少し
時間がかかり、思いっきりプレーできていなかった」
日本代表のLBコーチを務めた時本に、中井をどう見ていたか尋ねてみた。
「確かに、怪我のために他の選手より練習ができていなかった。でも、MIKEとOUTSIDEの両方ができる器用さがあるし、他の選手よりLBとして求められていることを理解している。特に今年になってから、攻めるところは攻める、引くところは引くという状況を見極めて動ける選手に成長した。以前は自分を必要以上に低く評価していたが、代表のLB陣と同じフィールド、同じ条件でプレーすることで、自分がより秀でている部分も分かったのだろう、 い
い意味で自信を持ってプレーできているように見えた」
コーチから見て、怪我をしていたとしても「使いやすい」「使ってみたい」と
思わせる選手の一人だったに違いない。
もし100パーセントの力が出せるなら目立ちたいと話す中井。
しかし、残念ながらNDJBでは目立つことはできなかった。
「ああいうレベルの高い選手と対戦する機会はなかなかない。やっぱり違う。
コンタクトスポーツにおいて日本人が外国人に弱いと言われる意味が、
肌で感じることで分かった気がする。 ファーストプレーのキックオフリターンでセットすると、
目の前に外国人が並んでいる。 当たり前のことだが、今まで見たことない景色に怯んだ。
気合いを入れて、叫んで向かっていった。プレーが始まると、最初はいつも通りできることも
あったし、相手もイメージしていたほどではなかった。しかし、徐々に力の差が出た」
100パーセントの力を出し切った中井の勇姿を見てみたかった気がする。
■変化
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オービックシーガルズで4年。ようやくSTUD DEFFENCEを自分なりに理解して思いっきり動けるようになりつつあったところ、今春、大きくディフェンスシステムが変化した。春シーズンはそのシステムにアジャストすることで必死だったという。
「ディフェンスはベテランが抜けて、新たにタカマサ(橋本#44LB)とか源(矢野川#24DB)、ハタケ(畠山#94DL)が引っ張ろうとしていた。自分はそれを第三者のように静観している感じだった。でも、代表から戻って、彼らに負けないようにチームに関わろうと考えだした」
どちらかというと前に出て何かをするタイプではなかった。
しかし、今求められていることを自分なりに解釈して、行動に移すようになった。
「去年まで里見さん(里見恒平/OB)がウエイトリーダーとして積極的にチームの
ウエイトトレーニングでリーダーシップをとっていたけど、そのポストが今いない。
そこで自分が引き継いで、土曜日の練習前に自主的にウエイトトレーニングを
やろうと決めた。 最初、木曜日にみんなにメールで投げかけたけど誰も来なかった。
実は送信ミスでみんなに届いていなかっただけだった(笑)」
「怪我で休みがちなので、とにかく早くフィールドに戻ってプレーをしたい。
怪我をしない体づくりを大切にしたい。堀(#41DB)とか町(#43DB)とか、
フィジカルに長けている選手が加入したので、早く彼らと一緒にやりたい」
「不完全燃焼」の経験は必ず、日本一という「完全燃焼」へとつながるだろう。
フィジカルに長けたアスリートLBという印象から、状況を理解して自分なりに考えてプレーする選手へ変換しつつある。それはフィールドだけでなくチームに対しても。フィールド内でも外でも、今シーズン最も楽しみな選手だ。 |
2009年08月03日
ご報告
秋シーズンより、選手としても日本一を目指すことになりました。
背番号は「19」、ポジションは今まで通り「DB」です。
12年間慣れ親しんだ#21という背番号は、杉原選手がどうしてもつけたいという
ことで、譲りました。
今シーズン、拓也(#20古谷)よりも1ヤードでも多く走るという決意表明だと
僕、受け取っています。
#21にご注目ください。
#19を選んだ理由は特になく、最後に余った番号で一番つけたいと思った番号が
#19だっただけです。
1、2年目はどの番号をつけるのかはとても重要なことでしたが、
12年もやると、どの番号をつけるか?よりも自分がどんなプレーをしたいのか?が
とても重要になっています。
#21という番号で過ごした12年間は自分自身にとっても感慨深い、とても素晴らしい
アメフト人生でしたが、今は新しいチャレンジにワクワクしている1年目の選手のような
心境で、とても新鮮です。
コーチとしてチームに関わらなければ、戻ることもなかった思います。
幸か不幸か?、コーチとして一番近い位置でTEAMに関わらせていただいたために、
選手としてうまくなるヒントを見つけてしまった。
見つけてしまったからには、それをやってみたくなった。
自分の心に素直に動いた結果です。
自分勝手な決断をしたことは重々承知しています。
選手としてプレーする以上、フィールドに立つ以上、TEAMに勝利をもたらすプレーをする
ことが、何よりもの恩返しだと考えます。
自分勝手な決断を受け入れてくれたSEAGULLSというTEAM、大橋さん、時本、コーチの
みんなのためにも、TEAMに勝利をもたらすプレーをする。
SEAGULLSを日本一にする。
今シーズン、フィールドに立つ決意表明でした。
2009年07月22日
努力の人 宮本 士
大学同好会でアメフトを始め、大学2年からオービックシーガルズのクリニックに参加。
トライアウトを受けてオービックシーガルズに入部した#75OL 宮本 士。
今では日本代表に定着するも、これまでの道のりは平坦ではなかった。そんな彼は今、
日本代表チームで何を感じてプレーしているのか。
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■変化の中で
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今年からオフェンスコーディネーターが新生剛士に代わり、迎えた春シーズン。振り返って、宮本は敗戦の責任を自分に向けていた。
「昨年のコーディネーターの大村さんは、どちらかというとトップダウンで決めていくタイプだったが、新生さんは一緒に創っていくコーディネーター。OLは、新生さん、宮田OLコーチ、古谷さん(拓也#20RB)と一緒にランユニットを創っていくという意識のもと、一緒にビデオを見る時間やコミュニケーションを増やし、細かいファンダメンタルを共有しながら進めてきた」
大学時代、チームのプレーを主体的に考えていた彼にとって、このように関われることは、
とても楽しかったという。しかし、春の敗因はこのランプレーが出なかったことだと語る。
「ランが出なかったのは、OLの細かいファンダメンタルが徹底できていなかったから。
毎年同じことに気をつけてはいるものの、今年は新しい選手が入ってきて、コンビネーションや
一人ひとりのファンダメンタルの完成度が低かったと思う。日本代表のRBを抱えながら
ランが出ないのは、OLの責任だ」
彼の考える、完成度の高いOLユニットとはどのようなものなのだろう。
「OLは、ずっと一緒にやっていく中で感覚的なところが一緒になっていく。2002年から
2005年まで、大野さん(現富士通コーチ)、星谷さん(現アサヒ飲料)、矢部さん(OB)と
プレーしたときは、長い時間一緒にプレーすることで、『あ、うん』のタイミングというか、
感覚的な部分がツーカーになっていくのを経験した。OLには、そのユニットの一体感、
感覚の擦り合わせがとても大事だと感じる」
今シーズンは、渡邊(翔#78)、フランク(フェルナンデス#67)の新加入選手、実質、
昨年はプレーできていなかった河村(#68)など、新しいメンバーとの感覚的な部分の
擦り合わせができていなかったことが反省材料だと話す。
秋シーズンに向けては、どう修正していこうと考えているのだろうか。
「新加入選手には、それぞれ今までいたチームのファンダメンタルがある。まずはオービックシーガルズのファンダメンタルに慣れなければならない。しかし、順応するには時間がかかる。彼らの素晴らしい部分は消さずに活かしながら、ユニット力を上げていくことが大切。4年かけて構築したユニット力まで、この1年でもっていかなければならないと考えると、限られた練習時間、練習量だけでは間に合わない。自分が今まで学んできたシーガルズの細かいファンダメンタルをみんなに伝えることを意識している。自分のアウトプットの質が高ければ早く順応できるだろうし、シーガルズのOLの理想のやり方を 共有して、練習の質を上げていけば、実現できると信じている。
そこのリーダーシップは自分の使命。 これからも宮田コーチ、古谷さんとコミュニケーションを
取って創っていく」
■日本代表
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2007年W杯に続き、日本代表に名を連ねた。2007年の代表OL6名がそのまま残り、
コミュニケーションはとても取りやすい環境にあると話す。その中でひとつ大きな変化があった。
「柳さん(富士通オフェンスコーチ)がOLを担当している。自分がシーガルズに入った
当初から指導していただいたコーチで、柳さんの指導が今の自分の礎になっている。
入部当初、本当に下手だった自分に、柳さんはひとつのポジションだけでなく、OLの他の
ポジションもいろいろチャレンジさせてくれた。常に全ポジションのアサイメント、テクニック、
ファンダメンタルを学ばなければならず、必死に覚えた。それがベースにあるから、
今もOLの全ポジションができる。それは気づいたら、ユーティリティプレーヤーとして
他の選手にはない自分の武器になっていて、日本代表で活かせていると思う」
宮本にとって柳さんは恩師であり、日本代表という舞台で、柳さんに自分の成長した姿を
見せたいという強い動機がある。ハードな練習でファンダメンタルを構築することで有名な
柳さんのコーチングを受けている富士通OL(柳チルドレン)とも、分かち合えていると話す。
■日本代表への道のり
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今でこそ日本代表として定着した宮本だが、ここまでの道のりは平坦ではなかった。ただ、一度も諦めず、常に成長を求め、努力を怠らなかった。実は、そのきっかけと今回のノートルダム大との対戦はつながっていた-。
「同好会の2年生のときから4年まで、オービックシーガルズのクリニックに毎回参加した。同好会では、OLのパート練習といえば1on1のみのような練習だったから、初めてクリニックに参加したときは衝撃だった。そこで学んだことを必死にノートに書き写して復習した。トライアウトを受けて何とか入部できたけれど、1年目はベンチにも入れず、スタンドから試合を見ることしかできなかった。努力してもなかなか認められず、これ以上やっても本当にうまくなれるのか?と自分を信じられない時期もあった。そんなとき、『ルディ』(ノートルダム大アメフト部をモデルにした映画。体が小さく出場機会に恵まれない選手が、諦めずに自分にできることをやり続け、最後試合に出るというストーリー)を何回も見て、『ルディに比べれば自分にはチャンスがある。諦めてはいけない』と自分を奮い立たせるきっかけにしていた。『ルディ』を見て、貪欲にいろいろなポジションを経験したり、トレーニングを継続していく中で、少しずつ周りから取り組み姿勢やプレーを認めてもらえるようになって、今の自分がある。
そういう意味でも、今回対戦できることは、本当に感謝している」
■アメフトを続ける理由
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今年で33歳。“引退”が脳裏をよぎる年齢でもある。そんな彼が、なぜアメフトを続けるのだろうか。
「一番大きいのは、ビッグゲームのドキドキ、日常生活では感じられない、あの雰囲気を感じられることだと思う。だから、この前のパールボウルは楽しかったし、あんなに大勢の観客の前でプレーできることは幸せだ。自分が満足いくプレーができる限り、プレーしたい。もし、満足いくプレーができなくなったときは、引退を考えなければならないと思う。自分の思うようなプレーができなくなったら、それがストレスになると思うし、凄く辛いだろう。自分のプレーができる状態を少しでも長くしたいから、日々できることを継続しているんだと思う」
入部当初から宮本選手を見ているが、彼の1年目をよく覚えている。同好会出身の選手はやっぱり社会人では難しいんだなと。しかし、彼は自らの努力で日本代表まで上り詰めた。誰よりもウエイトトレーニングに励み、ビデオを見て研究をし続けた。決して諦めず、前を向いて歩き続けた。Person of effort-努力の人である。 |
2009年07月01日
解き放たれた本能 古庄直樹
2009年春シーズンが終わった。
パールボウルへの道で、ひときわチームに勝利を呼び込むプレーを示した選手がいた。
#2古庄直樹、オービックシーガルズ主将。準決勝・富士通戦での起死回生のインターセプト、
決勝・鹿島戦でのQBサックからのタッチダウンとインターセプト-大舞台で2ターンオーバー、
1タッチダウンを記録した。ディフェンス選手でここまで存在感を示せる者はそういない。
この活躍の背景を探ってみた。
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■チームを勝利に導くプレー
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「富士通戦のインターセプトは、最後のボールを捕ることができたことが大きかった。狙うところまでは意識していたが、ボールを捕った瞬間は“無心”だった。もう一回同じプレーをしろと言われても、できるかどうか……。こういうプレー、チームを勝利に導くプレーをしたいと思っていてできたから、そこは成長したところだと思う 」
得点6-10、劣勢の中で古庄が奪ったボールは、チームの勝利への意思を再び呼び起こした。今までいくつもの古庄のプレーを見てきたが、ここ数年見ていない「チームを勝利に導くプレー」だった。
「意味のあるプレーを狙っている。そういうプレーでチームを勝たせる選手になりたい。
ここ数年、タックル数だけが、シーズンが終わったときに『こんだけ頑張ったんやな』と自分を
納得させる要因だったけれど、結果、チームは負けている。チームを勝たすプレーがなかった。
昨年の電工戦も、16タックルしていても、チームを勝たすプレーはできていなかった。
今までも意識していないわけではなかったけれど、いよいよそういうプレーをしないと勝てないと
痛感した。僕に限らず、そういうプレーヤーが、勝つチームには必要。それはKJ(#11ケヴィン・
ジャクソン)だったり、キッペー(#92紀平充則)、さるさん(#8渡辺雄一)だったり、誰が
できるかわからない。 でも、誰かに頼っていては駄目。自分がそのプレーヤーになると強く
思って今シーズンに入った」
今のままではチームは勝てないという危機感、自分が勝たせなくてはという重圧と決意が感じられた。
■「シーガルズらしさ」とは
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富士通戦直前のハドルでのこと。古庄は全員の前で「シーガルズらしさとは……」と切り出した。そして、「シーガルズらしさとは、『勝つこと』 『勝つことにこだわり抜くこと』」と言い切った。
「シーガルズらしさって、いろいろある。『楽しむ』とか『最後までやりきる』とか。ただ、自分が最後に行き着いたシーガルズらしさは、『勝って笑っている』ことだった。それが、チームが求めていることであり、みんなが求めていること。そのために辛い練習をやりきり、そんな辛い練習も楽しんでいる。遠藤さん(遠藤紀彦)が主将のとき(1995~1998年、2003年)、庄子さん(庄子達郎)が主将のとき(2004~2006年)と、取り組み方はその年代で違うかもしれないけど、変わらないのは『勝つことを求め、勝つことにこだわり抜く』こと。それがシーガルズらしさだと思った」
勝利への過程でも勝ちにこだわる。練習での1対1、キッキングでの1本、絶対に勝ちを諦めない。富士通戦でのあのインターセプトは、まさに勝ちへの執念を体現したプレーだった。
「富士通戦前の練習では、平日も含め限られた時間の中、各選手が勝つためにできることを
こだわってやり抜いた。だから結果がついてきた。続く鹿島戦も、最後の最後まで勝ちを諦め
なかった。けれど、及ばなかった。シーガルズらしくない試合だった。試合で起きたミスが
シーガルズらしくないのではなく、練習でのミスを試合に持っていってしまったことが、
シーガルズらしい勝利へのこだわりが足りなかったということ」
実は、主将として、今まで先輩たちが築いてきた「シーガルズらしさ」を失ってはいけないという
重圧に苦しんでいたという。しかし、自分なりに考えた「シーガルズらしさ」が、「今のままの自分」
とつながった。「自分らしさ」=「シーガルズらしさ」。主将である自分が誰よりも勝つことに
こだわってやることが、「シーガルズらしさ」につながると。発言にも、取り組みにも、プレーにも
迷いがなくなった。
「『シーガルズらしい奴』とは、勝つための努力をとことんやり切る奴。常に本気で目の前の
ことに取り組める奴」
重圧から解放された瞬間だった。それは元の自分に戻れた瞬間でもあったという。
「飢えていた頃に戻った。2001年秋のオンワードスカイラークス戦でフィールドゴール(FG)を
ブロックしたときに近い感覚に戻れた。あのときは、春に負けていて、秋の第2戦目にあたることが
分かっていた。夏からこの試合に勝つためにみんなが準備をしていて、絶対に勝たなければ
ならない試合だった。相手の先制FGの場面。ここでブロックしたらうちに流れが来るという
シチュエーションで、狙った通りの結果が得られて、流れがシーガルズに来た」
■本能の解放
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「今シーズンは久しぶりにFS(フリーセーフティ/最後尾に位置するディフェンスバック)をやった。死守しなければならないときは死守、攻めるところは思いっきり攻める-これまでやってたLBとは違うメリハリが出て面白かった。LBは単調というか、こう来たらこう、と決まりごとがある。FSは自由度が高いというか、その場その場の自分の感覚をより広い範囲で表現できるのが、自分に向いていた」
2004~2008年はLB。今では日本を代表するLBだが、元をたどればそれ以前はずっとFS。久しぶりの感覚に刺激を受け、新たな自分の可能性と出合ったのではないだろうか。ただ、ここまで器用に、
大きく違うポジションをやり遂げられるのは、古庄しかいないだろう。
「FSになって、『こうせなあかん』という型が外れて、『こうしたい』 『ああしたい』という欲が
あふれ出てきた。ちょうど脳に関する本を読んでいて、サルと人間の脳の話があった。
サルは理性がなくて、食べたければ食べるし、寝たかったら寝る。でも人間には理性がある。
脳の本能の周りに大脳皮質が覆いかぶさっていて、それが本能を抑制しているという。
だから人間社会が成り立っている。ただ、フットボールのフィールドでは、それが外れる瞬間が
あると思う。自分で外せる術を自然に身につけたい。だから、今は動物になりたい(笑)。
動物になれる瞬間を増やしたい。練習でもトレーニングでも試合でも。今シーズン、何回動物に
なれるのかを目指したい。外れる瞬間が楽しいということを知ったから、今、ワクワクしている」
練習でできないことが、試合でできることがある。それはまさに“外れている”状態だ。
外すために必要なこと-それはコンディショニングを整えて試合に臨む、試合に勝つために
できることをやりきって臨むこと。そういう準備が整って、あとはフィールドでやるだけという
状況になったときに本能は解き放たれることを知っているから、怠らない。
「今シーズンは試合前の食事も、嫁に協力してもらってこだわっている。消化のいいものを
食べたり、15分クォーターになる準決勝からは量を増やしたり。でも、準決勝は食べ過ぎて
調子が悪かったんで、決勝前は量を調整した。今までもやってなかったわけではないけれど、
過信することなく、初戦から、決勝戦に向けてやりきろうと心がけた。勝つためにできることを
今まで以上に考えた春だった」
■次世代選手への信頼
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この春は、#56橋本(享祐)を筆頭に、若いLBがフィールドを取りまとめてくれたと話す。今まではLB古庄がフィールドでのハドルをコントロールしてきたが、FSとなり、ハドルの最後尾で橋本やLB#5中井(勇介)の出すコールを聞く立場になった。
「自分が言おうとすることは、橋本がだいたい言っていたし、それ以上のことを言ってくれたときもあって、同じハドルにいて頼もしかった。ゲン(FS#24矢野川 源)もリーダーシップを発揮してくれたし、KJも自らディフェンスリーダーとしてプレー以外でも存在感を示してくれた。今までひとりでしなければならいと思っていたことが少なくなったことが大きい。試合前までは主将としての責務を
全うして、試合中はフィールドでプレーするだけ。フィールドにいるときは自分のプレーに
集中することができた。2005年シーズンは周りが全員先輩で、ハドルとかは先輩に任せて
自分のプレーだけに集中していた。久しぶりにあのときと同じような感覚で思いっきりプレー
できている」
キャプテン、LB、年次が上がるにつれ、自分のプレー以外に「やらなければならないこと」が
増えてきた。それは古庄の人間としての成長に大きく影響を与えたに違いない。しかし、
見失ってしまったこともあった。以前、遠藤さんからもらった言葉があるという。
「古庄、主将のおもろいところは、『主将』としての自分と『個人』としての自分の両方を楽しめることだ」
ようやくその言葉の意味が分かったような気がすると話した。
昨年の古庄でも十分、シーガルズディフェンスの中心選手。しかし、この春の活躍には、「昔の飢えていた頃」の鋭さ、凄さ以上のものを感じる。主将を経験した人間的な魅力、大きさがそうさせているのだろうか。まだまだ解き放たれた本能は進化していくであろう。日本代表でさらに磨きをかけて、戻ってきてほしい。 |
2009年06月15日
天職 金親洋介
日本を代表するキッカー、 #1金親洋介。キッカーほど孤独なポジションはない。
どんな思いでフィールドに立っているのか? 僕自身、初めてキッカーの気持ちを聞いてみた。
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■課題
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2003年12月、関西、関東の大学2部3部の選抜選手が対戦するバーシティボウル-金親との最初の出会い。リクルーティングのために見にいったこの試合で、たまたま活躍が目に入った。この日を縁に、オービックシーガルズでプレーすることになる。
「2004年1年目は必死だった。大学までは他のポジションと兼務していたので、キッカー“だけ”というのも初めて。とにかく結果を出さなければならないとガムシャラに蹴っていたのを覚えている。リーグ戦はもうひとりの先輩キッカーと交互に蹴っていたが、FINAL6の鹿島戦からは自分ひとりに任された。前半の最後のプレーで40ヤードを
超えるフィールドゴールを決められたのが、自信になった」
それから2006年までの3年間は、チーム内外から一定の評価を得るも、金親自身、「ムラが
あった」と話す。これを決めなければならないという場面では結果を出すが、緊張感のない
場面では外すこともある。100%決めて当たり前のキッカーにムラがあってはならない。
技術的な課題もあるが、メンタルが大きく影響していると彼自身捉えていた。
■成長
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2007年、金親をワン・ステージ上げるきっかけが突然現れる。 ワールドカップ2007
川崎大会の日本代表候補に選抜された。
「自分が代表の候補に選ばれることは想定していなかったので、突然のことだった。でも、
大学時代に山口さん(山口 豊/アサヒビールシルバースター)、小山さん(小山 真/元富士通
フロンティアーズ)のプレーを見て、どうせやるなら上を目指そう、自分も目指せるんじゃないか
と思ったし、社会人でプレーすることを決めたのも、この二人を見て、自分にもできないこと
ではないと思ったから。だから、彼らと同じステージで練習できるこのチャンスにワクワクした。
自分は何も失うものもない。やってやろう!」
その気持ちの持ち方が、いい方向に働いた。自分が最終選考に残ることは厳しいと考えて
いたが、常に「試合の状態」=「集中できる状態」でプレーをし続けた結果、最終選考まで残り、
山口と正キッカーを争うことになる。この時はまさに、自分がなりたい姿に近づいていることを
実感しながらプレーできていたと話す。
「自分の蹴るボールの飛距離、位置、すべてをチェックされる。常に山口さんと比べられる。
そんな中でプレーをし続けた。1本1本が勝負。正直しんどかった。けれど、1本1本の集中力が
自分を成長させてくれた」
その結果、日本代表のキッカーとしてワールドカップを戦うことになる。
■自覚
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オービックシーガルズに戻ると、比較される対象もいなくなり、日本代表というプレッシャーもなくなる。しかし、彼には高いモチベーションがあった。
「事実として、日本代表でプレーしたキッカーということが残った。すると今度は、それなりの成績を残さなければならないと考えるようになった。すべての面で抜けた存在であらねばならないと。キック、パント、フィールドゴールとキックを細分化してみると、自分はまだまだそんな存在ではないことに気づいた。キッカー専任としてプレーしていることに相応しいプレーはできていない。山口さんと一緒にプレーさせてもらって、自分にないことをいろいろ具体的に気づかせてもらった。それを自分のものにするだけでも、もっとうまくなれる。そんな可能性を見出せたのが高いモチベーションを保つことにつながった」
もっとうまくなれると思うと、すべてに前向きに取り組める。チームの練習だけでは気づかなかったことだ。外に出ていろいろなヒントをもらったことで、高いモチベーションで練習に取り組むことができた。
■キッカーというポジション
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金親は「キッカー専任」というポジションにプライドを持つ。
オフェンス、ディフェンスがミーティングをしているとき、ひとり自分と向き合い、自分に必要
だと考えるトレーニングを続ける。そこに正解はない。常に模索している。NFLのキッカーの
フィルムを見たり、山口から学んだことを頭に描き、自分の理想と照らし合わせて、それを
追求する。
「キッカー以外のポジションは絶対にできないと思う。誰かに負けたくないというような
モチベーションが低いと思っているから。それよりは、『なりたい自分』に近づこうと、
『なりたい自分』を追い求めることに集中しているときのモチベーションが高いと思う。
実際、山口さんよりも、と意識して蹴っていたときはいい結果が出なかった」
常に自分と向き合い、自分をマネジメントし、「なりたい自分」を追い求める。その「なりたい
自分」も年々レベルが上がっていくのだろう。オフェンス、ディフェンスのプレーヤーよりも、
彼はひとりでいる時間が多い。他の選手が練習する中、ひとり「なりたい自分」を追い求める。
それを見て、「孤独」と思う人が多いだろうが、彼にとってはむしろ居心地がいいのかもしれない。
金親のようなタイプでなければ、長く続けることはできないかもしれない。自分の可能性を
信じて、自分の成長を実感できなければ、孤独な練習を続けるのは難しい。
同じ時間、同じ場所を共有しているようで、全く違う。
■集中
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「集中」がキックの成功、不成功に大きく影響すると話す。今年、その「集中」にも変化が出てきているという。
「昨年までは、点差が開いていたり、誰かがいいプレーをしたりして、自分が観客になっているときは、集中できていなかった。蹴る動作に入る際に自分がチェックするポイントをいくつか持っているけど、それさえもできていない。自分自身の問題であり、弱い自分を自覚していた。今年はスナップを出す選手、ホルダーが変わった。まだまだ完成度が低く、今までと違う位置にボールが来たりするので、まだ信じ切れていない自分がいる。でも、富士通戦を終えて、タイミングがズレても
いつも通り蹴ろうと決めた。今シーズンはこのメンバーで戦っていくのだから、細かいミスを
気にするよりも、今のスナップ、ホルダーにアジャストできるように、自分がなればいい。
最低限のことだけをお願いして、後は自分がなんとかする。三者が一番いいイメージを持って、
そこに近づける努力をしていくことで完成度は上がっていくと考えている」
最悪の状態を想定して、それに対応できる選手になろうと心がけている。スナップする選手も、
ホルダーは専任ではない。“専任”は自分だけなのだから、自分が合わせて当然だと捉えている。
三者のコミュニケーションも増え、完成度は上がりつつあると話す。金親にとって、メンバーと
一緒に創り上げていくこの過程は、貴重な時間なのかもしれない。
■託されること
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最後の逆転を決めるフィールドゴール。ディフェンスはこの3点のために止め、オフェンスは
この3点のために進める。そして最後、金親のキックに託す。サイドラインは祈ることしか
できない。彼はそんな状況を何回も経験している。そのとき、何を考えてフィールドに立つ
のだろうか?
「『来い』と思って待っている。そのときのために練習してきたし、そのときのために自信を
つくってきた。みんながどれだけしんどい練習をしてきたかも知っている。そんなみんなが
そういう場面をつくってくれると信じている。みんなの思いを背負って蹴るということを考え
たら、ミスはできない。そう考えたら練習から妥協できない。自分がやらなきゃ。そういう
モチベーションも練習中ある。だから、いざその場面がきても、むしろそれを待っていたという
気持ちで迎えられる。いつも通り、練習通りに蹴ることに集中して蹴られる。いつも通り
蹴れば結果はついてくると自信が持てるぐらい、練習ができているから。ここで決めて初めて、
自分はチームに貢献できていると実感できるから、絶対に外せない」
年に多くても2、3回しかこんなシーンはない。ただそれを常にイメージして練習をしている。
そんな姿勢を選手たちは見ているから、「金親なら大丈夫」と託せるのだろう。むしろ、
彼らもそんな場面を楽しんでいるふうに見える。
6年も一緒にプレーしたが、初めてキッカー金親の気持ちを知れた気がする。こいつに勝ちたい-僕のモチベーションはそこにあったが、彼は違うモチベーションでプレーしている。同じアメフト選手でも、こうも異なることに驚いた。でも、根っこは一緒なんだなぁとも感じた。その根っことは、練習が自分を創り、練習通りが立ち返る場所だということ。そして、自分が決めることを信じていることだ。キッカーというポジションを経験している人にしか分からないことも多いと思う。だから、いろいろな人からいろいろなヒントをもらっても、最終的に自分が正しいと思ったことしか加えていかない。話を聞いて、やっぱり金親だなと改めて確信した。 |
2009年05月29日
RAISE MY ROOF 吉木信二
今シーズンのオービックシーガルズの試合を見られた方はお気づきかもしれない。
ディフェンス陣が立つフィールドにはKJ(#11ケヴィン・ジャクソン)が二人いる?と。
DL#98吉木信二。今シーズン、オービックシーガルズの門を叩いた197cm。彼の「動機」と「今」をお伝えします。(*右下写真いちばん手前)
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2007年、彼は関東学生2部の駒沢大学の副将としてフィールドに立っていた。この年、彼にとって大きな環境の変化が起こる。コーチとして駒沢大卒の大村総一郎(オービックシーガルズ1998~2005年)が入り、主にDL/OLを担当することになる。
「大村さんが来て大きく変わりました。練習は常にしんどく、細部のこだわりが徹底された。今まで知らなかったテクニックや考え方を吸収できて、ラインの全員が成長を実感しました。しんどいけれど、成長が実感できた分、前向きに取り組めました」
フィジカル、テクニックでの成長も大きかったが、
それ以上に、考え方、メンタルの部分で大きな影響を受けたという。
「正直、『この練習を4年間は続けられない』と思った。自分は4年生だったから、
『1年間でよかった』と(笑)。でも、これだけしんどい練習をしているのだから負けるわけが
ないと自信を持つことができた。大村さんのコーチングは、いいところは褒めてくれて、
悪いところは悪いとしっかり指摘してくれた。しんどい中に楽しむことを忘れないアプローチを
してくれたのが、自分には向いていたと思う。『意思あるところに結果は生まれる』とは、
大村さんが常にみんなに投げかけてくれた言葉。あの1年で学んだことが、今の自分を
創る大きな要因になった」
その結果、駒沢大学は初の1部昇格を果たし、しんどい練習を楽しむことが結果につながる
という成功体験を得たことになる。
大村のコーチングはまさにシーガルズが大切にしてきたこと。僕が伝えていきたいこと
でもある。ちなみに大村は、僕のひとつ下の後輩で、同じ職場で働いた仲でもある。
大村、GOOD JOB。
吉木は卒業後、オンワードオークスに所属するも、1年でチームがなくなる。卒業時にオービックシーガルズも声をかけていた縁もあり、大村コーチが学んだシーガルズでまた自分の成長を実感したいと、迷わずトライアウトを受けた。
「実際に練習に参加して、一人ひとりの意識の高さに驚きました。自分ひとりでは絶対に心が折れてしまうウエイトトレーニングや検見川の走りも、意識の高いこのチームメイトとなら乗り越えられる。大学で教わった考え方を思い出させてもらえました。いつの間にかいろいろな理由をつけて、自分で勝手に限界をつくっていたことに気づきました」
しんどいウエイトトレーニングや検見川の練習に前向きに取り組む仲間たち-その光景が、大学の時の環境と重なったのかもしれない。
「今、とても楽しいんです。慶さん(加藤/DLコーチ)は悪いところは悪いと指摘し、自分の長所を活かしたアプローチをしてくださるので、納得感が高い。またKJ(#11)のプレーは同じ高身長の選手として勉強になることが多いし、紀平さん(#92)、輝さん (#93福原)、KJ、畠さん(#94畠山)にいろいろアドバイスをいただいて、まだまだできてないことが
多いのですが、勉強させてもらえるのはうれしいですね。特に紀平さんは体の使い方が
とてもうまく、ご自身が言ったことを試合や練習で実践できているので、すごく参考に
なります。自分がどうやったらできるのか?を今は試行錯誤しています」
周りに学べる先輩、競い合える先輩、自分を理解してくれるコーチがいる。
吉木が「楽しい」と言うのが納得できる。
これから彼はどうなりたいのか。
「自分のイメージ(理想)と現実にギャップがかなりあります。イメージに少しでも早く
到達できるように、日々練習を重ねたい」
製薬会社でMRとして朝8時から夜遅くまで働く毎日。この1年間、仕事においても自分に
限界をつくってしまっていたことを、オービックシーガルズの練習に参加してから気づいた
と話す。この日の練習後、一番最後までウエイトトレーニングに励んでいたのは吉木だった。
彼の向上心と行動力が、自身の成長をさらに加速させるだろう。
「RAISE MY ROOF」自分で限界をつくるな!
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DL#98 吉木信二(よしきしんじ)/197cm、100kg、24歳。昨シーズンまでオンワードオークスに所属。大学4年時、駒沢大学を1部に昇格させた立役者のひとり。 KJとともに、身長とリーチを活かしたRUSHはQBにとってはプレッシャーになるだろう。シュートパスのパスブレークも得意。 |
2009年05月20日
「ホンマに本気か?」 池之上貴裕
ホンマに本気か?-関西学院大学4年生のときノートに大きく書いたこの言葉を
常に忘れずに走り続けた16年間(1993~2008年在籍)
学生最優秀選手が手にするチャック・ミルズ杯受賞、日本人で初めてワールドリーグ参戦し、
1996年アメリカンボウルでサンディエゴ・チャージャーズのヘルメットをかぶった。
日本のアメリカンフットボールの先頭を走り続けた池さんの本気とは?
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■FINISH IT
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池さんがリクルートシーガルズ(当時)の門を叩いたのは1993年。同期には遠藤、山谷、
ひとつ上には安部(奈)など、後にシーガルズの黄金期を創るメンバーがそろっていた。
そこにチャック・ミルズ杯を携えて参戦した。しかし、池さんは本気になれなかった。
「当時のチームは、アメフトのうまい選手がそろいつつあった。でも、リクルートという会社でのハードワークの影響もあって、アメフトに対する姿勢、たとえば最後までプレーするといった自分にとって当たり前のことができていなかった。その雰囲気に流されて、完全燃焼することなく1年を終えてしまった」
1年留年して体ができていなかったこともあっただろう。しかし、それまで自分が大切にしてきたことができないチームには、これ以上いる意味を持てなかった。その年のシーズン終了後、池さんは当時の監督の並河に、会社を辞めて大阪に帰ると
話す。もし自分が来シーズンキャプテンならば、もう一年シーガルズに残る、と。
そして翌94年、池さんはキャプテンとしてチームを牽引することになる。
「キャプテンになって徹底したことは、『FINISH IT』。最後までやりきる。
デイビッド・スタント(ヘッドコーチ)は常にその言葉を選手に投げていたが、
実際に行動している選手は少なかった。だったら、率先して徹底的にそれだけは
やり抜いてやろう-それだけを決めてシーズンに入った」
この年の選手登録人数は37名。池さんは攻・守のラインとして全プレー出場することになる。
そして、全プレー「FINISH IT」をやり抜く。その姿勢を見て、チームが変わっていくのを
感じたという。
「東京ドームで160プレーを最後までやり切っていた。自分でもよくやるなぁと思っていた。
違う競技をしているようにも思えた。それでも、自分が決めたことを最後までやり切ることだけを
考えてプレーした。最初は、池之上にはついていけないと思う人もいたと思う。でも次第に
同期や同世代を中心に、池之上がこれだけやっているのだから何とかしようという空気に
変わっていった」
「キャプテンになったからにはこのチームを日本一に持っていきたい」
「関学で教えてもらったフットボールの魂をみんなに植えつけたい」
その思いだけで、「FINISH IT」を実践した。
デイビッドが言い続けていた言葉をただ一人信じてやり抜き、その行動がシーガルズの
習慣となって今も受け継がれている。当時の池さんのキャプテンシーを絶賛する選手が
数多くいるのも、当時の取り組み姿勢が壮絶だったことを証明してくれる。
今、チームDNAとして言語化されている
「ひとりひとりの“本気”でシーガルズを創り、シーガルズの“本気”がみんなを変える」
-その言葉の原点が、ここにある。
■96年、世界へ
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96年2月、ワールドリーグのトライアウトがあることを他チームからの情報で知る。「アメフトにプロがあったら挑戦したい」-そう常々思っていた池さんにとっては、トライアウトへの挑戦は必然だった。見事合格し、日本人で初めてワールドリーグに参戦することになる。
「聞いた話だけど、デイビッドがオレのプレーのビデオをワールドリーグの関係者に送ってくれてたみたい。そのことを聞いてうれしかったのを覚えている」
96、97年と2年連続、春シーズンはワールドリーグに参戦。と同時に、当時のルールによりXリーグには参戦することができなかった。96年シーズン、シーガルズの初めて日本一を、
池さんは選手として経験していない。
■98年、日本一
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この年がベストシーズンだったと話す。当時のシーガルズのディフェンスを象徴する「STUD DEFFENCE」、その中心に池さんはいた。日本を代表するDL(ディフェンスライン)として確立された年でもある。
「ある人と出会って、トレーニングを一から始めた。自分のやったトレーニングを記録し、
サプリメントを摂る。フィジカル、テクニック、メンタルと一番充実したシーズンだった。
自分が主将として大事にしてきたことを継承したチームで、自分自身、選手として最高の
パフォーマンスを出せた結果、日本一になったことが一番思い出深い」
■HAVE FUN
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シーガルズで学んだことで最も印象に残っているのは、この「HAVE FUN」だという。
「デイビッドは常に『タノシミナ フットボール シヨウ』と言っていた。楽しむって言葉で言うのは
簡単だけど、勝たなきゃ楽しくない。チームが勝つのもそうだけど、1対1でも勝たな面白くない。
そのために、厳しい練習に耐える」
「関学でも厳しい練習に耐えた。そのときは、気合い、根性じゃないけれど、そういう雰囲気が大事にされていたような気がする。でも、シーガルズは、厳しい練習そのものを楽しんでしまおうという独特な風土がある。それはデイビッドの、アメリカンなのかハワイアンなのか分からないけれど、彼の独自の感性の影響なんじゃないかな」
最初こそ違和感があったが、そういう考え方もあるんだという、新しい発見だった。むしろここではそれが正しい。池さんにとってデイビッドは大きな存在だったと話す。
「その風土はその後、遠藤がキャプテンになってデイビッドとコミュニケーションを取って
より大切にされた。彼もそこを率先して実行していた」
確かに、池さんや遠藤さんは、しんどい練習を最後までやり抜いていた。ポジティブな
言葉を投げ続け、自らそのしんどい練習を楽しんでいるように見えた。
「限界を自分でつくらず、自分の殻を破れたときに成長を実感できる。 ここで学べたことだと思う」
■これからのシーガルズへ
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「チームの一人ひとりが、自身を鍛え、強いプレーヤー、人間になる。みんなの目標となるよ
うな、若い選手が目指すようなプレーヤーになる。そういう集団であれば、自ずと日本一に
なると思う。そういう姿勢を大学生や高校生が見て、ここに入りたいと思うようなチームに
なっていってほしい」
ホンマに勝ちたいのか?
ホンマに日本一になりたいのか?
ホンマに全身全霊でプレーしてるのか?
ホンマに本気か?
僕が初めてシーガルズの練習に行ったとき、池さんはモヒカンで髪を染めていた。いろいろな人とコミュニケーションをとっていて、正直軽く見えた。しかし、フィールドに入ると誰よりも最後までやり切り、しんどい練習も逃げずにやり切る姿勢を見て、いつかこの人のようになりたいと目指す選手のひとりとなった。 今回、話を聞いて、僕は池さんや遠藤さんが創ったシーガルズに乗っからせてもらっただけなんだなぁと気づいた。改めてその偉大さを痛感した。16年間、お疲れさまでした。多くのことを学ばせていただき、ありがとうございました。 |
2009年04月30日
11年目のベストシーズン 寺田隆将
1998年の入部から一貫してFS(フリーセーフティ)。 1年目からスターターとして活躍、
その座を引退まで譲らなかった。 現役最後の年となった2008年、11年目にして
ALL Xリーグに選出された。
ディフェンスの最後の砦を担い続け、常にチーム視点で行動し続けてきた男の葛藤、
モチベーションを紹介します。 少し長いかもしれませんが、最後まで読んでいただけると、
寺田という男がどんな男なのかが分かるかと思います。
-------- INTERVIEW --------------------------------------------------------------
■関西の友人に証明したい
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大学4年(大阪市立大学)、同率優勝の神戸大と入れ替え戦進出をかけた、最後の試合だった。4Q残り2分で足首の靭帯を断裂。逆転のドライブをサイドラインで見届けるしかなかった。当然、やりきった感はなく、悔しさと怪我を抱えて即入院。そこで他チームの同級生と出会った。彼は卒業後、関西の強豪社会人チームでプレーするという。同じ病院で過ごし、一緒に遊ぶようになった。春には、彼の試合を見にいくようになり、やり残した気持ちが湧き出てきた。
そんなとき脳裏をよぎったのが、数ヵ月前に見たライスボウル、京都大学vsリクルート。
たかがキックカバーで大はしゃぎしている#27仲 益史。「なんであんなに楽しそうなんやろ」。
社会人でやるんだったら、もちろん強いチームでやりたい。それ以上に、フットボールを本当の
意味で楽しんでやりたかった。それは、大学ではチームを創り上げることに専念し、なかなか
自分のプレーが表現しきれなかったというやり残し感と、ただ単純に、関西の友人に負けたくない
という負けず嫌いの表れでもあった。
大学をあえて卒業せず、5年目の大学生活を送っていたある日、大学のコーチに「社会人で
やらないのか」と聞かれ、何気にふと「シーガルズが面白そうですね」と答えていた。当時の
リクルートのエースWR河本 晃が大学のOBだった縁もあり、翌1998年、チームの一員となった。
「荒々しいが、光るものがある」-入部当初、#27仲に言われた。お世辞にも上手いとは
言えなかったろう。北海道での夏合宿で、RBのフラットのパスをインパクトのあるタックルで
仕留めた。「これをしたらいけない」という最低限のライン、ルールだけは押さえ、その上で
どれだけハードにいけるか常に考えていた。そんな姿勢をコーチが見ていてくれたんだと思う。
そして、何よりも試合に出るモチベーションを高めたのが、関西リーグで活躍する友人の存在。
彼に負けたくなかった。関西の他の友人たちも、シーガルズでプレーすることを応援してくれて
いる半面、「お前は日本一のチームで本当に試合に出られるのか」-そんな目で見ているとも
感じていた。だから、自分のプレーを見せたかったし、自分ができることを証明したかった。
関西での試合では特に活躍したかった。1年目のFinal4@長居競技場、アサヒ飲料戦。
前節で大腿部の肉離れを負っていたが、無理を押して試合に出た。友人たちの目の前で
インターセプトをすることで、自分の存在を証明した。
■ずっと「重かった」
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先輩とのスターター争いも激しかった。当時、練習で加算されたポイントが高い選手が
スタートで試合に出られるシステムだった。リーグ4戦目、鹿島との戦い。リベンジに燃える
大事な試合で、先輩の方がポイントが高いにも関わらず、自分がスターターとなった。
納得できずコーチに尋ねた。「なんで自分の方が点数が低いのに、スタートなんですか」。
コーチは、「確かにお前のほうが点数は低いが、総合的に判断してお前を使いたい」と
言ってくれた。自分の存在を認めてもらえ、期待してもらっている。自分の可能性に賭けて
くれたことが自信になった。
そこからずっと11年、スターターの座を譲らなかった。2年目以降、特に先輩が引退してからは
ずっと、重かった。やりたい!と思ってプレーをしていた1年目と比べると、「やらなきゃならない」と
思いながらプレーすることのほうが多かった。毎シーズン後、コーチには胸の内を明かしていた。
自分が守らなきゃならないと自覚はしていた。「最後尾は寺田が守ってくれる」という仲間の信頼と、
それに対する責任感。ありがたいことだけど、重圧がのしかかる。そんな中で、自分がどれだけ
プレーを楽しめるかが課題だった。
1年目はスターターになり、日本一になり、一番のモチベーションであった関西の友人たちに
自分ができることを証明できた。でも、2年目はそのモチベーションはもうない。1年目で
多くのものを手にしすぎてしまった。そこで、自分と向き合い、何のためにアメフトをしているのか
をよく考えるようになった。勝ちたい、日本一になりたいということよりも、みんなで戦い抜きたい、
みんなが信頼してくれるからプレーできる、チームが勝つために自分は高いパフォーマンスを
どう出すか、そんなことを考えていた。自分のパフォーマンスを上げることもひとつの
モチベーションではあったが、いつしか、それ以上にチームメートの喜びが自分の
モチベーションとなっていった。もしかしたら、立場がそうさせたのかもしれない。副将や
ポジションリーダーになり、自分のことだけやればいい存在ではなくなっていた。誰もそんな
期待はしていなかったのかもしれないが、自然にそうなっていたのだと思う。
シーガルズの中でモチベーションの起伏があったとしたら、2003年春シーズンに膝の靭帯を
切って半年棒に振ったとき。せっかくだからと割り切って、学校に通い、建築士の資格を取りに
いっていた。でも帰ってきたら金子が成長していて、彼が夏合宿でMVPを取った。金子に負ける
ことだけは許されない。復帰してから必死に取り組んだ。これがきっかけで、また自分の
ステージが上がったのかもしれない。久しぶりに、1年目の、先輩とのスタート争いを思い出した。
■最終年がベストシーズン
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重圧を乗り越えてどれだけ楽しめるかを追い求めた。ようやくその域に到達したのが11年目。去年がまさにベストシーズンだった。去年は気持ちの持ち方が変わったのかもしれない。1年目に近い気持ちでプレーができたんだと思う。今年で終わりにしよう、と決めていたところもあり、最後は凄いものをチームのみんなやファンの皆さんに見せたいと思っていた。結果はどうであれ、自分のパフォーマンスを見せたいという気持ちが強かった。チームの納会で話したことだけど、「今年はこれをやる」と決めて自分を主語にしてやったことが満足いく結果につながったのが、昨ーズンだった。チームはFinal6で負けたけど、自分の中ではやり切った。
■2001年、クラブチーム化
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一番大きなターニングポイントは、2001年のクラブチーム化だったと思う。それまではアメフトが
やりたいという思いだけを優先させていた。言ってしまえば、ろくに仕事もしていなかった2年間
だった。チームがクラブチーム化されてスポンサーが離れるとなったとき、企業チームでなくなる
のであれば、仕事を辞めようと思っていた。いろいろな人に相談したり、話を聞いたりして
いろいろな可能性を探っていた。そんな中、関西の親友に会社を辞める話をしたときだった。
彼は真剣に怒った。「お前は会社からお金をもらっていて、それを返すくらいの働きはしたのか」。
仕事に対する意識を変えてくれたひと言だった。
チームに対しての意識も変えてくれた。それまで、自分が今プレーできているのは企業に
支えられているからという意識が薄かった。自分たちは企業(スポンサー)や周囲の人々に
支えられている。その分を今まで以上にチームや社会に対して何らかの形で返さなければ
ならない、特にプレーで返さなければならないと思うようになった。プレーはそれまでも全力で
やっていたので、これ以上取り組み方を変えるという感覚はあまりなかったが、仕事に対する
姿勢が大きく変わった。例えば、金曜の深夜3時まで働いても、翌日の練習ではパフォーマンスを
出さなければならないと思うようになったし、平日なかなかトレーニングの時間が作れなくても、
1時間だけでも時間が空いたらトレーニングに行って、また戻って仕事するとか。
それまでは100がすべてだと思っていた。アメフトは90で仕事が10。でもこれを機に、
アメフトするときはアメフト100、仕事するときは仕事100、遊ぶときは遊び100。常に全力。
そう考えるようになって人生が楽しくなった。そんなふうに過ごしてきたから、今は休みの日が
気持ち悪いし、何かしていないと死んでしまうと思ってしまう。よく生き急いでいると言われるが、
それでもいい。
■「楽しむ」ための準備も楽しむ
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1年目から常に「楽しむ」という言葉を自分自身にもチームにも投げかけてきた。1年目は自分が「楽しむ」という意識が強かった。でも2年目以降は「楽しむ」といいながら、楽しめていなかった。だから自分に「楽しむ」という言葉を投げかけていたのかもしれない。そして2008年シーズン、再び1年目と同じように主語が自分となったときに「楽しむ」ことができたのかもしれない。
試合で「楽しむ」ためには、事前準備が必要。キツい練習で自分と戦い、その戦いも楽しむ。キツい走りものの練習でも、ただがむしゃらに走るだけ
ではなく、常にフットボールを意識していたし、練習メニューひとつとっても、自分の追い求める
イメージ、理想の絵を常に脳裏に焼き付けていて、そこにたどり着くためにどうしたらいいのか
自答自問を繰り返した。自分の動きをビデオで見て、理想のイメージに全然追いついていない
ことに落胆し、でも昨日より今日が少しでも理想に近づくためには何が足りないのかを具体化して、
それを克服する作業を行う。そんなことを11年、繰り返しやってきた。そして、試合では何も
考えずにフィールドに立つ。でも、未だに自分の理想のイメージには程遠いですけどね。
自分がインターセプトしたり、ボールを奪ったりした時の印象は残っているけど、一番楽しいか
というと、それはまた違う気がする。一番楽しいと感じるのは、みんなの一体感を感じたとき。
だから常にみんなに一体感を意識する声をかけてきた。フィールドでも、ピンチのときや
雰囲気が悪いときこそ、「これを止めたらヒーローだ!」とか「むしろココがチャンスだ!」と
チームメートを鼓舞してきた。その声でみんなの気持ちがひとつになるのを感じた瞬間は
うれしいし、面白かった。例えば、いつかの東京ドームでの鹿島戦、1stダウン残り1ヤード。
フィールドにいた選手全員が絶対に止める、止められる、とひとつになって、実際に3回止めて
フィールドゴールに押さえたときは最高に楽しかった。自分がチームを盛り上げていると
感じているときは、大半がチームは受け身な状態。好きで盛り上げているのではなく、
仕方なく盛り上げているだけだ。一方、一人ひとりが自発的に同じ方向に向いているときは、
勝っていようが負けていようが盛り上がる。例えば2005年のJXBのような雰囲気は、
最高に気持ちよかった。自分も盛り上げる言葉を言ったし、それにみんなが乗ってくれた。
一人ひとりが自発的だったし、それが結果としてつながったいい試合だった。
シーガルズでは、前向きに取り組むことが大事だと学んだ。やるんだったら楽しんで徹底的に
やる。大学の時は、自分に目標を掲げてプレッシャーをかけて追い込んでいた。そこを楽しむ
領域にはたどり着けてなかった。シーガルズでは、どうせやるんだったら楽しんでやろう!と。
以前のキャプテン遠藤さんの「まずやってみようよ」「自分もやるからみんなもやろうよ」という、
自分が主語のスタンスにも大きな影響を受けた。「やれ!」とは決して言わない。そういう
考え方は素晴らしいと思った。絶対に後ろ向きな発言はしないし、やらなければならない
ということも言わない。「男だったらやろう!」と遠藤さんが言ったら、「やってみるか!」という
気持ちになった。素晴らしい人だと思う(酒の場を除く)。
■NPOでの新たなチャレンジ
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これからも、止まってしまったら生きてる意味がなくなるので、動き続ける。数年前からフラッグフットボールのNPO法人を運営しているので、普及にさらに力を入れていこうと考えている。
ひとつは、相模原RISE(旧オンワードオークス)でフラッグフットボールチームを立ち上げて、力になりたいと考えている。僕らが2001年にクラブチーム化したときよりも、彼らはもっとドラスティックに環境が変化した。僕らも当時、選手がスポンサーを集めようと行動したけれど、当時は力がなかった
から何も変えることができなかった。でも、あれから8年が経ち、自分も少しは成長した。 NPO法人の
活動も、ほんの少しずつではあるけれど形になってきている。 その経験を活かして、今は、
少しは力になれるのではないか。新たなチャレンジでもある。先日、相模原RISEの選手たちが
実際どんなことを考えて、どんなことをやっているのか知りたくて、練習を見に行った。彼らは
練習の前後に、ゴミ拾いのボランティア活動をやるので集まってほしいとか、フラッグフットボールの
イベントをするので集まってほしいとか、そういうコミュニケーションが普通にあった。地域に
根ざしたチームを作り、チームをよくしたいという意欲があることを感じた。みんなが同じ方向を
向いて、一人ひとりが主体的に関わっている。そんな彼らの力になりたい。
■押しつける気は全くないけれど
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今いる選手やスタッフが、新しいオービックシーガルズの文化やよさを創っていくんだと思うから、
これからのチームへの期待をひと言で言うのは難しい。取り巻く環境は変化していくけれど、
今まで大事にしてきた「強く、愛される、開かれたチーム」というスピリットは忘れてほしくないな
とは思う。ファンや地域の皆さんに愛されるチーム、選手であり続けてほしいし、一社会人としても、
プライドを持てる人間であってほしい。まあ、押しつける気は全くないけどね。このチームは
絶対に存在し続けてほしいとみんなが思ってくれるチームであり続けてほしいと思うし、そういう
チームをみんなで創っていってくれることを期待しています。 (談)
11年間、同じフィールドで戦いながら、彼の葛藤に気付くことはなかった。ずっとプレッシャーを内に秘めていたのだろう。弱みを見せない彼らしいとも思った。常にチーム視点で全体を見渡す発言、行動はまさにフリーセーフティ。生き方も、考え方もオービックシーガルズのFSというポジションが彼に一番ふさわしい。これからの人生も「楽しむ」を求めて止まることなく進んでいくのだろう。11年間、寺田のおかげで攻めることができました。ありがとう。これからもよろしく。 |
2009年04月27日
走る理由 27歳-杉原雅俊
昨年末解散したオンワードオークスから移籍してきた杉原。
春先、走り中心の練習で常に先頭を走っていた。
競争相手がいない中、彼は何を見て走っているのか-。
それを確かめたくて、話を聞いてみた。
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昨シーズンはリターナーでオールXリーグに選出。これから日本を代表する選手へと成長していくであろう、順風満帆な選手生活に突然降ってきた所属チームの廃部。 愛着のあるチームに残るか、自身の成長をとるか。悩まないわけがない。
2月のオービックシーガルズ恒例の走りもの練習。今季も吉永トレーナーが厳しいメニューを作ってくれた。いつもと同じ厳しい練習に、楽しく激しく取り組む選手たち。そして常にその先頭を走るのが、杉原だった。
「実は走りものは好きじゃない。前のチームでは一発屋と言われてましたし。
1本目は速いけど、2本目からは全然ダメ……」
しかし、何本走っても杉原は1番手を譲らない。それに触発されてか、古谷(拓)、
清水が後を追う。自然とチーム内に競争が生まれてくる。
「古谷さんがいるからオービックシーガルズに来ました。
日本のエースRBを抜いて日本一のRBになって、日本一のチームになる」
2007年のワールドカップ。
日本代表の選考に名を連ねた杉原は、その練習でもアピールしていた。
コーチを捕まえ貪欲に教えを請い、練習が終わっても最後まで残っていた。
向上心の強い選手という印象が残っている。だからこそ、今回の移籍の理由を聞いた
ときに納得した。
「今、とても楽しいんです。今まで自分でも知らなかった能力が開発されているのを
実感しているし、これからオレ、どうなっていくんだろうと考えると楽しい。
自分には走ることしか能がない。それが分かっているから、走ることだけは
誰にも譲らないって気持ちで走ってます」
主将の古庄さえも、杉原の運動能力に一目を置く。「杉原が入ったことでチームに新しい
競争が生まれた。オービックシーガルズにとっても、杉原にとってもいい移籍だと思う」(古庄)
もうひとつ、彼にはここで走る理由がある。
それは「相模原ライズ」(*)の元チームメートへの想いだ。
(*相模原ライズ:オンワードが解散後、在籍選手を中心に立ち上げた新チーム。
今季X3からスタート、早ければ2年後にX1に昇格の可能性がある)
「お世話になったチームだし、愛着もある。いろいろな人に必要とされ、とてもうれしかった。
だからこそ、今回の決断を応援してもらえるように、ここで結果を残さなければならない。
オービックに行ってダメになったとは絶対に言われたくない。そして3年後のシーズン、
同じフィールドで彼らと戦うときには、徹底的に叩きのめしてやりたい」
「叩きのめしてやりたい」-この言葉だけを拾ったら、「なんて奴だ」と思われるかもしれない。
でも、このインタビューを相模原ライズの元チームメートが読んだら、きっと、少し笑って
「あいつにだけは負けない」と思うだろう。お互い、再会を心から楽しみにしているのは、
間違いない。
プライドも捨て、泥にまみれ、素直に教えを請い、できないことをむしろ楽しんで取り組んでいる。
すべてが自分の成長への糧となることを知っているから。
今、オービックシーガルズにいる理由が、杉原の成長を加速させている。
背番号21が5月5日にフィールドを所狭しと走り回る光景が目に浮かぶ。
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RB#21 杉原雅俊(すぎはらまさとし) /175cm、80kg、27歳。昨シーズンまでオンワードオークスに所属。日本屈指のスピードを誇るRB兼RET(リターナー)。2008シーズンはキックオフリターンで平均38.2ヤード、2TDと驚異的な走りをみせ、オールXリーグに選出された。犬のような走りをすることからニックネームは「ジョン」。RB#20古谷拓也、RET#83清水とのチーム内でのエース争いも必至。即戦力としての活躍が期待される。 |
2009年04月20日
最強の2番手-金子敦
今シーズン、DBコーチとして日本一を目指すことになりました、玉ノ井です。
このブログでは、毎回ひとりの選手にフォーカスして、普段なかなか伝わらない彼らの
内側を紹介していきます。
初回は、昨シーズン限りで引退した金子 敦選手。
1999年から10年間、DBとして活躍。私にとっては、10年間、同じフィールドで戦った仲間
でもあります。チームのムードメーカーとして一目を置かれ、前向きな言葉を投げ続けた姿が
印象に残っています。そんな金子選手が現役中には誰にも話さなかったことを最後にご紹介
したいと思います。
-------- INTERVIEW --------------------------------------------------------------
■しんどいときこそ笑っていたい
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オービックシーガルズとの出会いは、母校・筑波大の練習にコーチの柳さん(現富士通コーチ)とOBの関口さんが来てくれて、「一度、練習に来いよ」と声をかけてくれたことがきっかけでした。
当時の筑波大は、一生懸命練習はしていましたが、なかなか勝てなくて、練習に悲壮感というか、重たい感じがしていました。そんな中、シーガルズの練習に参加してみると、 底抜けに明るくて、激しく、みんな主体的。やりたくてやっている。そんな雰囲気がいいなと思いました。最後の走りもののメニューはとてもしんどいものでしたが、それを楽しんでやっているのを目の当たりにして、本当に大人げないというか、子供のように見えたんです。
その時、中学の部活の顧問の先生が言っていた言葉を思い出しました。
「しんどいときに、しんどい顔を見せずに上を向いて笑っている奴が、本当に強い男なんだ」。
シーガルズの選手たちはまさにそれ。僕も練習中、その言葉を大切に意識してやっていたので、
自分が大切にしていることと同じことを大切にしている人たちだ、とつながったんです。
大学では自分自身は楽しんでいたし、先頭に立って声を出して走っていましたが、周りとは
その部分で高め合うことはできていませんでした。大学まででアメフトをは辞めようと思って
いましたが、シーガルズの試合を観ると、まさにあの練習の通り、楽しく激しく、活き活きと
プレーしていて、僕も「勝ちたい」と思った。報われたい、とも思いました。それまで、
頑張っても結果が出てなかったのもあるし、もっとできるとも思って、入部を決めました。
■オレはFSを動かしている……?!
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実際入ってみると、予想通りのこともありましたが、予想以上のことが多かった。
そのひとつが、レベルが高さです。
自分の得意なオープンプレーでRBを思いっきりタックルしにいったところ、スピードで
かわされました。でもその時、先輩RBに「なかなかいいプレーだよ」と言ってもらえたんです。
そういう高いレベルで声をかけ合えることが気持ちよかった。
また、同期のたっくん(RB#20古谷)は、「オレはFSを動かしているんだ」と言う。大学の時、
自分は、RBの視界にFSは入っていない、と思っていたんです。だから、その死角から
思いっきりタックルを狙っていたのですが、たっくんはLBの後ろのFSまで視野に入っていて、
それを動かすことまで考えている。そんなこと考えているのか!とレベルの高さを感じました。
■獲りにいったMVP
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10年の選手生活には、2つのターニングポイントがありました。
悪い方のターニングポイントは、1年目の夏合宿前に鎖骨を折る怪我をしたこと。1年間何もできず、シーズン最後の試合となったFINAL6の鹿島戦はベンチに入れず、スタンドから見ていました。大学4年で2部に落ちたときに、「これだけやってきたのに結果が残せず、オレは何をしてきたのだろう」と自暴自棄になったときを思い出しました。そのときのネガティブな自分を変えようと思ってシーガルズに入ったにもかかわらず、同じことを繰り返していると気づきました。オレはこんな思いをするために入ったんじゃない。生まれ変わろうと思ったんです。来年はやってやろう、
そこからすべてを変えてやろう、と。
もうひとつのターニングポイントは、2003年の夏合宿でMVPをもらったことです。
夏合宿に入る前から、絶対にMVPを取ると公言していました。その夏の合宿は、寺田さんが
怪我で遅れて参加することがわかっていました。僕は寺田さんの2番手だったから、
寺田さんがいないと出場機会は増えるんです。でも、寺田さんがいないから出られるんだと
思われるのがすごく嫌だった。確固たる地位と評価を持って、実力で出ていることを
証明したかった。認められたかったんです。
その結果、いい結果を残して、選手の投票で決まる夏合宿MVPをもらいました。
MVPは大橋ヘッドコーチから表彰されるのですが、そのときに泣けたんです。生まれてきて、
一番うれしい賞でしたね。賞品としてサプリメントの商品券をもらったのですが、
それが入っていた袋を1年間、見えるところに貼ってました。
その年はゲームMVPを2回、シーズン最後に表彰されるチームMIP(MOST IMPLOVE
PERSON:最も成長した選手)も、遅いんですけれど受賞しました。今振り返ると、
一番成長できたシーズンでした。自分がワンステージ上がったきっかけでもありました。
■相手の一番大事なボールを奪う
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試合の中では、2005年のJAPAN X BOWLが一番印象に残っています。
負けていた試合で、自分自身はすごいプレーをしたわけではないのですが、チームに
一体感があって、負ける気がしなかった。このチームでは、負けると思った試合ってないんです。
あのときも絶対に行けるって、フィールドに立つ選手も、サイドラインにいる選手も全員、
勝つと思っていた。それが最高に気持ちよかった。
いいコールを出してもらって、最後、ファンブルフォースもできて、最高でした。
ファンブルフォースにはこだわりがありました。相手の一番大事なボールを奪うことが
気持ちよかった。タックルより、インターセプトより、ボールを奪うことに一番執着していました。
プレーしていてボールが見えるんです。あのときも冷静に、こうすればボールが奪えるんじゃないか
と考えながらボールにアタックしていました。
■自分の存在意義を問い続けた
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元々、ポジティブな面はありながら、それを表に出すことに自信が持てない環境にいたんですが、
それを受け入れてくれたのが、オービックシーガルズでした。一人ひとりがやりたいことを楽しみ
ながら実現していって、それがひとつの力となって結果を出すというのがシーガルズのすごく
いいところ。一目置ける、こういうところがすごいと思い得る人がたくさんいました。
そういう人たちと一緒にいて影響を受け、自分も自分らしくありたいと思うようになりました。
また、シーガルズは、自分の存在意義を考えさせられる場でもありました。
あいつ、いてもいなくても変わらないなという存在だと、ここにいる意味がない。
あいつがいないとなんか足りないなと思える存在でありたかった。
僕でいくと、「声を出し続ける。プレーでも目立つ。」。
それができなくなったら辞めよう、先頭を切って走れなくなったら別のステージで発信して
いこうと思っていました。この2年ぐらいは、足の怪我もあって、先頭に立つことが思うように
できなくなっていました。
■自分らしく生きることを応援したい
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自分らしく生きることが自分のテーマであり、他人にも、もっとそうした方がいいんじゃない?と思うテーマでもあります。日本人は我慢しがちだけど、自分の時間、余暇、人生を、自分がしたいように伸び伸び生きられたら、それは最高だと思う。極論ですが、本能のままにみんなが生きられたら、なんて幸せだろうと。
我慢したまま死ぬこともあるじゃないですか。やるほうを選択していける人生をサポートしたり、場を提供したい。そんなことを考えています。小さい頃から思っていたんですけど、みんなが遊びに来られるリゾートを創りたい。働きすぎて何か大切なものを見失っている人が、ここに遊びに来ることで自分を見直すきっかけになるような場にしたいです。
夢を追い続けるアスリートも応援したいと思っています。
シーガルズの「出る杭は打たない」というスタンスが、 自分らしくポジティブに生きたいという
自分の潜在意識を引き出してくれたのだと思います。いい部分を伸ばしてくれた。
出る杭を、むしろ、応援してくれるみたいなところもありましたし。
■感動を与え続けるチームであれ
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オービックシーガルズは、もっと世の中に認知されてほしいと思います。
うぬぼれかもしれませんが、シーガルズはプロよりもプロフェッショナルな人材が集まって
いると思います。 プロ選手よりも、走り込みも追い込んでいるし、仕事も頑張っている。
チームを構成している一人ひとりに意志があり、想いがある。周りからは“楽しんでいる”
という一部分が“軽い”と思われがちかもしれませんが、本当はストイックで、真剣にひとつの
目標に 向かって頑張っている。プロよりも影響力のある存在だと思うし、こんなに面白い、
世の中にインパクトを与えられるチームがここにあるってことを知らしめたい。
一生懸命やっている姿、最後まであきらめない姿勢は感動を与えます。
これからも、感動を与え続けるチーム、世の中に影響を与えられるチームであり続けて
ほしいですね。 (談)
彼の10年間の選手人生は順風満帆ではありませんでした。
FS寺田、R里見などスタート選手の2番手のローテーションの中、常に向上心を絶やさずスターターを求め、 自分をアピールし続けた結果、スターター選手と同等の信頼を勝ち得、ゲームをブレークする存在にまでなりました。「しんどい顔」を本当に見せなかった。その背景には彼を支える言葉があったことを、この取材で始めて知りました。 これからの人生も、きっと「しんどい顔」を見せずに、ポジティブに進んでいくのだと思います。10年間ありがとう。これからもよろしく。 |