玉ノ井康昌コーチブログ“LOCK ON PLAYER”

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2009年08月

2009年08月20日

不完全燃焼 中井勇介

7月、NDJB(ノートルダム・ジャパン・ボウル)を終えた#5LB中井勇介の第一声は、

「不完全燃焼」だった。しかし、今回の日本代表への招集は、中井がこの先“完全燃焼”

するためのきっかけに過ぎない-。彼は成長過程の真っただ中にいる。

 

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日本代表への思い

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tama0908201.jpg オービックシーガルズ恒例、春の走り込み。今年は例年以上に厳しいメニューが待っていた。そんな中、いつになく明らかにキレていたのが中井だった。こういう走り込みのとき、今までも速い部類に入っていたが、この春は誰もが速いと認めるスピードで駆け抜けていた。ディフェンスリーダーの自覚の表れか?と感じさせるほどに。

 

「もっとうまくなりたい、そして日本代表に選ばれたい-春からそう思ってやっていた。大橋さん(ヘッドコーチ)や時本さん(ディフェンシブコーディネーター)が日本代表のスタッフに入ることも分かっていたので、正直なところ、アピールしなければと

必死に走った。体力的に充実していて、自分でもキレていたと思う」

 

迎えたパールボウル。オービックシーガルズは決勝に進む。

中井はその鹿島戦で負傷し、最後までフィールドに立つことができなかった。

そしてその傷が癒えないまま、日本代表として招集された。

 

日本代表で気付いたこと

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tama0908202.jpg 「どういう雰囲気でやっているのか。ピリピリしているのか。みんな楽しくやっているのか。初めてだったので、様子を見ていた」

 

最初、探らないと自分を出していけない性格だ。IBMから移籍してきた初年度、まさに“探っていた”中井を思い出した。

 

「候補選手80名から最終的に60名にカットされる-そんな状況に追い込まれたことが今までなかった。そのうえ怪我もあって、なかなか自分らしいプレーをアピールすることができない……。でも、自分のできることだけはやり切ろうと決めてプレーしていた。

選ばれるかどうか、は常に頭にあった」

 

今までにないプレッシャーの中、しかも自分の100パーセントの力が出せない状況は

不安だったに違いない。初めて掴んだチャンスでもある。

果たして、彼は最終メンバー60名に名を連ねた。

 

初選出の中井に、代表の他のLBはどのように映っただろう。

 

「そんなに差を感じなかった。普段シーガルズで指摘されているのと同じことが代表の

ミーティングでも指摘されているし。自分がやってきたこと、できることをしっかり出し切れば、

十分できると思った。ただ、怪我で自分を100パーセント出し切れなかったことに悔いが残る。

特に前も選ばれていた選手たちはプレーの理解度が高く、自分の役割をしっかり理解して

いるから、迷いなく思いっきり動けていた。自分は初めてだったので、理解するのに少し

時間がかかり、思いっきりプレーできていなかった」

 

tama0908203.jpg 日本代表のLBコーチを務めた時本に、中井をどう見ていたか尋ねてみた。

 

「確かに、怪我のために他の選手より練習ができていなかった。でも、MIKEとOUTSIDEの両方ができる器用さがあるし、他の選手よりLBとして求められていることを理解している。特に今年になってから、攻めるところは攻める、引くところは引くという状況を見極めて動ける選手に成長した。以前は自分を必要以上に低く評価していたが、代表のLB陣と同じフィールド、同じ条件でプレーすることで、自分がより秀でている部分も分かったのだろう、 い

い意味で自信を持ってプレーできているように見えた」

 

コーチから見て、怪我をしていたとしても「使いやすい」「使ってみたい」と

思わせる選手の一人だったに違いない。

 

もし100パーセントの力が出せるなら目立ちたいと話す中井。

しかし、残念ながらNDJBでは目立つことはできなかった。

 

「ああいうレベルの高い選手と対戦する機会はなかなかない。やっぱり違う。

コンタクトスポーツにおいて日本人が外国人に弱いと言われる意味が、

肌で感じることで分かった気がする。 ファーストプレーのキックオフリターンでセットすると、

目の前に外国人が並んでいる。 当たり前のことだが、今まで見たことない景色に怯んだ。

気合いを入れて、叫んで向かっていった。プレーが始まると、最初はいつも通りできることも

あったし、相手もイメージしていたほどではなかった。しかし、徐々に力の差が出た」

 

100パーセントの力を出し切った中井の勇姿を見てみたかった気がする。

 

変化

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tama0908204.jpg オービックシーガルズで4年。ようやくSTUD DEFFENCEを自分なりに理解して思いっきり動けるようになりつつあったところ、今春、大きくディフェンスシステムが変化した。春シーズンはそのシステムにアジャストすることで必死だったという。

 

「ディフェンスはベテランが抜けて、新たにタカマサ(橋本#44LB)とか源(矢野川#24DB)ハタケ(畠山#94DL)が引っ張ろうとしていた。自分はそれを第三者のように静観している感じだった。でも、代表から戻って、彼らに負けないようにチームに関わろうと考えだした」

 

どちらかというと前に出て何かをするタイプではなかった。

しかし、今求められていることを自分なりに解釈して、行動に移すようになった。

 

「去年まで里見さん(里見恒平/OB)がウエイトリーダーとして積極的にチームの

ウエイトトレーニングでリーダーシップをとっていたけど、そのポストが今いない。

そこで自分が引き継いで、土曜日の練習前に自主的にウエイトトレーニングを

やろうと決めた。 最初、木曜日にみんなにメールで投げかけたけど誰も来なかった。

実は送信ミスでみんなに届いていなかっただけだった(笑)」

 

「怪我で休みがちなので、とにかく早くフィールドに戻ってプレーをしたい。

怪我をしない体づくりを大切にしたい。堀(#41DB)とか町(#43DB)とか、

フィジカルに長けている選手が加入したので、早く彼らと一緒にやりたい」

 

「不完全燃焼」の経験は必ず、日本一という「完全燃焼」へとつながるだろう。

 

 ⇒中井選手のプロフィール

 

  フィジカルに長けたアスリートLBという印象から、状況を理解して自分なりに考えてプレーする選手へ変換しつつある。それはフィールドだけでなくチームに対しても。フィールド内でも外でも、今シーズン最も楽しみな選手だ。  

 

 

2009年08月03日

ご報告

秋シーズンより、選手としても日本一を目指すことになりました。
背番号は「19」、ポジションは今まで通り「DB」です。
12年間慣れ親しんだ#21という背番号は、杉原選手がどうしてもつけたいという
ことで、譲りました。
今シーズン、拓也(#20古谷)よりも1ヤードでも多く走るという決意表明だと

僕、受け取っています。
#21にご注目ください。


#19を選んだ理由は特になく、最後に余った番号で一番つけたいと思った番号が
#19だっただけです。
1、2年目はどの番号をつけるのかはとても重要なことでしたが、
12年もやると、どの番号をつけるか?よりも自分がどんなプレーをしたいのか?が
とても重要になっています。


#21という番号で過ごした12年間は自分自身にとっても感慨深い、とても素晴らしい
アメフト人生でしたが、今は新しいチャレンジにワクワクしている1年目の選手のような
心境で、とても新鮮です。

 

コーチとしてチームに関わらなければ、戻ることもなかった思います。
幸か不幸か?、コーチとして一番近い位置でTEAMに関わらせていただいたために、
選手としてうまくなるヒントを見つけてしまった。
見つけてしまったからには、それをやってみたくなった。
自分の心に素直に動いた結果です。


自分勝手な決断をしたことは重々承知しています。
選手としてプレーする以上、フィールドに立つ以上、TEAMに勝利をもたらすプレーをする
ことが、何よりもの恩返しだと考えます。


自分勝手な決断を受け入れてくれたSEAGULLSというTEAM、大橋さん、時本、コーチの
みんなのためにも、TEAMに勝利をもたらすプレーをする。


SEAGULLSを日本一にする。


今シーズン、フィールドに立つ決意表明でした。