玉ノ井康昌コーチブログ“LOCK ON PLAYER”

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2009年05月

2009年05月29日

RAISE MY ROOF 吉木信二

今シーズンのオービックシーガルズの試合を見られた方はお気づきかもしれない。

ディフェンス陣が立つフィールドにはKJ(#11ケヴィン・ジャクソン)が二人いる?と。

 DL#98吉木信二。今シーズン、オービックシーガルズの門を叩いた197cm。

彼の「動機」と「今」をお伝えします。(*右下写真いちばん手前)

 

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tama0905292.jpg 2007年、彼は関東学生2部の駒沢大学の副将としてフィールドに立っていた。この年、彼にとって大きな環境の変化が起こる。コーチとして駒沢大卒の大村総一郎(オービックシーガルズ1998~2005年)が入り、主にDL/OLを担当することになる。

 

 「大村さんが来て大きく変わりました。練習は常にしんどく、細部のこだわりが徹底された。今まで知らなかったテクニックや考え方を吸収できて、ラインの全員が成長を実感しました。しんどいけれど、成長が実感できた分、前向きに取り組めました」

 

フィジカル、テクニックでの成長も大きかったが、

それ以上に、考え方、メンタルの部分で大きな影響を受けたという。

 

 「正直、『この練習を4年間は続けられない』と思った。自分は4年生だったから、

『1年間でよかった』と(笑)。でも、これだけしんどい練習をしているのだから負けるわけが

ないと自信を持つことができた。大村さんのコーチングは、いいところは褒めてくれて、

悪いところは悪いとしっかり指摘してくれた。しんどい中に楽しむことを忘れないアプローチを

してくれたのが、自分には向いていたと思う。『意思あるところに結果は生まれる』とは、

大村さんが常にみんなに投げかけてくれた言葉。あの1年で学んだことが、今の自分を

創る大きな要因になった」

 

その結果、駒沢大学は初の1部昇格を果たし、しんどい練習を楽しむことが結果につながる

という成功体験を得たことになる。

 

大村のコーチングはまさにシーガルズが大切にしてきたこと。僕が伝えていきたいこと

でもある。ちなみに大村は、僕のひとつ下の後輩で、同じ職場で働いた仲でもある。

大村、GOOD JOB。

 

tama0905293.jpg 吉木は卒業後、オンワードオークスに所属するも、1年でチームがなくなる。卒業時にオービックシーガルズも声をかけていた縁もあり、大村コーチが学んだシーガルズでまた自分の成長を実感したいと、迷わずトライアウトを受けた。

 

 「実際に練習に参加して、一人ひとりの意識の高さに驚きました。自分ひとりでは絶対に心が折れてしまうウエイトトレーニングや検見川の走りも、意識の高いこのチームメイトとなら乗り越えられる。大学で教わった考え方を思い出させてもらえました。いつの間にかいろいろな理由をつけて、自分で勝手に限界をつくっていたことに気づきました」

 

 しんどいウエイトトレーニングや検見川の練習に前向きに取り組む仲間たち-その光景が、大学の時の環境と重なったのかもしれない。

 

「今、とても楽しいんです。慶さん(加藤/DLコーチ)は悪いところは悪いと指摘し、自分の長所を活かしたアプローチをしてくださるので、納得感が高い。またKJ(#11)のプレーは同じ高身長の選手として勉強になることが多いし、紀平さん(#92)輝さん (#93福原)、KJ、畠さん(#94畠山)にいろいろアドバイスをいただいて、まだまだできてないことが

多いのですが、勉強させてもらえるのはうれしいですね。特に紀平さんは体の使い方が

とてもうまく、ご自身が言ったことを試合や練習で実践できているので、すごく参考に

なります。自分がどうやったらできるのか?を今は試行錯誤しています」

 

周りに学べる先輩、競い合える先輩、自分を理解してくれるコーチがいる。

吉木が「楽しい」と言うのが納得できる。

 

これから彼はどうなりたいのか。

 

 「自分のイメージ(理想)と現実にギャップがかなりあります。イメージに少しでも早く

到達できるように、日々練習を重ねたい」

 

製薬会社でMRとして朝8時から夜遅くまで働く毎日。この1年間、仕事においても自分に

限界をつくってしまっていたことを、オービックシーガルズの練習に参加してから気づいた

と話す。この日の練習後、一番最後までウエイトトレーニングに励んでいたのは吉木だった。

彼の向上心と行動力が、自身の成長をさらに加速させるだろう。

 

 「RAISE MY ROOF」自分で限界をつくるな!

 

tama0905291.jpg

DL#98 吉木信二(よしきしんじ)/197cm、100kg、24歳。昨シーズンまでオンワードオークスに所属。大学4年時、駒沢大学を1部に昇格させた立役者のひとり。 KJとともに、身長とリーチを活かしたRUSHはQBにとってはプレッシャーになるだろう。シュートパスのパスブレークも得意。

 

 

 

2009年05月20日

「ホンマに本気か?」 池之上貴裕

 

ホンマに本気か?-関西学院大学4年生のときノートに大きく書いたこの言葉を

常に忘れずに走り続けた16年間(1993~2008年在籍)

学生最優秀選手が手にするチャック・ミルズ杯受賞、日本人で初めてワールドリーグ参戦し、

1996年アメリカンボウルでサンディエゴ・チャージャーズのヘルメットをかぶった
日本のアメリカンフットボールの先頭を走り続けた池さんの本気とは?

 

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FINISH  IT

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池さんがリクルートシーガルズ(当時)の門を叩いたのは1993年。同期には遠藤、山谷、

ひとつ上には安部(奈)など、後にシーガルズの黄金期を創るメンバーがそろっていた。

そこにチャック・ミルズ杯を携えて参戦した。しかし、池さんは本気になれなかった。

 

tama0905221.jpg 「当時のチームは、アメフトのうまい選手がそろいつつあった。でも、リクルートという会社でのハードワークの影響もあって、アメフトに対する姿勢、たとえば最後までプレーするといった自分にとって当たり前のことができていなかった。その雰囲気に流されて、完全燃焼することなく1年を終えてしまった」

 

1年留年して体ができていなかったこともあっただろう。しかし、それまで自分が大切にしてきたことができないチームには、これ以上いる意味を持てなかった。その年のシーズン終了後、池さんは当時の監督の並河に、会社を辞めて大阪に帰ると

話す。もし自分が来シーズンキャプテンならば、もう一年シーガルズに残る、と。

そして翌94年、池さんはキャプテンとしてチームを牽引することになる。

 

「キャプテンになって徹底したことは、『FINISH IT』。最後までやりきる。

デイビッド・スタント(ヘッドコーチ)は常にその言葉を選手に投げていたが、

実際に行動している選手は少なかった。だったら、率先して徹底的にそれだけは

やり抜いてやろう-それだけを決めてシーズンに入った」

 

この年の選手登録人数は37名。池さんは攻・守のラインとして全プレー出場することになる。

そして、全プレー「FINISH IT」をやり抜く。その姿勢を見て、チームが変わっていくのを

感じたという。

 

「東京ドームで160プレーを最後までやり切っていた。自分でもよくやるなぁと思っていた。

違う競技をしているようにも思えた。それでも、自分が決めたことを最後までやり切ることだけを

考えてプレーした。最初は、池之上にはついていけないと思う人もいたと思う。でも次第に

同期や同世代を中心に、池之上がこれだけやっているのだから何とかしようという空気に

変わっていった」

 

「キャプテンになったからにはこのチームを日本一に持っていきたい」
「関学で教えてもらったフットボールの魂をみんなに植えつけたい」
その思いだけで、「FINISH IT」を実践した。

 

デイビッドが言い続けていた言葉をただ一人信じてやり抜き、その行動がシーガルズの

習慣となって今も受け継がれている。当時の池さんのキャプテンシーを絶賛する選手が

数多くいるのも、当時の取り組み姿勢が壮絶だったことを証明してくれる。

今、チームDNAとして言語化されている

「ひとりひとりの“本気”でシーガルズを創り、シーガルズの“本気”がみんなを変える」


-その言葉の原点が、ここにある。

 

96年、世界へ

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tama0905222.jpg 96年2月、ワールドリーグのトライアウトがあることを他チームからの情報で知る。「アメフトにプロがあったら挑戦したい」-そう常々思っていた池さんにとっては、トライアウトへの挑戦は必然だった。見事合格し、日本人で初めてワールドリーグに参戦することになる。

 

「聞いた話だけど、デイビッドがオレのプレーのビデオをワールドリーグの関係者に送ってくれてたみたい。そのことを聞いてうれしかったのを覚えている」

 

96、97年と2年連続、春シーズンはワールドリーグに参戦。と同時に、当時のルールによりXリーグには参戦することができなかった。96年シーズン、シーガルズの初めて日本一を、

池さんは選手として経験していない。

 

98年、日本一

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この年がベストシーズンだったと話す。当時のシーガルズのディフェンスを象徴する「STUD DEFFENCE」、その中心に池さんはいた。日本を代表するDL(ディフェンスライン)として確立された年でもある。

 

「ある人と出会って、トレーニングを一から始めた。自分のやったトレーニングを記録し、

サプリメントを摂る。フィジカル、テクニック、メンタルと一番充実したシーズンだった。

自分が主将として大事にしてきたことを継承したチームで、自分自身、選手として最高の

パフォーマンスを出せた結果、日本一になったことが一番思い出深い」

 

HAVE FUN

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シーガルズで学んだことで最も印象に残っているのは、この「HAVE FUN」だという。

 

「デイビッドは常に『タノシミナ フットボール シヨウ』と言っていた。楽しむって言葉で言うのは

簡単だけど、勝たなきゃ楽しくない。チームが勝つのもそうだけど、1対1でも勝たな面白くない。

そのために、厳しい練習に耐える」

 

tama0905223.jpg 「関学でも厳しい練習に耐えた。そのときは、気合い、根性じゃないけれど、そういう雰囲気が大事にされていたような気がする。でも、シーガルズは、厳しい練習そのものを楽しんでしまおうという独特な風土がある。それはデイビッドの、アメリカンなのかハワイアンなのか分からないけれど、彼の独自の感性の影響なんじゃないかな」

 

最初こそ違和感があったが、そういう考え方もあるんだという、新しい発見だった。むしろここではそれが正しい。池さんにとってデイビッドは大きな存在だったと話す。

 

「その風土はその後、遠藤がキャプテンになってデイビッドとコミュニケーションを取って

より大切にされた。彼もそこを率先して実行していた」

 

確かに、池さんや遠藤さんは、しんどい練習を最後までやり抜いていた。ポジティブな

言葉を投げ続け、自らそのしんどい練習を楽しんでいるように見えた。

 

「限界を自分でつくらず、自分の殻を破れたときに成長を実感できる。 ここで学べたことだと思う」


これからのシーガルズへ

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「チームの一人ひとりが、自身を鍛え、強いプレーヤー、人間になる。みんなの目標となるよ

うな、若い選手が目指すようなプレーヤーになる。そういう集団であれば、自ずと日本一に

なると思う。そういう姿勢を大学生や高校生が見て、ここに入りたいと思うようなチームに

なっていってほしい」

 

ホンマに勝ちたいのか?
ホンマに日本一になりたいのか?
ホンマに全身全霊でプレーしてるのか?
ホンマに本気か?

 

 

  僕が初めてシーガルズの練習に行ったとき、池さんはモヒカンで髪を染めていた。いろいろな人とコミュニケーションをとっていて、正直軽く見えた。しかし、フィールドに入ると誰よりも最後までやり切り、しんどい練習も逃げずにやり切る姿勢を見て、いつかこの人のようになりたいと目指す選手のひとりとなった。
今回、話を聞いて、僕は池さんや遠藤さんが創ったシーガルズに乗っからせてもらっただけなんだなぁと気づいた。改めてその偉大さを痛感した。16年間、お疲れさまでした。多くのことを学ばせていただき、ありがとうございました。