« 11年目のベストシーズン 寺田隆将 | メイン | RAISE MY ROOF 吉木信二 »
「ホンマに本気か?」 池之上貴裕
2009年05月20日
ホンマに本気か?-関西学院大学4年生のときノートに大きく書いたこの言葉を
常に忘れずに走り続けた16年間(1993~2008年在籍)
学生最優秀選手が手にするチャック・ミルズ杯受賞、日本人で初めてワールドリーグ参戦し、
1996年アメリカンボウルでサンディエゴ・チャージャーズのヘルメットをかぶった。
日本のアメリカンフットボールの先頭を走り続けた池さんの本気とは?
--------------------------------------------------------------------------------------------
■FINISH IT
------------------------------
池さんがリクルートシーガルズ(当時)の門を叩いたのは1993年。同期には遠藤、山谷、
ひとつ上には安部(奈)など、後にシーガルズの黄金期を創るメンバーがそろっていた。
そこにチャック・ミルズ杯を携えて参戦した。しかし、池さんは本気になれなかった。
「当時のチームは、アメフトのうまい選手がそろいつつあった。でも、リクルートという会社でのハードワークの影響もあって、アメフトに対する姿勢、たとえば最後までプレーするといった自分にとって当たり前のことができていなかった。その雰囲気に流されて、完全燃焼することなく1年を終えてしまった」
1年留年して体ができていなかったこともあっただろう。しかし、それまで自分が大切にしてきたことができないチームには、これ以上いる意味を持てなかった。その年のシーズン終了後、池さんは当時の監督の並河に、会社を辞めて大阪に帰ると
話す。もし自分が来シーズンキャプテンならば、もう一年シーガルズに残る、と。
そして翌94年、池さんはキャプテンとしてチームを牽引することになる。
「キャプテンになって徹底したことは、『FINISH IT』。最後までやりきる。
デイビッド・スタント(ヘッドコーチ)は常にその言葉を選手に投げていたが、
実際に行動している選手は少なかった。だったら、率先して徹底的にそれだけは
やり抜いてやろう-それだけを決めてシーズンに入った」
この年の選手登録人数は37名。池さんは攻・守のラインとして全プレー出場することになる。
そして、全プレー「FINISH IT」をやり抜く。その姿勢を見て、チームが変わっていくのを
感じたという。
「東京ドームで160プレーを最後までやり切っていた。自分でもよくやるなぁと思っていた。
違う競技をしているようにも思えた。それでも、自分が決めたことを最後までやり切ることだけを
考えてプレーした。最初は、池之上にはついていけないと思う人もいたと思う。でも次第に
同期や同世代を中心に、池之上がこれだけやっているのだから何とかしようという空気に
変わっていった」
「キャプテンになったからにはこのチームを日本一に持っていきたい」
「関学で教えてもらったフットボールの魂をみんなに植えつけたい」
その思いだけで、「FINISH IT」を実践した。
デイビッドが言い続けていた言葉をただ一人信じてやり抜き、その行動がシーガルズの
習慣となって今も受け継がれている。当時の池さんのキャプテンシーを絶賛する選手が
数多くいるのも、当時の取り組み姿勢が壮絶だったことを証明してくれる。
今、チームDNAとして言語化されている
「ひとりひとりの“本気”でシーガルズを創り、シーガルズの“本気”がみんなを変える」
-その言葉の原点が、ここにある。
■96年、世界へ
------------------------------
96年2月、ワールドリーグのトライアウトがあることを他チームからの情報で知る。「アメフトにプロがあったら挑戦したい」-そう常々思っていた池さんにとっては、トライアウトへの挑戦は必然だった。見事合格し、日本人で初めてワールドリーグに参戦することになる。
「聞いた話だけど、デイビッドがオレのプレーのビデオをワールドリーグの関係者に送ってくれてたみたい。そのことを聞いてうれしかったのを覚えている」
96、97年と2年連続、春シーズンはワールドリーグに参戦。と同時に、当時のルールによりXリーグには参戦することができなかった。96年シーズン、シーガルズの初めて日本一を、
池さんは選手として経験していない。
■98年、日本一
------------------------------
この年がベストシーズンだったと話す。当時のシーガルズのディフェンスを象徴する「STUD DEFFENCE」、その中心に池さんはいた。日本を代表するDL(ディフェンスライン)として確立された年でもある。
「ある人と出会って、トレーニングを一から始めた。自分のやったトレーニングを記録し、
サプリメントを摂る。フィジカル、テクニック、メンタルと一番充実したシーズンだった。
自分が主将として大事にしてきたことを継承したチームで、自分自身、選手として最高の
パフォーマンスを出せた結果、日本一になったことが一番思い出深い」
■HAVE FUN
------------------------------
シーガルズで学んだことで最も印象に残っているのは、この「HAVE FUN」だという。
「デイビッドは常に『タノシミナ フットボール シヨウ』と言っていた。楽しむって言葉で言うのは
簡単だけど、勝たなきゃ楽しくない。チームが勝つのもそうだけど、1対1でも勝たな面白くない。
そのために、厳しい練習に耐える」
「関学でも厳しい練習に耐えた。そのときは、気合い、根性じゃないけれど、そういう雰囲気が大事にされていたような気がする。でも、シーガルズは、厳しい練習そのものを楽しんでしまおうという独特な風土がある。それはデイビッドの、アメリカンなのかハワイアンなのか分からないけれど、彼の独自の感性の影響なんじゃないかな」
最初こそ違和感があったが、そういう考え方もあるんだという、新しい発見だった。むしろここではそれが正しい。池さんにとってデイビッドは大きな存在だったと話す。
「その風土はその後、遠藤がキャプテンになってデイビッドとコミュニケーションを取って
より大切にされた。彼もそこを率先して実行していた」
確かに、池さんや遠藤さんは、しんどい練習を最後までやり抜いていた。ポジティブな
言葉を投げ続け、自らそのしんどい練習を楽しんでいるように見えた。
「限界を自分でつくらず、自分の殻を破れたときに成長を実感できる。 ここで学べたことだと思う」
■これからのシーガルズへ
------------------------------
「チームの一人ひとりが、自身を鍛え、強いプレーヤー、人間になる。みんなの目標となるよ
うな、若い選手が目指すようなプレーヤーになる。そういう集団であれば、自ずと日本一に
なると思う。そういう姿勢を大学生や高校生が見て、ここに入りたいと思うようなチームに
なっていってほしい」
ホンマに勝ちたいのか?
ホンマに日本一になりたいのか?
ホンマに全身全霊でプレーしてるのか?
ホンマに本気か?
僕が初めてシーガルズの練習に行ったとき、池さんはモヒカンで髪を染めていた。いろいろな人とコミュニケーションをとっていて、正直軽く見えた。しかし、フィールドに入ると誰よりも最後までやり切り、しんどい練習も逃げずにやり切る姿勢を見て、いつかこの人のようになりたいと目指す選手のひとりとなった。 今回、話を聞いて、僕は池さんや遠藤さんが創ったシーガルズに乗っからせてもらっただけなんだなぁと気づいた。改めてその偉大さを痛感した。16年間、お疲れさまでした。多くのことを学ばせていただき、ありがとうございました。 |