玉ノ井康昌コーチブログ“LOCK ON PLAYER”

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解き放たれた本能  古庄直樹

2009年07月01日

2009年春シーズンが終わった。

パールボウルへの道で、ひときわチームに勝利を呼び込むプレーを示した選手がいた。

#2古庄直樹、オービックシーガルズ主将。準決勝・富士通戦での起死回生のインターセプト、

決勝・鹿島戦でのQBサックからのタッチダウンとインターセプト-大舞台で2ターンオーバー、

1タッチダウンを記録した。ディフェンス選手でここまで存在感を示せる者はそういない。

この活躍の背景を探ってみた。

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チームを勝利に導くプレー

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tama0907011.jpg 「富士通戦のインターセプトは、最後のボールを捕ることができたことが大きかった。狙うところまでは意識していたが、ボールを捕った瞬間は“無心”だった。もう一回同じプレーをしろと言われても、できるかどうか……。こういうプレー、チームを勝利に導くプレーをしたいと思っていてできたから、そこは成長したところだと思う 」
 
得点6-10、劣勢の中で古庄が奪ったボールは、チームの勝利への意思を再び呼び起こした。今までいくつもの古庄のプレーを見てきたが、ここ数年見ていない「チームを勝利に導くプレー」だった。
 
「意味のあるプレーを狙っている。そういうプレーでチームを勝たせる選手になりたい。

ここ数年、タックル数だけが、シーズンが終わったときに『こんだけ頑張ったんやな』と自分を

納得させる要因だったけれど、結果、チームは負けている。チームを勝たすプレーがなかった。

昨年の電工戦も、16タックルしていても、チームを勝たすプレーはできていなかった。

今までも意識していないわけではなかったけれど、いよいよそういうプレーをしないと勝てないと

痛感した。僕に限らず、そういうプレーヤーが、勝つチームには必要。それはKJ(#11ケヴィン・

ジャクソン)だったり、キッペー(#92紀平充則)さるさん(#8渡辺雄一)だったり、誰が

できるかわからない。 でも、誰かに頼っていては駄目。自分がそのプレーヤーになると強く

思って今シーズンに入った」

 

今のままではチームは勝てないという危機感、自分が勝たせなくてはという重圧と決意が感じられた。

 

 

「シーガルズらしさ」とは

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tama0907012.jpg 富士通戦直前のハドルでのこと。古庄は全員の前で「シーガルズらしさとは……」と切り出した。そして、「シーガルズらしさとは、『勝つこと』 『勝つことにこだわり抜くこと』」と言い切った。


 「シーガルズらしさって、いろいろある。『楽しむ』とか『最後までやりきる』とか。ただ、自分が最後に行き着いたシーガルズらしさは、『勝って笑っている』ことだった。それが、チームが求めていることであり、みんなが求めていること。そのために辛い練習をやりきり、そんな辛い練習も楽しんでいる。遠藤さん(遠藤紀彦)が主将のとき(1995~1998年、2003年)、庄子さん(庄子達郎)が主将のとき(2004~2006年)と、取り組み方はその年代で違うかもしれないけど、変わらないのは『勝つことを求め、勝つことにこだわり抜く』こと。それがシーガルズらしさだと思った」

 

勝利への過程でも勝ちにこだわる。練習での1対1、キッキングでの1本、絶対に勝ちを諦めない。富士通戦でのあのインターセプトは、まさに勝ちへの執念を体現したプレーだった。
 
「富士通戦前の練習では、平日も含め限られた時間の中、各選手が勝つためにできることを

こだわってやり抜いた。だから結果がついてきた。続く鹿島戦も、最後の最後まで勝ちを諦め

なかった。けれど、及ばなかった。シーガルズらしくない試合だった。試合で起きたミスが

シーガルズらしくないのではなく、練習でのミスを試合に持っていってしまったことが、

シーガルズらしい勝利へのこだわりが足りなかったということ」

 

実は、主将として、今まで先輩たちが築いてきた「シーガルズらしさ」を失ってはいけないという

重圧に苦しんでいたという。しかし、自分なりに考えた「シーガルズらしさ」が、「今のままの自分」

とつながった。「自分らしさ」=「シーガルズらしさ」。主将である自分が誰よりも勝つことに

こだわってやることが、「シーガルズらしさ」につながると。発言にも、取り組みにも、プレーにも

迷いがなくなった。

 

「『シーガルズらしい奴』とは、勝つための努力をとことんやり切る奴。常に本気で目の前の

ことに取り組める奴」
 
重圧から解放された瞬間だった。それは元の自分に戻れた瞬間でもあったという。
 
「飢えていた頃に戻った。2001年秋のオンワードスカイラークス戦でフィールドゴール(FG)を

ブロックしたときに近い感覚に戻れた。あのときは、春に負けていて、秋の第2戦目にあたることが

分かっていた。夏からこの試合に勝つためにみんなが準備をしていて、絶対に勝たなければ

ならない試合だった。相手の先制FGの場面。ここでブロックしたらうちに流れが来るという

シチュエーションで、狙った通りの結果が得られて、流れがシーガルズに来た」

 

 

本能の解放

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tama0907013.jpg 「今シーズンは久しぶりにFS(フリーセーフティ/最後尾に位置するディフェンスバック)をやった。死守しなければならないときは死守、攻めるところは思いっきり攻める-これまでやってたLBとは違うメリハリが出て面白かった。LBは単調というか、こう来たらこう、と決まりごとがある。FSは自由度が高いというか、その場その場の自分の感覚をより広い範囲で表現できるのが、自分に向いていた」
 
2004~2008年はLB。今では日本を代表するLBだが、元をたどればそれ以前はずっとFS。久しぶりの感覚に刺激を受け、新たな自分の可能性と出合ったのではないだろうか。ただ、ここまで器用に、

大きく違うポジションをやり遂げられるのは、古庄しかいないだろう。
 
「FSになって、『こうせなあかん』という型が外れて、『こうしたい』 『ああしたい』という欲が

あふれ出てきた。ちょうど脳に関する本を読んでいて、サルと人間の脳の話があった。

サルは理性がなくて、食べたければ食べるし、寝たかったら寝る。でも人間には理性がある。

脳の本能の周りに大脳皮質が覆いかぶさっていて、それが本能を抑制しているという。

だから人間社会が成り立っている。ただ、フットボールのフィールドでは、それが外れる瞬間が

あると思う。自分で外せる術を自然に身につけたい。だから、今は動物になりたい(笑)。

動物になれる瞬間を増やしたい。練習でもトレーニングでも試合でも。今シーズン、何回動物に

なれるのかを目指したい。外れる瞬間が楽しいということを知ったから、今、ワクワクしている」
 
練習でできないことが、試合でできることがある。それはまさに“外れている”状態だ。

外すために必要なこと-それはコンディショニングを整えて試合に臨む、試合に勝つために

できることをやりきって臨むこと。そういう準備が整って、あとはフィールドでやるだけという

状況になったときに本能は解き放たれることを知っているから、怠らない。
 
「今シーズンは試合前の食事も、嫁に協力してもらってこだわっている。消化のいいものを

食べたり、15分クォーターになる準決勝からは量を増やしたり。でも、準決勝は食べ過ぎて

調子が悪かったんで、決勝前は量を調整した。今までもやってなかったわけではないけれど、

過信することなく、初戦から、決勝戦に向けてやりきろうと心がけた。勝つためにできることを

今まで以上に考えた春だった」
 

 

次世代選手への信頼

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tama0907014.jpg この春は、#56橋本(享祐)を筆頭に、若いLBがフィールドを取りまとめてくれたと話す。今まではLB古庄がフィールドでのハドルをコントロールしてきたが、FSとなり、ハドルの最後尾で橋本やLB#5中井(勇介)の出すコールを聞く立場になった。
 
「自分が言おうとすることは、橋本がだいたい言っていたし、それ以上のことを言ってくれたときもあって、同じハドルにいて頼もしかった。ゲン(FS#24矢野川 源)もリーダーシップを発揮してくれたし、KJも自らディフェンスリーダーとしてプレー以外でも存在感を示してくれた。今までひとりでしなければならいと思っていたことが少なくなったことが大きい。試合前までは主将としての責務を

全うして、試合中はフィールドでプレーするだけ。フィールドにいるときは自分のプレーに

集中することができた。2005年シーズンは周りが全員先輩で、ハドルとかは先輩に任せて

自分のプレーだけに集中していた。久しぶりにあのときと同じような感覚で思いっきりプレー

できている」
 
キャプテン、LB、年次が上がるにつれ、自分のプレー以外に「やらなければならないこと」が

増えてきた。それは古庄の人間としての成長に大きく影響を与えたに違いない。しかし、

見失ってしまったこともあった。以前、遠藤さんからもらった言葉があるという。
 「古庄、主将のおもろいところは、『主将』としての自分と『個人』としての自分の両方を楽しめることだ」
ようやくその言葉の意味が分かったような気がすると話した。

 

 ⇒古庄選手のプロフィール

 

  昨年の古庄でも十分、シーガルズディフェンスの中心選手。しかし、この春の活躍には、「昔の飢えていた頃」の鋭さ、凄さ以上のものを感じる。主将を経験した人間的な魅力、大きさがそうさせているのだろうか。まだまだ解き放たれた本能は進化していくであろう。日本代表でさらに磨きをかけて、戻ってきてほしい。