最強の2番手-金子敦
2009年04月20日
今シーズン、DBコーチとして日本一を目指すことになりました、玉ノ井です。
このブログでは、毎回ひとりの選手にフォーカスして、普段なかなか伝わらない彼らの
内側を紹介していきます。
初回は、昨シーズン限りで引退した金子 敦選手。
1999年から10年間、DBとして活躍。私にとっては、10年間、同じフィールドで戦った仲間
でもあります。チームのムードメーカーとして一目を置かれ、前向きな言葉を投げ続けた姿が
印象に残っています。そんな金子選手が現役中には誰にも話さなかったことを最後にご紹介
したいと思います。
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■しんどいときこそ笑っていたい
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オービックシーガルズとの出会いは、母校・筑波大の練習にコーチの柳さん(現富士通コーチ)とOBの関口さんが来てくれて、「一度、練習に来いよ」と声をかけてくれたことがきっかけでした。
当時の筑波大は、一生懸命練習はしていましたが、なかなか勝てなくて、練習に悲壮感というか、重たい感じがしていました。そんな中、シーガルズの練習に参加してみると、 底抜けに明るくて、激しく、みんな主体的。やりたくてやっている。そんな雰囲気がいいなと思いました。最後の走りもののメニューはとてもしんどいものでしたが、それを楽しんでやっているのを目の当たりにして、本当に大人げないというか、子供のように見えたんです。
その時、中学の部活の顧問の先生が言っていた言葉を思い出しました。
「しんどいときに、しんどい顔を見せずに上を向いて笑っている奴が、本当に強い男なんだ」。
シーガルズの選手たちはまさにそれ。僕も練習中、その言葉を大切に意識してやっていたので、
自分が大切にしていることと同じことを大切にしている人たちだ、とつながったんです。
大学では自分自身は楽しんでいたし、先頭に立って声を出して走っていましたが、周りとは
その部分で高め合うことはできていませんでした。大学まででアメフトをは辞めようと思って
いましたが、シーガルズの試合を観ると、まさにあの練習の通り、楽しく激しく、活き活きと
プレーしていて、僕も「勝ちたい」と思った。報われたい、とも思いました。それまで、
頑張っても結果が出てなかったのもあるし、もっとできるとも思って、入部を決めました。
■オレはFSを動かしている……?!
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実際入ってみると、予想通りのこともありましたが、予想以上のことが多かった。
そのひとつが、レベルが高さです。
自分の得意なオープンプレーでRBを思いっきりタックルしにいったところ、スピードで
かわされました。でもその時、先輩RBに「なかなかいいプレーだよ」と言ってもらえたんです。
そういう高いレベルで声をかけ合えることが気持ちよかった。
また、同期のたっくん(RB#20古谷)は、「オレはFSを動かしているんだ」と言う。大学の時、
自分は、RBの視界にFSは入っていない、と思っていたんです。だから、その死角から
思いっきりタックルを狙っていたのですが、たっくんはLBの後ろのFSまで視野に入っていて、
それを動かすことまで考えている。そんなこと考えているのか!とレベルの高さを感じました。
■獲りにいったMVP
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10年の選手生活には、2つのターニングポイントがありました。
悪い方のターニングポイントは、1年目の夏合宿前に鎖骨を折る怪我をしたこと。1年間何もできず、シーズン最後の試合となったFINAL6の鹿島戦はベンチに入れず、スタンドから見ていました。大学4年で2部に落ちたときに、「これだけやってきたのに結果が残せず、オレは何をしてきたのだろう」と自暴自棄になったときを思い出しました。そのときのネガティブな自分を変えようと思ってシーガルズに入ったにもかかわらず、同じことを繰り返していると気づきました。オレはこんな思いをするために入ったんじゃない。生まれ変わろうと思ったんです。来年はやってやろう、
そこからすべてを変えてやろう、と。
もうひとつのターニングポイントは、2003年の夏合宿でMVPをもらったことです。
夏合宿に入る前から、絶対にMVPを取ると公言していました。その夏の合宿は、寺田さんが
怪我で遅れて参加することがわかっていました。僕は寺田さんの2番手だったから、
寺田さんがいないと出場機会は増えるんです。でも、寺田さんがいないから出られるんだと
思われるのがすごく嫌だった。確固たる地位と評価を持って、実力で出ていることを
証明したかった。認められたかったんです。
その結果、いい結果を残して、選手の投票で決まる夏合宿MVPをもらいました。
MVPは大橋ヘッドコーチから表彰されるのですが、そのときに泣けたんです。生まれてきて、
一番うれしい賞でしたね。賞品としてサプリメントの商品券をもらったのですが、
それが入っていた袋を1年間、見えるところに貼ってました。
その年はゲームMVPを2回、シーズン最後に表彰されるチームMIP(MOST IMPLOVE
PERSON:最も成長した選手)も、遅いんですけれど受賞しました。今振り返ると、
一番成長できたシーズンでした。自分がワンステージ上がったきっかけでもありました。
■相手の一番大事なボールを奪う
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試合の中では、2005年のJAPAN X BOWLが一番印象に残っています。
負けていた試合で、自分自身はすごいプレーをしたわけではないのですが、チームに
一体感があって、負ける気がしなかった。このチームでは、負けると思った試合ってないんです。
あのときも絶対に行けるって、フィールドに立つ選手も、サイドラインにいる選手も全員、
勝つと思っていた。それが最高に気持ちよかった。
いいコールを出してもらって、最後、ファンブルフォースもできて、最高でした。
ファンブルフォースにはこだわりがありました。相手の一番大事なボールを奪うことが
気持ちよかった。タックルより、インターセプトより、ボールを奪うことに一番執着していました。
プレーしていてボールが見えるんです。あのときも冷静に、こうすればボールが奪えるんじゃないか
と考えながらボールにアタックしていました。
■自分の存在意義を問い続けた
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元々、ポジティブな面はありながら、それを表に出すことに自信が持てない環境にいたんですが、
それを受け入れてくれたのが、オービックシーガルズでした。一人ひとりがやりたいことを楽しみ
ながら実現していって、それがひとつの力となって結果を出すというのがシーガルズのすごく
いいところ。一目置ける、こういうところがすごいと思い得る人がたくさんいました。
そういう人たちと一緒にいて影響を受け、自分も自分らしくありたいと思うようになりました。
また、シーガルズは、自分の存在意義を考えさせられる場でもありました。
あいつ、いてもいなくても変わらないなという存在だと、ここにいる意味がない。
あいつがいないとなんか足りないなと思える存在でありたかった。
僕でいくと、「声を出し続ける。プレーでも目立つ。」。
それができなくなったら辞めよう、先頭を切って走れなくなったら別のステージで発信して
いこうと思っていました。この2年ぐらいは、足の怪我もあって、先頭に立つことが思うように
できなくなっていました。
■自分らしく生きることを応援したい
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自分らしく生きることが自分のテーマであり、他人にも、もっとそうした方がいいんじゃない?と思うテーマでもあります。日本人は我慢しがちだけど、自分の時間、余暇、人生を、自分がしたいように伸び伸び生きられたら、それは最高だと思う。極論ですが、本能のままにみんなが生きられたら、なんて幸せだろうと。
我慢したまま死ぬこともあるじゃないですか。やるほうを選択していける人生をサポートしたり、場を提供したい。そんなことを考えています。小さい頃から思っていたんですけど、みんなが遊びに来られるリゾートを創りたい。働きすぎて何か大切なものを見失っている人が、ここに遊びに来ることで自分を見直すきっかけになるような場にしたいです。
夢を追い続けるアスリートも応援したいと思っています。
シーガルズの「出る杭は打たない」というスタンスが、 自分らしくポジティブに生きたいという
自分の潜在意識を引き出してくれたのだと思います。いい部分を伸ばしてくれた。
出る杭を、むしろ、応援してくれるみたいなところもありましたし。
■感動を与え続けるチームであれ
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オービックシーガルズは、もっと世の中に認知されてほしいと思います。
うぬぼれかもしれませんが、シーガルズはプロよりもプロフェッショナルな人材が集まって
いると思います。 プロ選手よりも、走り込みも追い込んでいるし、仕事も頑張っている。
チームを構成している一人ひとりに意志があり、想いがある。周りからは“楽しんでいる”
という一部分が“軽い”と思われがちかもしれませんが、本当はストイックで、真剣にひとつの
目標に 向かって頑張っている。プロよりも影響力のある存在だと思うし、こんなに面白い、
世の中にインパクトを与えられるチームがここにあるってことを知らしめたい。
一生懸命やっている姿、最後まであきらめない姿勢は感動を与えます。
これからも、感動を与え続けるチーム、世の中に影響を与えられるチームであり続けて
ほしいですね。 (談)
彼の10年間の選手人生は順風満帆ではありませんでした。
FS寺田、R里見などスタート選手の2番手のローテーションの中、常に向上心を絶やさずスターターを求め、 自分をアピールし続けた結果、スターター選手と同等の信頼を勝ち得、ゲームをブレークする存在にまでなりました。「しんどい顔」を本当に見せなかった。その背景には彼を支える言葉があったことを、この取材で始めて知りました。 これからの人生も、きっと「しんどい顔」を見せずに、ポジティブに進んでいくのだと思います。10年間ありがとう。これからもよろしく。 |