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2009年08月
2009年08月20日
キャンプ
皆さんは1ヵ月ものキャンプ(合宿)をしたことがありますか?
私は、ここに来るまでなかったです。
もう3年目なので慣れましたが、1ヵ月もの間、数日のオフは除いて、
練習とミーティングが嵐のように行われていきます。
そもそも、アメリカでの新学期は9月からです。
日本で言えば、(春休みが1ヵ月あると仮定したら)3月の1ヵ月キャンプをした後、
4月の第1週目に、全国ネットで中継される開幕戦がやってくるわけです。
もちろんオープン戦など(NCAAの規定上)できません。
だから、長期のキャンプが必要なんです。
こちらに来て肌で感じていますが、1年生でスターターになるなんてことは、
とんでもないことなんです。
ましてやQBでなんて。。。怪物と言えるでしょう。
6月にハイスクールを卒業した有望な新人たちは、7月にはキャンパスに集まって、
ストレングスコーチのプログラムに基づいて上級生と一緒に練習を開始します。
7月の後半までは、(これもNCAAの規定上)フットボールのコーチが帯同した練習は
できませんので、ストレングスコーチのプログラム以外は、自分たちで練習をしています。
STANFORDだからなのかはわかりませんが、(特に)スキルポジションの選手たちは、
自分でスクリプトワーク等をして、練習をしたり新人向けのウォークスルー等を行っていました。
キャンプが始まってもう1週間経ちますが、眠いです。
毎朝6時にはオフィスへ向かい、帰れるのは早くて23時ぐらい。
でも、きついとかしんどいとか思ったことは一度もありません。
なぜなら、FOOTBALLだからです。
睡眠時間以外は、自分の好きなことをやってるので、楽しくてしょうがないです。
なかには、どうでもいい仕事もありますが、そんなときには開幕戦のフィールドに
立っている姿を想像して、テンション上げて乗り切っています。
ノートル・ダム・ジャパン・ボウルから帰国後にロッカーを開けたら、今年のギア
(日本ではグッズとか言いますが、 アメリカでは通じません)が支給されていました。
STANFORDはNIKEがスポンサーですので、NIKEのギアしか身に付けられません。
まぁ、制服みたいなものですね。
今回支給されたのはキャンプ用のギアで、今年支給されるギアのほんの一部でしかありません。
これは自慢とかではなく、皆さんに「本物」を伝えたいだけなので、気を悪くされたら申し訳ありません。
アメリカではこれが当たり前なんです。
選手にはフィールドのコンディションにあわせてスパイクが5つも6つも支給されますし、
(私みたいなアシスタントでも)年間5、6足の靴は支給されます。
去年はTV中継が多かったせいか、ほとんど毎試合新しい靴だった覚えがあります。
NFLなんかはこれの2、3倍は支給されるようですが。。。
ちなみに今年のギアは、デザインもクオリティもマテリアルもなかなかです。
ではまた。
TK
2009年08月12日
最後に。NDJBのお礼
またもや掲題の件です。
試合の後、試合会場やパーティで数多くのALL JAPANの選手と話をしました。
みんなそれぞれの感想を述べていましたが、総じて
「(思っていたより)たいしたことなかった」
「もう少しランプレーがいけたと思う……」
「負けた気がしない」
といった内容の感想が多かったように記憶しています。
ノムさんの言葉を借りると、「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」ですが、
(試合直後なのでビデオを見ての反省ができていないからなのか?)
不思議な負けをしてしまったかのようなコメントがありました。
主観ですが、この試合はチャンスを活かす能力の差が大きく出た試合であると思います。
古谷君(#20)も絶賛していた#41のLB MICHAEL GOOLSBY選手が試合前に
言っていた言葉を思い出します。
「1プレーや個人を見れば勝ち負けはあるかもしれないけど、試合が終わったときに
チームとして負けるはずがない。俺たちは本当に小さいときから何回もフットボールの
試合をしてきて、何度もきわどい場面を勝ち抜いてきている。そこを勝ち抜いてきた
からこそ、NOTRE DAMEでフットボールをすることができたのだ」
その言葉の通り、場数というか、修羅場というか、ピンチやチャンスを経験し、且つ
勝ち抜いてきた経験の差が歴然としていたような気がしました。
そしてこれこそが、私がアメリカへ行ってから何度も見せつけられ、味わわされてきた
「底力」なのだろうと思います。
NDJBでは、事前の準備段階から本番まで、本当にたくさんの皆様にお世話になりました。
オーガナイザーの山田晋三君。(普段も寝てるか起きてるかわかりづらい顔ですが。失礼!)
ほとんど寝ずに私たちの対応をしてくれました。
このプロジェクトの責任者でもあった戸張さん、私のわがままをなんでも聞いてくれた田中さん、
完璧な通訳をしてくれた壁谷さん、何から何までありがとう「シゲ」、オービックシーガルズ
ファミリーでもある都野さん、リッツカールトンの竹田さん、細かい配慮をしてくださった
ツアーオデッセイの住野さん、グラウンドを貸してくださったうえに練習のお手伝いまで
していただいた内田監督さんをはじめとする日大の方々、汗だくでがんばってくれた鈴木君、
同行したアメリカ人の家族の女の子(8歳)よりも小さいのに細かいことに気遣いしてくれた
酒井さん、大阪からわざわざお手伝いに来てくれた辻さん、練習を手伝ってくれたジョルディー、
通訳から選手の家族の対応までありがとう千春、周囲にに振り回されながらもがんばって
くれたライ、チケットなど裏方的なサポートをしてくれた藤島君、その他にも数え切れない
方たちの支えがありました。あらためて、本当にありがとうございます。
こちらに帰国したその足でオフィスに出勤。キャンプの準備が始まりました。
次回はそのキャンプの様子を!
TK
2009年08月03日
日本へ
7月16日(木)から3日間の練習の後、19日(日)の早朝にホテルを発ち日本へ。
記念にNOTRE DAMEのキャンパスを写真に!
▲NOTRE DAMEキャンパスのすごいところは、すべての建物が同じような
色調と素材で作られていること。50年前の建物も昨日できた建物も、外観は
同じように見えます。クラッシックにつくられています
▲有名な「TOUCH DOWN JESUS」-意図的ではなく、昔からあったものが
そう見えるだけだそうです
言い忘れてましたが、最終日の練習でFBのスターターであったディーン・ライトル選手が
アキレス腱を断絶。。。190㎝以上ありながら、ブロックはもちろん、パスキャッチもできる
素晴らしい選手だったんですが。
3日間のキャンプで相当数の怪我人を出した挙句、疲れも取れていないのに、
12時間超のフライト……どうなることやら???と思ったのを強く覚えています。
成田に着くと、数多くの日本の関係者の方々が出迎えてくれました。
日本人のホスピタリティを久しぶりに感じながらバスへ乗り込み、ホテルへ。
今回一番びっくりしたことの一つが、私たちが滞在したホテル-六本木・ミッドタウンの
「ザ・リッツ・カールトン東京」。凄すぎます!! 安い部屋でも1泊4万円前後。
そこに100人を超える大所帯が。
(こういう使い方があっているのかは疑問ですが)75年前にPAUL RUSH先生が
おっしゃった「DO YOUR BEST IT MUST BE FIRST CLASS」という言葉を
思い出しました。あとは試合当日にFIRST CLASSのフットボールを見せるだけ!
と気を引き締めて、日本での練習場所である日本大学へ。
内田監督をはじめとする、日本大学の皆さんの受け入れ(サポート体制)も素晴らしく、
何一つストレスもなく練習が進んでいきました。
(ALL JAPAN TEAMのDBコーチであるモリタク(森コーチ)がウロウロしていたことと、
オービックシーガルズOBのサンチェ(白坂コーチ)がうざかったこと以外は……笑)
ところが、ここでもやっぱりケガが。エースQBのトニー・ライス、二本目のQBのガッツィー、
スターターRBのゼラース等、いずれも肉離れかその寸前の症状で練習を切り上げる
ことに。連れてきたQBは二人だけ。さぁ、どうしようか?
そこに救世主が現れました。元々DBで登録のエンベローズが高校時代にQBをやっていた
らしく、急遽抜擢。いきなりパスの練習に入ったら、これがなかなかいい球を。しかも
オプションもできる。卒業間もないアスリートであったこと、DBとしての出場機会が少ない
ことが幸いし、ゲームでもスターターを務めることになりました。
RBも怪我人が多く、RBコーチのレジーが急遽スタイルするはめに。。。しかし、スタイルして
ウォームアップをして5分後、まるでコントのように肉離れ(笑)。しかし、ここにももう一人の
救世主が。#39ブランドン・ホイト選手。今回のチームで最強ユニットであったLBの中から、
高校時代にRBをやっていた選手(本人曰く、あんまりやってなかった)で若くて動きのいい
彼がコンバートされました。彼は現役時代は、(あのノートルダムの)キャプテン。練習中も
動きがよく、理解度やリーダーシップも秀逸でした。個人的には彼のLBとしてのプレイを
もっと見てみたかったですが、試合では立派にRBとして活躍してくれました。
ゲーム中は、私はスポッター席からコーディネータをサポートしました。スタンフォードでも
(インカムから)声は聞こえますが、あまり発言をする機会があるわけではないので、
試合前は自分の発信した情報がプレイコールに直接関わってくることに不安を覚えました。
しかも試合中は興奮状態に強いテキサス訛り……。本当に不安でした。
でも、なんとかなるもんです。大きなミスもなく、1Qにパーソナルやフォーメーションで偏った
傾向を発見したときには、けっこう誉めていただきました。
試合は、オフェンスに怪我人が多い中、【ディフェンスでスコアする】という急遽できた目標も
達成でき、デフェンスとしては会心のゲームであったと言えると思います。
終了に近づいてくると、COACH DARNELLとCOACH LEWIS(二人ともコーチ業は引退)が
「これが俺たちの最後のディフェンスプレイコールかな」と冗談とも本気とも取れる(寂しい)コメント。
「TK、早くどっかのヘッドコーチになって、俺たちを雇ってくれ!
もう現場に戻る気はないが、おまえからのオファーなら断る理由がない」
「わかった。努力します。でもあと50年ぐらい必要だ!」
「医療の進歩に賭けよう!」
みたいなアメリカンジョークを交わしながら、試合終了の瞬間を迎えたことを覚えていますし、
忘れることはないでしょう。
試合終了後、フィールドへ降りて選手やスタッフ全員と握手。心からうれしく、ホッとできた
時間でした。日本の、特にオービックシーガルズの選手やコーチとも言葉を交わして、
最高の時間を過ごすことができました。ロッカーに帰ってからも、コーチ・ホルツからの
ねぎらいの言葉と「さぁ、あの歌を歌おう!」のかけ声のもと、
ノートルダムのファイトソングを全員で大合唱!!
輪の中心にいて、誰よりも大きな声で、満面の笑みでファイトソングを熱唱する
コーチ・ホルツの顔は一生忘れることはないでしょう。
日本側には大きなケガがなかったようでよかったー、と話していると、ノートルダム側は
けっこうな怪我人が。アキレス腱断絶1名、靭帯断絶(損傷)2名、強度の脳しんとう2名etc.
帰国してから本格的な検査をということでしたが、この試合がいい思い出のままであることを
望んでやみません。
最後に、家族をはじめ、この機会を与えてくれたすべての人に、あらためて感謝の意を。
ありがとうございました。
TK