並河 研GMブログ“日本から世界へ”

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2010年04月

2010年04月23日

バスケットも2013年プロリーグへ!

バスケットの話が続くが、
日本リーグとbjリーグが
2013年に統合され、新たなプロリーグを創るという
という報道があった。

 

以下、スポーツ報知のサイトから引用させていただく。

 

国内に並立するバスケットボール男子リーグの統合に向け、
日本協会は21日、
東京都内で傘下の日本リーグ、別組織のbjリーグとそれぞれ覚書に調印した。


2013~14年シーズンを目標に新リーグの設立を目指す。

 

日本協会の木内貴史専務理事は新リーグについて
「(日本リーグとbjの)すべてのチームが参加できるようにしたい。
企業チームは地域に密着しながら分社化の努力をしないといけない」と話し、
企業チームとプロチームが併存する状態から段階的にプロ化を目指す考えを示した。

 

現在8チームの日本リーグは企業チームとプロチームが混在しており、
bjリーグはすべてプロの13チームで構成されている。
協会傘下を離れた新潟など6チームで
bjリーグが2005年にスタートして以来、分裂状態が続いている。


しかし、日本協会は統合の機運を受け、
3月の理事会でbjリーグの選手の協会登録を認めることを決め、
日本代表選出への門戸も開いた。

 

麻生太郎・日本バスケットボール協会会長
「(統合は)就任以来の懸案。日本の男子はプレー環境が良くなって、
 選手も大きくなっているのに弱い。ここからがスタートという感じだ」

 

木内貴史・日本バスケットボール協会専務理事
「関係者やファンの方が日本の現状を憂いていた。何とか打開しないと、
 と思っていた。統合で、今後の日本の強化の環境は少し整うと思う」

 

伊藤善文・日本リーグ理事長
「日本リーグは8チームがすべて新リーグに入る方向。
 主催試合をしっかり運営することが求められる。チーム名は、
 現在の企業名に地域名を加える形になっていくのでは」

 

河内敏光・bjリーグコミッショナー
「6年越しで日本協会に一緒にやろうと言っていただけた。
 日本リーグの栃木を見ていても地域密着の風が吹いている。
 選手は代表への道が開かれ、モチベーションが上がる」

 

続いて、4月13日の朝日新聞のスポーツ面
リンク栃木の優勝の報道から抜粋。

 

~支えたのは、プロ意識だろう。栃木はリーグで2つしかない
プロチーム。ホームでは、熱狂的なファンの声援を受ける。


MVPに輝いた田臥は、「栃木では毎試合、ああいう雰囲気に
なる。モチベーションとなって(アイシンを)絶対倒すという
気持ちが増していった」。地域に根差した球団とファンの一体感が、
三連覇を狙った王者アイシンを打ち砕いた。

 

誕生から3季目で一気に頂点へ。来季は日本代表を指揮するウイスマン
・ヘッドコーチは「日本のバスケ界がよりエキサイティングになる。
プロチームが育ち、もっとバスケが認知され、文化として根付いていけば
いいと思う。素晴らしい瞬間だった」と総括した。

 

リンク栃木をオービックシーガルズに置き換え
田臥選手をKJに置き換え、ウイスマンヘッドコーチを大橋に置き換え
アイシンをパナソニックに置き換え、
バスケット・日本リーグをXリーグに置き換え、


書きなおすように、
私たちの未来を拓いていきたい。

 

2010年04月15日

リンク栃木の日本一に脱帽

先週の日曜日、素晴らしいことが起きた。

 

創部3年目のリンク栃木が、強豪のアイシンシーホースを破って、

日本一の座に輝いたのである。バスケットの話だ。

 

 現在日本のバスケットのトップリーグは、
実業団とプロチームが混在する日本リーグと

地域密着型のプロチームで構成されるBJリーグに分かれている。

 

リンク栃木は、元々実業団としてスタートしたチームを再興して、

プロチームに仕立て直したチーム。

 

まさしく、新生の創部3年目、Ⅰ部昇格2年目で日本一を勝ち取った。

 

これは、快挙である。

 

勝ったことだけではない、ファイナルに進出し、
劇的に勝ち進む中で、栃木の人たちがまさにチームと一体となって、
喜び、チームの背中を押し続けていたことが、新聞にも書かれている。

 

聞けば、3年間で500回以上、バスケット教室を開いたという。


田臥選手の加入もさることながら、栃木のプロチームとして勝つ。
ということにこだわり通し、やりきったチームの皆さんの素晴らしい努力に
惜しまぬ拍手を送りたい。

 

GMの山谷氏は、元々はオービックシーガルズ

(当時はリクルートシーガルズ)の選手であり、
クラブチーム化後には、数年間、アシスタントGMもやっていただいた。

アメフト界からバスケ界に飛び込んでの日本一、彼の手腕と努力には、

脱帽である。

 

一方で、私が、25歳(周年)の決意として「千葉にアメフトプロチーム創設を!」
とか言っている間に、彼等はやり遂げた。


Xリーグがどうのこうの、、、と言ってる間に、彼等はやり遂げた。


このことについては、本当に恥ずかしい。

面目ないとはこういうことをいうのだろう。

 

リンク栃木に少しでも追いつけるよう、頑張って行こう、
いろいろ教えてもらおう、と思いを新たにした。

 

2010年04月09日

戦いの総和(Σ)

 

グラウンドで戦うのは選手。
しかし、戦っているのは、彼らだけではない。


コーチや、トレーナー、スタッフ、事務局までも
それぞれの戦いがある。

 

5月16日の初戦にむけて、既に戦いは始まっている。


選手達に対して、
1つ1つのプレイイメージをいかに上手に伝えきるか。
これはコーチやコーディネイターの戦いである。

 

一人でも多くのお客様にスタンドに来てもらうために
今日というかけがえのない日をどのように使い切るか。
これは事務局スタッフの戦いである。

 

秋のリーグ戦初戦までに、
いったい何人の習志野の方々に会えるか。
これは、チーム全体の戦いである。

 

日々のトレーニングも、
仕事をしながら、家庭を持ちながらの身であると、
気を許せば優先順位が下がる。これも戦いだ。

 

オービックシーガルズでは、
かつて「腹筋メール」というのが選手の間で
飛び交った。

 

毎日100回腹筋をしたら「腹筋した!」とメーリングリストに
流すだけのものであるが、これが非常に効果的だった。

 

仲間たちへの、リ・テンションにもなるし、
自分がトレーニングしたことを確認することにもなる。

今年は、合同の早朝トレーニングも流行り出している。

 

試合になったら、誰しもが戦うモードになる。
しかし、本当に試合の勝敗を決めるのは、
チーム全員が、それぞれの持ち場で、
如何に「勝負」に挑み続けるか。
の「総和」である。

 

パールボウル予選まで37日
ライスボウルまで269日

皆で勝負し続ける年にしたい。

2010年04月06日

1,000人に1人の誇りと技

今年の春の三寒四温は、いつもの年より波が大きい。
コートをしまいこむタイミングが難しそうだ。

 

練習のほうは、日本代表の練習がある週だったり、
ない週だったりとこちらもなかなかテンポがつかめない。

 

日本代表には、オービックシーガルズから、
デイフェンス…古庄、藤本、渡辺、塚田、紀平
オフェンス…古谷、宮本、清水
と合計8名の選手を選んでいただいた。

 

24日のジャーマン・ジャパンボウルでは、
思いっきり暴れてくれるであろう。

 

さて、1,000分の1という数字。


これは、よく私が例えにだすのだが、
サッカーの競技人口を仮に、日本サッカー協会に登録して
いる選手の数とすると100万人と言われている。

 

で、トップリーグであるJ(J1、J2)が約1,000人いるから、
日本のサッカー選手の1,000人に1人がプロ選手という計算になる。

本当はもっと分母が大きいかもしれないが。

 

アメフトはどうかというと、競技人口は2万人。


それもヘルメットを被るコンタクトがあるアメフトが2万人。

 

日本代表のオフェンス、ディフェンスのスタメンが22人(+α)
なので、こちらも1,000人に1人。という計算になる。

 

ものは、考えようであるが、
日本のアメフトのプロ化は、かつてのラグビーの
オールブラックスのように、まず日本代表をプロ化する。
という手もあるのではないか。

 

競技者の1,000人に1人という確率で言えば、サッカーとも同じである。

 

決して批判するものではないが、
今回のジャーマンジャパンボウルのための渡航費は、
選抜された選手たちにも個人負担があると聞いた。

 

オービックシーガルズの8人には、

チームからきちんと補助はする。

 

そして彼らには胸をはって、

1,000人に1人=日本代表=プロレベルの
技と誇りでドイツで戦い、勝利してきて欲しい。と思う。

 

そしてその戦いぶりを、応援してくれているフラッグチームの
ジュニアのみんなや、先日川崎のイベントで知り合ったチームの
みんなにも伝えていきたい。

 

今日、そして、明日のために。

 

2010年04月01日

リクルートの50周年の日に思う

昨日は、株式会社リクルートの50周年の創立記念日。

 

オービックシーガルズは、1983年に誕生し、今年で27年目を迎えるのであるが、

はじめの一歩は、リクルートの社員と社外にチームメイトを募った同好会であった。

1988年に実業団チームへと格上げされ、会社も巻き込んでのチーム強化を行い、

ハワイ大卒のデイビッドスタントヘッドコーチや、日本国内の強豪大学の選手の

加入もあって、1996年に初の日本一を勝ちとった。

 

スポーツのチームづくりと企業運営は、あまり一緒に語ることはできないが、

当時のチームは、平素一生懸命働きながら、休む間もなく、アメフトと仕事に

頑張り続けた選手たちで創ったので、良くも悪くもリクルートっぽいチームであった。

 

今日から始まるリクルート50周年記念展「時代と、人と、情報。」展

リクルートのOBとして手伝わせていただいた関係もあって、

昨日の創業記念日に行われたプレオープンパーティーでは、

多くの先輩たちにお会いした。

創部以来顧問をつとめていただいている神山さん(就職情報、とらばーゆなどの産みの親)、

若月さんを始め、もともとの同好会を創ったときの部長の大沢さん

(リクルートの創業者のお一人)、初代応援団長の岡田さん、チーム名を考えるときに

お世話になった溝渕さん、実業団チームになった当時の総務部長だった徳田さん、

立教大学のOBでポールラッシュ杯関係でもお世話になっている田中さんなど、

このチームは実に多くの先輩方に産み育てられたことを思い出し、

感謝の念を強くした次第である。

もちろん、リクルートの二代目社長で、昨年まで総監督を務めていただいた

位田さんもいらっしゃっていた。

リクルートの魂を受け継いできた、オービックシーガルズ、である。

 

一方で、リクルートは次の50年に向けて大きな節目を迎えている。

これからどの企業もそうであるように、社会も経済も事業も、人づくりも、

未来から預かっているものとして、よりグローバルに、

より人間的に歩んでいくことが大切になるであろう。

 

オービックシーガルズに関して言えば、

国づくりというような視野はさすがにもてないが、少し近い将来、

例えば、先日川崎のフラッグフットボールイベントで頑張っていた高津の小学校の

クオーターバック・YAMATO君が大人になったときに、アメフトやっていて良かったと

思えるようなアメフト界にしていくことが、

今までアメフトをやってきた私たちの務めなのではないかと思う。

 

ブログ、長らくサボっていたが、改めて書き続けようと思う。

さらに、3月からツイッターも始めてみた。