並河 研GMブログ“日本から世界へ”

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2008年08月

2008年08月18日

コーチの語源は「馬車」

 

12日に合宿が終了して、初めての練習。


合宿の熱気やテンション、全体のテンポというものが
どれくらい残っているのか?
これが、合宿後初めての練習に思うことである。

 

今日の気温は23度。
急に秋が到来したかのような陽気であるが、
そのことも幸いしてか、習志野のグラウンドに集まった選手は
元気一杯。合宿の疲れを見せない集中力で練習が進んだ。

 

ポジションごとの練習に目を移してみると、


QB担当の新生コーチと吉永ヘッドトレーナーが、
4人それぞれのQBの状況に合わせて作ったウオームアップメニューを
黙々とこなすQB達。

 

フットワークを繰り返し繰り返し教える
時本コーチとランバッカー達。「高い!オーバーフローや!」
という時本コーチの大きな声が選手を追いかける。

 

その横には、里見選手が帰国して合流したDB陣。
1989年に入部した現役時代から「基本に忠実」をモットーに
オープンフィールドでのフットワークを教える松場コーチ。
隣には、尾崎コーチもいる。

 

グラウンドのその反対側では、
一人ひとりのWRに、DBの抜き方を丁寧に教える中村コーチ。
今年からそのアシスタントとしてニ人三脚でWRを担当する
脇田コーチ。

 

その向こう側には、プレイングコーチの古谷(拓)選手が
RB陣にいろいろな身のこなし方を教えている。
アメリカ経験も豊富な古谷選手のコーチングは、説得力も高い。

今日はそこに大橋ヘッドコーチも加わって、二人で

RBを見ている。

 

そしてその隣には、タイトエンド陣にディフェンスへのブロックを教える
大村オフェンスコーディネイター。

大村コーチは、オフェンス全体をコーディネイターとして指揮しているが、
ポジションでは、タイトエンドを担当。

個性が異なる様々なタイプの選手を彼なりのリーダーシップと理論で鍛え続けている。

 

そしてさらにその隣には、オフェンスラインとディフェンスライン。
ライン陣の練習は、どのようなチームでも、エンドゾーン近く
つまり端っこになるのだが、ここが活気にあふれると
グランド全体が締まる。

 

オフェンスラインは、宮田コーチがコンビネーションブロックを
確認している。宮田コーチは、練習が終わるといつも声が
かすれてしまうぐらい、声を出す。

 

ディフェンスラインは、加藤コーチ。低く速く強いステップで、
スクリメージラインを割るには、こちらも反復練習しかない。
加藤コーチは、身のこなし方に造詣が深い。
ディフェンスラインの練習は単調になりがちだが、いろいろな
工夫をしてみんなを奮い立たせている。

 

また、その傍らでは、小山コーチが、オフェンスのセンターに
ロングスナップの指導をしている。
小山コーチは、オービックシーガルズ現役時代は、センター、
ガード、タックルもこなした万能選手。日本大学時代から
ショットガンに慣れ親しんでいるので、ロングスナップの指導にも
年季が入っている。

 

コーチと選手が一体となって、一生懸命に理想のプレイづくりを行う練習。


今回のオリンピックでも選手とコーチの二人三脚ぶりが話題になることも
多かったが、ここオービックシーガルズでもそれに負けないくらいの
空間ができつつある。

 

25年前に創部したときには、予想もできなかったことだが、
デイビッドスタント、マイケルレナード、柳秀雄など揺籃期に
チームのコーチングの基を築いてくれた先輩コーチ達のDNAも
確実に受け継がれているように思う。

 

ちなみにコーチという言葉は、
ハンガリーの町で15世紀くらいに四輪の馬車が最初に造られ、
その馬車が町の名前にちなんで「KOCSI」と呼ばれて、
それが英語で「COACH」となったと言われている。


教えられる人(学ぶ人)を「運ぶもの(道具)」が「コーチ」の語源というのも
なかなか意味深い。

 

オービックシーガルズという「馬車」の旅が

どこに行きつくのか、楽しみになってきた。

 

 

 

2008年08月15日

「絆」考。

 

オービックシーガルズOBの岩田光晴氏は、慶應義塾出身。


現役時代はキッカーとして、得点力が十分ではなかった当時、
キックオフやFGでチームの窮地を幾度となく救ってくれた。

 

岩田氏は、もともと私の出身高校(奈良高校)の1年後輩で、
高校、大学とサッカー部に所属。

チームには、1988年に、社内公募に応じて、初心者として合流してくれた。

 

現在は、慶應義塾創立150年記念事業室のまとめ役、

プロデューサー的な存在で、

150周年を迎える今年は、大忙しの毎日である。

 

この春から縁あって、映像の撮影・編集の仕事で、
その150年記念事業のお手伝いをさせていただいている。

 

慶應義塾の150年記念事業は、
何年も前から周到な準備と、多くの関係者を巻き込んで実施されている
大規模でかつ本格的なものを巨大なプロジェクト。

 

私がお手伝いさせていただいているのは「絆」というテーマで
周年事業などを通じた塾生同士のつながり、結びつきを記録していく
仕事である。

 

今までに撮影したものは、たとえば、

 

創立者の福澤諭吉先生の生家から、
三田の本部までの道のりを代々の自転車部のメンバーが走破したり、


ワンダーフォーゲル部が各地の三田会(慶應義塾のOB会)を訪問しながら、
歩きとおしたりといったものや、


前々回のブログでもご紹介した元塾長の小泉信三氏の回顧展を開いたり、
かつての名講義を再現した講義など。


このほかにも、撮影はしていないが、

全国各地で「学問のすすめ21」と題した記念講演が、

いろいろなテーマで開催されており、
慶應義塾創立150年ブックレットにまとめられ刊行されている。

 

今手元にあるのがVol3「家庭教育を考える」という小冊子。
(1冊300円)http://keio150.jp/shop/index.html

 

今日はその中の
「家庭の文化を創る」(渡辺秀樹慶應義塾大学教授の講演抄録)
「福澤諭吉の家庭教育」(岩崎幼稚舎教諭の講演抄録)
について引用させていただく。

 

「家庭の文化を創る」の中では、

 

元慶應義塾塾長の小泉信三氏が、
太平洋戦争で戦士した息子小泉信吉氏との思い出を記した
『海軍主計大尉小泉信吉』が紹介されている。

 

その本の中でも最も有名な箇所は、


息子の信吉がいよいよ出征をするというときに、
父小泉信三が息子に与えた手紙である。

 

以下、紹介すると…

 

君の出征に臨んで言って置く。
吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの
誇りとしている。僕は若し、生れ替って妻を択べといわれたら、
幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しもわが子を択ぶということ
が出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親に
こう言わせるより以上の孝行はない。君はなお父母に孝養を尽くしたい
と思っているかも知れないが、吾々夫婦は、今日までの二十四年の間
に、凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた…(後略)

 

時代も状況も違うが、親子でオリンピックに挑んだ選手の父と息子(娘)
も同じような心境なのかなぁとも思う。

 

また、オリンピックでなくても
日々自分の息子や娘が戦っている相手、そして戦っている本人を
きちんと見据えられれば、
親子の絆も、もう少しは深まるのではないかとも思う。


親は、子どもの戦友でありたい。

日常はオリンピックどころではないからだ。


もうひとつ、

「福澤諭吉の家庭教育」では、

 

福澤諭吉先生が、満八歳と六歳の息子にあてて教えた
「ひびのをしへ」が紹介されている。

 

「ひびのをしへ」は、明治四年に書かれたもので、
毎日一つずつの教えが書かれており、その最初に「おさだめ」がある。
こういうことをしたらいけませんという家庭教育のルールである。

 

以下、紹介すると…

 

おさだめ

一、うそをつくべからず。
一、ものをひらふべからず。
一、父母にきかずしてものをもらふべからず。
一、ごうじやうをはるべからず。
一、兄弟けんくわかたくむよふ。
一、人のうわさはかたく無用。
一、ひとのものをうらやむべからず。


絆。

 

親と子の絆は、このような、ルールを通じて、
コミュニケーションを重ねながら、
育まれていくように思う。

 

そして、それは、
社会と自分の絆の第一歩でもあり、

それがやがては、
組織や社会と社会の絆の基になるのではないだろうか?

 

今日は終戦記念日。

終戦記念日は、昭和という親と平成という子供の

「絆」の1つでもある。

 

 

 

2008年08月14日

2008年の最後のピースは「合宿」


私がチーム運営に携わるようになって早25年。


アメリカンフットボールも他の競技と同様に、
年度ごとにチームが変わるので、チーム創りを
25回繰り返してきたとも言える。

 

チーム創りは、

対戦相手と自分たちの戦力を分析し、自覚するところから始まる。

 

そして相手に勝つための戦略に基づいて
コーチングスタッフと選手を集めるところから鍛え上げていくまで

これらの一連の作業がチーム創りである。

 

一連の流れの中で行っていくことではあるが、

一方で見方を変えれば、特別な能力を持った選手やコーチ、

相手に対して脅威を与えるフォーメイション(そんな簡単にはないが)
あるいは、最新の人工芝のグラウンドなど、

 

いろいろなピースを集めて、組み上げていく作業であるとも言える。

 

この組み上げは前年のシーズンオフからすぐにスタートし、

 シーズン直前まで続けられる。

 

そして、毎年毎年その年の“最後のピース”が何であったか、

印象に残っていることが多い。

 

1993年私が最初に監督になった年の最後のピースは、
言うまでもなく元ヘッドコーチ、デイビット・スタント。

 

1998年、2度目の日本一を奪首した年は、
再来日してくれた元QB・WRコーチ、マイケル・レナード。

 

*デイビッド・スタント氏とマイケル・レナード氏
 のチームに対する多大な功績についてはオフィシャルサイト
 の1企画として後日まとめてみたいと思っている

 

2004年は、大村和輝・現オフェンスコーディネイター。

 

と、コーチングスタッフであることも多い。

選手もすでに200人のOBがいるので、

一人ひとりの顔を思い出すと、全員が゛ピース”とも言えるが、

特に最近印象に残っているのは、

 

2005年に、練習生から選手登録した現QB龍村学であった。

 

モノもある。
2006年は、習志野グラウンドに敷設された最新の人工芝であった。

 

外国人選手では、

2005年のケビン・ジャクソンに加えて、
2007年は、ジョン・ウエスト選手であったが、
残念ながら選手登録ができず、大変悔しい思いをした。

 

2008年はというと…

 パールボウル第二戦のアサヒビールシルバースター戦で大活躍した

新人QBの木下選手かなぁと思っていたが、


12日に終了した夏合宿の最終日を見て、
今年の最後のピースは「夏合宿」であると思った。


実は、夏合宿の最終日のオフェンス対ディフェンスのスクリメージを見て

その年にどこまで勝ち進めるか、なんとなくイメージしていたのであるが、


今年は、例年になく、充実感、臨場感のあふれるもので、
このような「場」を創り上げた選手、コーチ、スタッフの「総力」を感じたわけである。

 

とはいえ、開幕までは、まだ時間がある。

何が起こるかわからない。

練習自体にもまだまだ隙がある。

ここで慢心などもってのほか、油断なくチーム創りに心血を注いでいきたい。

 

 

2008年08月11日

「場」を守り育てる覚悟

 

オービックシーガルズが恒例の合宿に突入すると同時に
北京オリンピックも競技がスタートした。

 

世界各国から1万6000人にも及ぶ若者たちが
スポーツという言葉を通じて語りあう、
これがオリンピックである。

 

オリンピックや甲子園の高校野球、
いろいろな競技の大会を見るたびに、


選手同士の戦いだけでなく、
その選手がどのように育ったか、
そのチームがどのように強化されたか
はもちろんのこと、競技界全体の仕組みや
大会の運営、果てはお金の集め方まで気になってしまう。


仕事がらである。

 

もうすぐ公開される映画に
「ラストゲーム最後の早慶戦」がある。


映画のオフィシャルサイトが充実しているので
詳細の紹介はそこにゆずるが、

 

ストーリーは、

 

1943年、太平洋戦争の真っ只中にあって、
敵国であった米国のスポーツということで
六大学野球が廃止され、しかも学生の徴兵の猶予も
なくなるという状況の中、


戦地に赴かざるを得なくなった野球部員のために、
当時の慶應大学塾長の小泉信三氏が、早稲田大学の
野球部顧問の飛田穂州氏を訪ね、
「最後の早慶戦」の開催を依頼する。


早稲田大学当局は当初この開催を拒否するが、
ついには、実現し、最後の早慶戦が開催される。
という実話である。

 

今朝の新聞には、
現在も戦闘状態にある
ロシアとグルジアの選手が表彰台で
抱き合ってキスをするというシーンが報道されていた。

 

選手たちには、思いっきり競技をやらせてあげたい。
そしてその中で、人生を生きていく何かを掴んでもらいたい。
また、その頂上を凌ぎ合う中で、国や民族を超えた
友情を育んでもらいたい。

 

一方で、選手たち以上の情熱と覚悟をもって、

私たちOBは、その「場」を
守り抜いていかなくてはならない―。

 

合宿が終わり、
いつものように9月に開幕を迎えるXリーグ。


その「場」を守り、もっともっと輝く「場」へと
育てていく覚悟が自分たちにどれくらいあるのか?


昨今、繰り返している自問でもある。