並河 研GMブログ“日本から世界へ”

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2010年05月

2010年05月17日

歴代主将会を5月15日に開催!感動した!

 

その人たちは確かに居た。フィールドで燃えていた。

 

初代…稲葉泰成(慶應大出身)
二代目…中谷秀直(東大出身)
三代目…並河研(筑波大出身)
四代目…鈴木聡(早稲田大出身)
五代目…鈴木仁(近畿大出身)
六代目…池之上貴裕(関西学院大出身)
七代目…遠藤紀彦(一橋大出身)
八代目…仲益史(甲南大出身)
九代目…木下雅英(明治学院大出身)
十代目…遠藤紀彦(二回目)(一橋大出身)
十一代目…庄子達郎(中央大出身)
十二代目…古庄直樹(現役)(立命館大出身)

 

これは、オービックシーガルズの歴代主将の名前である。

 

■稲葉さん
「とにかくチームを創ろう。いろんなことやってみて、
あかんかったらまた、新しいことやれば良い」

 

草創期から現在までフィールドだけではなく“男稲葉”として
現フロント陣を始めスタッフ、代々の選手幹部を支えてくれた…。

 

■中谷さん
「弔い合戦だ!絶対にリーグ戦で優勝しよう」

 

二代目主将として草創期の同好会チームを引っ張った。

日航機事故で亡くなったチームメイトの寺西君の為にも

優勝しようとチームを鼓舞してくれた…。

 

■鈴木(聡)さん
「何やってんだよ!練習の準備しなきゃ!」

 

一部に入った頃のチームを何とか仕立て直そうとしてくれた。

当時のグラウンドは土のグラウンド。

練習前に鈴木さん自らが率先して線を引き、グラウンドを整備していた。
雨の日に「練習どうしよう…」と会議室でぐずぐつ言ってた幹部に向かって、

グラウンドからずぶぬれになって戻ってきて、叱りつけてくれた。


シルバースターに残り1秒で追いついた時にタッチダウンパスを捕った彼の姿は
永遠に忘れない。

 

■鈴木(仁さん)

「やいやいゆうな!やったらえええねんやろ!」

 

チームが不振を続け幹部もコーチも入れ替わった時期に主将を引き受けた。

男気そのものの人。怪我に悩まされながらも常に試合に出場、やってみせる姿

でチームを奮い立たせた。
そもそも関学を倒すために近大に入った闘将。

熱いプレイはDBのシンボルだった。

 

■池之上さん

「ええか、みんな!必死のぱっちやで」

 

関学時代に3年で主将になり、チャックミルズ杯にも輝いた豪傑。

人一倍練習し、初めてシルバースターに勝った時の試合では、

ノーズタックルとして、相手のオフェンスラインごと

ランニングバックを押し返していた。鬼神。

必死のぱっちでやろうという彼は、

日本人初のプロプレイヤーとしてドイツにも渡った。

 

■遠藤さん

「おもしろくないなぁ…」

 

超人的な体力、運動能力、精神力。

彼にとってはどんな激しい、厳しい練習も楽しいものだった。


激しくて、厳しくて、緊張感あってドキドキするそれが面白い!

そうでないことはおもしろくない…という、

彼がおもしろくない、と言い出すと周りは緊張した。
ディフェンスエンド、ラインバッカーとしてフィールドを面白く激しく暴れまわり、
相手QBを追いかけまわした姿は忘れられない。

 

■仲さん

「もう、けつ割れましたわぁー」

 

ディフェンスバックの熱さを引き継ぐ。

練習後も近くの海岸まで走り込みに行って、
それこそお尻が割れるような感覚まで自分を追い込む。

オービックシーガルズには、
類まれなるセンスを持つ選手も大勢いたが、

決してそうではなく、経験もない選手も大勢いて、

皆、ひっしのぱっちで、けつ割れるくらい練習し、思いっきり、フットボール
を楽しんでいた。

そんな象徴が仲さんだった。

 

■木下さん

「デイビッドのテクニック使えますよ!」

 

明治学院出身で、温厚で理知的なディフェンスエンド。

しかしプレイは鋭く、必ずPOA(ポイントオブアタック)に詰めより、

遠藤や海本、庄子選手たちとディフェンスエンドとして活躍。

テクニックの吸収力も抜群で、デイビッドヘッドコーチの申し子の
ような存在でチームを引っ張ってくれた。

 

■庄子さん

「本気?」

 

中央大学時代はラインバッカー。

しかし彼のスピードと身のこなしに天性のものを見出した
デイビッドヘッドコーチは彼をディフェンスラインにコンバート。

Xリーグ屈指のスピードDLとして活躍、

オービックシーガルズのスタッドディフェンスの看板になった。

そんな彼は、常々「本気」ということを大事にしていて、

チームDNAを創ったときには、そのコンセプトを
チームDNAの「本気」という言葉に結晶化させてくれた。

“東京ドームで闘う主将のブログ”
も記憶に新しい。

 

前置きが物凄く長くなってしまったが、
この歴代主将が、15日に習志野グラウンドに集ってくれた。

テーマは「OB会をオービックシーガルズらしくやるには、どうするか?」


という漠としたものであったが、

事務局サイドが出したある種無難な提案に対して、
次から次へと、「おもしろ」くて「本気」で「必死のぱっち」にやれるような「けつの割れる」
提案が相次ぎ、たった2時間の間に、原案がどんどんブラッシュアップされていった。

 

原案は、「年に1回くらいOB(250人くらい居る)で集まって、活躍しているOBの話を聞く」


それが…「活躍しているといっても、何かテーマがあった方が良い、

例えばリーダーシップとかイノベーションとか」


そして…「とはいっても何か目標があった方が、ただの勉強会だとせっかく集まる理由にならない」


となり…「OBだから、何か過去の話というよりも未来につながることをやりたい」

例えば…「チームが困っていることをOBが助けていく、その報告会とかはどうなのか?」


だったら…「クラブチームなので、雇用が一番テーマかなぁ…」

いやいや…「それは、ちょっとレイヤーが下ですね。何の為に選手を雇用していくのかが大事」


だとしたら…「チームのビジョンや構想を新たにしてそれに向かうというのはどうか?」


なるほど!…「具体的にするなら、チームからNFL選手を輩出するというのはどうかな」

面白い…「チームとしてアメリカに勝つ!という目標を決めよう」

 

で、全員が納得。

 

アメリカに勝つビジョンをまず来年の1月に発表し、

それにOBも含めた皆さんの力を借りたい。お願いし、

その後、様々なプロジェクトを起こしてその経過報告を
毎年1回やろう!ということになった。

 

このほかにもいろいろ「クリエイティブ」な話が飛び交った。
これからに乞うご期待である。

 

まるで、みんなで一試合をしたような2時間。
歴代主将会は、興奮気味に第一部を終わり、
その後懇親会へとなだれこんだわけである。
(懇親会では、もっと話がエスカレートしたのであるが)

 

私個人は、自宅に帰ってそのことを思い出して
涙がとまらなかった。
感動した。

 

その人たちは、
今も、これからも居るのだ!

 

選手が主役でワクワクするプレイで勝ちきるチーム。


これが"2010年の私たちのスローガンでもあるが、

OBOGまで含めて、日本のフットボールをワクワクさせる


そのことをやりきるための第一歩が踏み出せた日であった。

 

 

2010年05月13日

いよいよ3日後に2010年スタート!

 

2010年の初戦、ハリケーンズ戦まであと3日。

いよいよかというワクワク感と、
もう、シーズン始まってしまうよぉ!という焦燥感を感じる。

 

パナソニック3連続敗戦による昨年のシーズンオフから
早6ヶ月。

 

コーチング体制も変わり、トライアウトも終わり、
日々新たに今シーズンを創ってきたが、
どこまでベースを高めることができたか。

 

試合は、勝負ごとなのでその見極めが難しいことも承知で、
もう、明日試験なのか!という学生のような気分が残る。

 

特に私の仕事はGMなので、ヘッドコーチや選手に対して
環境という器を創るのが一番大きな仕事、


つまり、シーズンが始まってしまうと
仕事の半分以上は終わっているのである。

 

一方でチームは生き物なので、
シーズンが始まって“今年の顔ぶれ”を見ながら
創っていかざるを得ない部分も多く残る。

 

加えて日常的に同じ釜の飯を食えないクラブチームは
正直、毎週末の「顔」を見ながら創っていかざるを得ない。

 

そういう意味でも、
「ワクワクするフットボールをやりきって、
選手主役で勝っていくのが、オービックシーガルズ」
や「本気がDNA」という風に、

言葉として結晶化していくのは重要なことだ。


そんな意味で、
学びたいチームをまた見つけた。

草野球日本一を標榜し、実際に、2,000チーム登録されている
チームの大会で連覇を果たしている“東京バンバータ”。

 

このチームには、何とスポンサーもついているし、
チーム名、チームカラー、グッズなど、オリジナルにこだわって
選手の「士気」を高めている。

5月7日の日経産業でも一面で紹介されている。

 

 

リンク栃木や、東京バンバータ。
他にも学ぶべきチームはまだまだあると思う。

彼らの偉業には、及ばないとしても、
少なくとも「志」のあるチームとして初戦を迎えたい。