チームガイド

最初は、主将のひと言が「スローガン」となり、チームを初の優勝に導いた

オービックシーガルズでは、1995年から毎年、チームスローガンを決めてきました。ミーティングルームに張り出したり、練習の合間のかけ声にしたり、プレーブックの表紙に書き込んだり、Tシャツにしたりと、いろいろな工夫で浸透を図ります。そして、試合会場では、入場時に全員がスローガンのパネルにタッチをして試合に臨んでいます。
スローガンは、そのシーズンの自分たちの在り様を皆で語り合い、決意したものを言葉にまとめたもの。最初はヘッドコーチや幹部で決めていましたが、いまは全員が関わって決めるようになりました。チームスローガン以外に、オフェンスやディフェンスのスローガン、ポジションのスローガンもつくっています。

 

1995年「FINISH IT!」 1996年「FIST」 1997年「DARE」 1998年「QUEST」 1999年「GULLS QUEST」 2000・2001年「FIRM」 2002年「BURST」 2003年「BEAT」 2004年「THE RISE」 2005年「PRIDE」 2006年「MAX」 2007年「THE ONE」 2008年「SPIRIT」 2009年「LOCK ON」 2010年「OUR TIME」 2011年「WILL」 2012年「CONQUEST」 2013年「PROFESSIONAL」 2014年「MY TEAM MY FOOTBALL」 2015年「PUMP IT」 2016年~「WE ARE SEAGULLS」

1995年 FINISH IT! スローガンの始まりは、デイビッドスタントヘッドコーチ (当時) の想いから。自分たちの目指すものや、絶対こだわりたいことを言葉にして、 チームへの浸透を図った。1995年は、EXECUTION(きちんとやる)、EFORT(努力する)、DESIRE(心から欲する)、ATTITUDE(態度で見せる)-という階段を一つひとつ上り、どんなプレーも1プレー最後までやる=FINISH IT!というスローガンになった。
1996年 FIST 前年はシーズン途中からスローガン化したが、 この年からは、年度の初めにスローガンを決めて発表することとなった。 前年、社会人決勝で敗れてFINISH IT がかなわなかった ことをスタートラインに、irst(まず始めに)・ndependent(自分ひとりでも)・ trongest(最も強い)・eam(選手たちが集まったチーム)という言葉の頭文字を集めて、FIST=こぶし という意味をスローガン に込めた。ところが、初戦で鹿島ディアーズに惜敗。 それまでなら、そこでリーグ優勝の道が閉ざされるところであったが、 Xリーグとなり、各Div.2位までが決勝トーナメントに出場することが 可能に。絶対、復活して盛り返して優勝だ!と、遠藤キャプテンが“GREAT COME BACK!”という言葉を唱えだし、チームは背水の陣の中、その後の試合を全部制してXリーグ 初代チャンピオンとなった。
1997年 DARE Dedicate=専念する・ささげる、Altogether=全員で・全体で、Relentless=情け容赦なく、Execution=やりきる・執行する、 という4つの言葉を合わせて「全員で、情け容赦ないほどに、徹底的に、1つのプレイをやりきることに専念する」という 意味に。また、この4つの言葉の頭文字をあわせた“DARE”という言葉も、“敢行する。勇気を持って行う”という意味があり、 全体を強調したスローガンとなった。
1998年 QUEST 前年、決勝トーナメント出場を逃したチームは、冬の練習開始時に、 “もう1回、何のためにフットボールをやるのか考えよう”というQUEST 研修を実施。私生活、人生の目標、仕事、アメリカンフットボールを自分として どう追求していくか…。追究=QUEST という言葉がスローガン となった。この年、どこのチームにもひけをとらない質と量の練習で鍛え抜かれた 精鋭は、圧勝で二度目の日本一に輝いた。
1999年 GULLS QUEST 1999年、チームはクラブチーム化。個人だけでなく、チームとしても 「何のためにフットボールをやっていくのか」ということを改めて自問する 年となった。自分たち=GULLS をさらに追究しようという意味で、 GULLS QUEST がスローガンとなった。
2000年
2001年
FIRM クラブチームになって、より強く、より愛されるチーム をみんなで創りあげていこう、それぞれのつながり=絆(きずな) を大切にしていこうという思いを込めて、FIRMという言葉を選んだ。 スローガンどおり、ジュニアチームの育成を開始したり、姉妹チームを制定させて いただいて、コラボレーションに取り組んだりと、確固とした絆づくりに取り組み 始めた年となった。
2002年 BURST クラブチームとして、完全独立採算制に移行したこの年。 大橋ヘッドコーチを中心とした新生チームがスタートする。 前年のFinal6準決勝では、終了間際に痛恨のミスで 敗退。試合前半から最後まで爆発するようなチームでありたい。想いを語ること以上に爆発した状態にいつでもスイッチが 入ることを念頭に、BURSTというスローガンが創られた。 相手より先にこちらから圧倒的に爆発し、仕掛け続ける ディフェンスと、大型QB高橋大介の活躍により、 この年は、Final6を制し、社会人王者となった。
2003年 BEAT 社会人王者となるも、日本選手権で立命館大学に 後半逆転され、大敗を喫した2002年。弱い自分を打ち負かし てこそ真の自分になれる…。Belief=自分を、仲間を、チームを「信じる」。 Execution=自分のやるべきこと、やりたいことを「実行する」。 Aggresiveness=相手や状況に合わせず「攻撃的である」。 Thoroughness=中途半端に終わらず「やりきる」。 これらの頭文字をとってBEATというスローガンに。 この年は、試合の日は、選手とファンが交流する「場」として 「BEAT会」も実施された。
2004年 THE RISE 2回目のライスボウル制覇から早6年。本当に日本一を 狙えるチームなのか? 個々人の思いの強さは日本一なのか? 今のままでは何かが足りない…。明確な目標として、日本一を 掲げようではないか。そのためには、一人ひとりが新しい自分 へと成長していく姿をイメージできる言葉、日本の頂点を 目指していることが明確に分かる言葉が必要である。 RISE=昇る。ロゴマークの弧線を太陽に見立てて、 THE RISE というスローガンに。RISEのSを Cに変えれば、RICE(ライス)、という意味も含ませた。
2005年 PRIDE オービックシーガルズの練習に“プライドドリル” という名前のメニューがある。オフェンス対ディフェンスで 3回のランニングプレーで10ヤード出すか、止めきるかという 勝負をする練習。時間は短いが、本当に白熱する練習である。 また、もう一つのプライドドリルは、練習後のランニングで ポジションごとの目標タイムをクリアした選手が勝ち残り続ける という、戦い。陸上競技でも何でもファイナリストになるためには 最後まで走り続ける、勝ち残ることが必要なんだ!ということを 身をもってたたき込む、文字通りプライドドリルである。 2005年、PRIDEをスローガンに掲げたオービックシーガルズは、 春から正月のライスボウルまで13試合全てに勝ち、日本選手権覇者として勝ち残った。
2006年 MAX Move=自ら行動し、Aim=意志を持って、eXceed=限界を超えていこう…。日本一になっても、もっともっと突き抜けたい。 相手に合わせるのではなく、自らが限界を打ち破る- そんなチームを創っていきたい、という目標も込めて、 スローガンは、MAXに。 2006年は、Final6準決勝で、 オンワードスカイラークスに惜敗したものの、2006年に 打ち出したMAX=限界を打ち破るチームづくりの路線は変わらない。
2007年 THE ONE Overdo=やりすぎるくらいやる、Never quit=諦めない・やめない、Exeed=超越する。非常に強い一人ひとりの個人を創り上げることによって、 強い一つのチームを創り、唯一無二のチームになる!という決意を表した。PRIDE-MAX-THE ONE と続く新生オービックシーガルズのスローガン。リーグ戦で思わぬ一敗を喫したが、それを奮起の材料として、「THE ONE旗」のもと、チーム、チアリーダー、ファンが一体となって、リーグ最終戦、Final6準々決勝、準決勝と奇跡的な粘りを見せたシーズンとなった。特に準決勝、長居球技場での松下電工戦。敗れたものの、まさしく“THE ONE”の結束力が、第4Qでの同点劇を生んだ。
2008年 SPIRIT SPIRIT.jpg Soul=魂、 Professional=プロ意識、Intensity=激、Rumble=闘争、Independence=自立、Team=集団。「闘志をもって自分自身を鍛える。闘志のこもったプレー・行動の積み重ねでチームを創る。闘志をもった集団となってフットボール界を変える」を掲げて春先からトレーニング方法も変えて必勝で挑んだ2008年。1万人プロジェクトで多くのお客様に来場していただいた初戦で難敵IBM BigBlueを倒して幸先のいいスタートを切ったが、リーグ戦最終戦で鹿島ディアーズに惜敗。ファイナル6は、1回戦では初顔合わせとなるパナソニック電工に雪辱を果たすべく挑んだ。全員のSPIRITがそれこそ1つとなり前半をリードして折り返すが後半に逆転を喫し、最後まで追い上げたが2年連続でパナソニックの壁を破れず敗退。
2009年 LOCK ON 2009lockon.jpg 「それぞれが狙い(=意志)をもってプレーし、チームに関わる。そして皆の意志を集約して狙ったものを獲得する」という、どういうチームであるか(Be)というよりも、何をするチームなのか(Do)にこだわったスローガンを掲げたシーズン。様々な場面で、何を狙って行動するのかを確認しあい、戦ったシーズンであった。リーグ戦の仕組みが2つのステージを戦う体制になり、2ndステージにピークを持っていくチームづくりに挑んだが、1stステージでアサヒビールに敗退。その後、チームを立て直しIBMに大勝したものの、鬼門の関西遠征でパナソニック電工に逆転負けを喫した。
2010年 OUR TIME 2010slogan.jpg 「今こそ自分たちの力を出し切る瞬間であり、自分たちが支配する時である」-“我々”で立ち向かう結束力、“今”を大事にする瞬発力、“自分たち次第”で何でも支配できるという意志力を表したスローガンが「OUR TIME」。皆で最高の瞬間を創り出すことを誓って挑んだシーズン。特筆すべきは、ずっとインナーキャンペーンとして考えてきたチームスローガンを、応援してくださる皆さんと共有しやすいよう意識したこと。フィールド上の選手・スタッフだけでなく、ファンの方々とも一丸となって戦いたいという強い思いを込めた。結果、ファンの皆さんの声援、クラウドノイズを味方につけ、数々の逆転劇を演じ、5年ぶり4度目の日本一を勝ち獲った。日本選手権は文字通り、観客席・フィールドが一体となった「OUR TIME」であった。
2011年 WILL 2011slogan.jpg すべての行動の根源は「志」に在る。この根本的な言葉をスローガンとしたのは、前年に優勝したことに起因する。勝利から遠ざかっていることがエネルギーとなった数シーズンと違い、自らが自らを奮い立たせなければならない場面が予想された。そんな時こそ原点に帰ろうと掲げたのが、この「WILL」であった。3.11に未曾有の大震災を経験したこの年、図らずも日本全体が「WILL」を問われ、それを行動に変えていく年にもなった。いつしか「WILL」はチームに関わるメンバーだけでなく、応援してくださる皆さんにも深く浸透し、大きなパワーを生み出した。結果、2010シーズンに引き続き日本一の栄冠を獲得。チームとしては初めての2連覇を達成することとなった。
2012年 CONQUEST 2012CONQUEST 「制覇する」というストレートなスローガンには、社会人チーム未到の3連覇への強い思いが込められた。ただ勝つのではなく、勝ち続け勝ちきるという強烈な意志を明確に掲げることで、常に自らの衿を正そうというものだ。掲げた旗印を見ながら、各々が日々の小さな戦いを征することを積み重ね、制覇に辿り着こうと戦い続けたシーズンであった。「CON・QUEST」→「皆で・探求する」。スローガンに込められた裏の意味を象徴するかのように、選手、スタッフが各々を高めるためにチャレンジし、かつてない充実したチームが創り上げられたと思う。より一層の高みを望むファンの皆さんとの共闘をエネルギーにして、全てのゲームを制覇。3連覇を達成するシーズンとなった。
2013年 PROFESSIONAL slogan2013s.jpg 数々のネガティブなもしもの中でも、成功体験にとらわれてチームが硬直してしまうことを最も忌むべき道ととらえ、すべての選手に「そもそも我々はどのようなチームでありたいのか」を問いかけるスタートとなった。様々な言葉が飛び交ったが、集約していくと「誰よりもフットボールに対して本気である集団でありたい」ということに帰結し、ホンモノ中のホンモノを表すスローガンとして、「PROFESSIONAL」を紡ぎ出した。そんな高い志をもって臨んだものの、春に富士通に完敗し、自分たちはホンモノ足り得る取り組みをしているのかを再考させられた。屈辱の経験を経て、最後までホンモノにこだわろうという意志が強固なものとなり、秋シーズンは際どい試合をもすべて勝利に結び続け、前人未到の日本選手権4連覇という偉業を成し遂げることとなった。
2014年 MY TEAM
MY FOOTBALL
2014slogan.jpg チームが勝利を重ねていく中、関わる皆の主体性が大きなテーマとなっていた。それを受けて、全員がオービックシーガルズは自分のチームだと胸を張れる取り組みをしよう、そのために自分の目指すフットボールを突き詰めようという覚悟を「MY TEAM MY FOOTBALL」というスローガンに込めてシーズンに挑んだ。それぞれの思いが結実し、春はパールボウル優勝を果たしたものの、秋は1stシリーズ最終戦でリクシルディアーズに黒星を喫し、再び自らを見つめ直さざるを得ない状況となった。厳しい日程の2ndステージにはなったが、集中力を維持して2試合とも高得点をマークし相手を撃破、Finalステージ進出。準決勝は富士通との激戦となり、それぞれが体を張ったプレーを見せるも勝利には及ばず、シーズン終了。残念ながら5連覇を成し得ることができなかった。
2015年 PUMP IT 2015slogan.jpg 5連覇を逃したシーズンを経て、成功体験にとらわれない変革の必要性を痛感し、チームの有り様を再構築することにチャレンジした。各コーディネーターに交代してもらうとともに、若い世代から選手リーダーを選出するといった施策でリーダーシップを刷新し、その若いリーダーたちと会話を重ねて決めたのが「PUMP IT」である。選手として、チームとしてこうありたいという理想の姿をスローガンに込めることが多かったが、今回はあえて、こういうことをしようという具体的なアクションにつながる言葉を選んだ。内包した意味は、「最初からぶちかましていく。恐れ知らずでいこう!」。まさしく若いエネルギーを感じられるスローガンだった。不安定さを感じながらも、勢いよく変革に突き進んだが、随所にほころびが見えてしまい、結果としては、3敗を喫する不本意極まる戦績を残した。本質的な改革について、大きな課題を突きつけられたシーズンである。

2016年

WE ARE SEAGULLS team20170422.jpg 16シーズンに及んだ大橋HC体制に終止符を打ち、古庄HCを擁立することから始まった、文字通りゼロスタートの2016シーズン。新HCが唱えたのは、ハードワークに裏打ちされた、真の意味での強さだった。肉体的にも、精神的にも、自分たちを追い詰めていく覚悟を決める中で浮かび上がったのが、「WE ARE SEAGULLS」。我々だからこそできる、我々でなければできないチャレンジをあえて選択し、我らこそはと胸を張れる矜持を手に入れる。そんな思いが込められた。その思いが、準決勝の激闘を紙一重で制することにつながった。3年ぶりに出場を果たしたJAPAN X BOWLでは残念ながら富士通に及ばず優勝を逃したが、これからにつながる大いなる息吹を感じるシーズンであった。
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この「WE ARE SEAGULLS」というスローガンは、選手が主役、全員が主体者というチームフィロソフィーをそのまま表現しているものであり、我々が追い求めていかなければならない普遍的なテーマでもある。チームに関わる一人ひとりが「I AM SEAGULLS」と胸を張れるようになり、真の意味で「WE ARE SEAGULLS」を実現するために、これからも、このスローガンを掲げ続ける。

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